見出し画像

リ・ハナ著『日本に生きる北朝鮮人』を読んで(2) - 今からでも新たな一歩を踏み出せる

Nちゃんへ

リ・ハナ著『日本に生きる北朝鮮人』を読んで、北朝鮮の意外な実情を書きましたが、今回は著者であるリ・ハナさんの人生について。


ハナ


リ・ハナさんの人生は壮絶そのもの!

彼女の人生を知ると、自分は今からでも色々な事にチャレンジ出来るんだという気持ちが湧いてきます。

リ・ハナさんの来日までの流れ

1980年代半ば、北朝鮮北西部の新義州市の中流家庭に生まれる。

両親は1959年から1984年にかけて行われた「帰国事業」で日本から北朝鮮に渡った在日朝鮮人2世。

18歳の時に親族が北朝鮮当局に逮捕されたことがきっかけで、身の危険を感じ脱北を決意。

鴨緑江を渡って中国に脱出後、中国の公安から隠れながら中国朝鮮族の助けを受け、住み込みのアルバイトで生計を立てる。

中国で5年の潜伏生活を経て、脱北者支援団体を頼って2005年に来日。


経歴を少し書いただけですが、僕らには想像できない程壮絶ですね。

北朝鮮にいた時は中国に行けば自由になれると思っていたそうですが、脱北後、中国の公安に見つかれば北朝鮮へ強制送還される(=死)と知った時は愕然としたそうです。


日本に来たからといってすぐに生活が楽になった訳ではありません。

日本語が全くしゃべられなかったハナさんですが、経済的な理由から日本語学校には通えず、支援者の方に日本語を毎日1~2時間教わりながら自習も行う日々。

また、生活のために仕事をする必要があったのですが、日本語もたどたどしく、当時「無国籍」であったハナさんを受け入れてくれる働き口は容易に見つからず、支援者の方々と共に仕事探しに奔走することで、なんとか韓国料理屋さんでのアルバイトを見つけました。

慣れない環境下で日本語の勉強とアルバイトをすることは相当ストレスのかかる事だと思いますが、さらにハナさんは周囲の勧めから高校を出る事を決意し、その前段階として夜間中学3年生に編入します。


ハナさんは北朝鮮で18歳まで学校に通っていたものの、学力的には中学2年生に相当するとのことで中学3年生への編入になったそうです。

アルバイトが終わると、そのまま自転車で夜間学校に通い、帰宅後は日本語の自習をする日々。

並大抵の努力と精神力では、この生活を続けられないでしょう!


しかし、ここで努力を終えないのがハナさんのすごいところ。

23,4歳で夜間中学3年生に編入し、このまま高校を卒業するまでを考えると、高校を卒業するころには30歳手前の年齢になってしまします。

もっと歩みを速く進めることが出来ないかと考えた結果、高校卒業認定試験(高認)に挑戦することにします。

高認は8教科全科目を合格すれば、高校を卒業したものと同等の資格を得られ、大学の入学試験を受けることが出来ます。


日本に来てあんまり時間も経っていないのに、高認の試験を受ける?!
日本語も覚えたてだし、教育レベルも決して高いとは言えないのに!


それからというもの、日本語能力を証明できる日本語能力試験の勉強と平行して、高認8科目の内、まずは3科目の合格を目指して勉強を開始します。

北朝鮮で受けた教育は中学生レベル。基礎学力が低いハナさんにとっては、日本語で書かれた参考書と格闘する中で、ときに苛立ち、ときに涙を流しながらすこしずつ前進し続けたそうです!

そりゃそうや!
自分なら泣いてるどころか、すぐに諦めてしまってます。


そして、奇跡が。

なんと、2006年の高認試験で彼女は3科目とも合格を果たしました。

また、高認に追われてあまり勉強できなかった日本語能力試験も1級に合格。

この偉業を彼女はアルバイトをして生計を立てながら行えたというのがまたスゴイ!


高認試験は年に2回実施されているのですが、2007年の1回目の試験では残り5教科の内、数学以外の4教科を受験することに決めました。

また、2007年1月にはそれまでの韓国料理屋のアルバイトを辞め、知人の紹介で法律事務所で働き始めました。


スーツ姿で事務員として働く傍ら、高認試験の勉強も行い、2007年1回目の試験で4教科とも合格。

そして、休む暇なく数学の勉強を開始し、2007年2回目の高認試験で数学も合格し、高認試験全ての科目に合格しました。


普通の日本人でもこんな短期間で高認試験に合格することは難しいと思いますが、言語的・経済的なハンディキャップを負いながらも短期間で高認試験に合格した喜びは、筆舌に尽くしがたかったと思います!


当時を振り返ってハナさんは、高認試験に合格出来たことで、「初めて日本社会でやっていけるかもしれない」、そう彼女は思ったそうです。


何も持たぬまま日本にたどり着いたハナさんが、努力と精神力で「希望」を自分の手で手繰りよせたからこそ思えたのでしょう。


日本に住んでいる私たちは、日本社会でやっていけると思ったことはあるでしょうか?

たまたま日本人に生まれ、日本社会で生活してますが、その中で自ら活路を見出し、「この日本社会でやっていけるかもしれない」と思えた人はどれくらいいるでしょうか。


高認に合格したハナさん。

ここで終わりだと思いますよね、普通。

ハナさんはまだ上を目指します。


法律事務所の仕事を始めて1年半が過ぎる頃、責任のある仕事を任される様になるにつれ、自分の基礎知識の無さを痛感することが多々あったそうです。

そこで、もっと自信を持って仕事をするためには勉強の必要性を感じたものの、独学では限界がある事を悟ります。


そこでハナさんは大学進学を決意します。


ハナさんのすごさはコツコツと努力を積み上げることが出来るだけでなく、大胆に行動できることです。

大学進学を決意してからというもの、自分のありとあらゆる人脈を使うことで、UNHCR(国連難民高等弁務官事務所)が難民を対象に大学の推薦入学制度を行っているとの情報を手に入れます。

この制度は2007年から開始したばかりの制度で、UNHCRが推薦した学生に対しては入学金・学費の免除、修学助成金が支援されるそうです。

素晴らしい制度! と思いきや、ハナさんには問題が。

というのも、ハナさんが日本国からも国連からも難民認定された人間ではないのです!

どういうこと?と思いますが、脱北者の方は難民には該当しないそうです。


この状況を打破するために、UNHCRに直接掛け合い、ハナさんには難民申請を受ける機会すらなかったこと、ハナさんの置かれている状況は難民と変わらないことを何度も訴え、難民に準ずる形で応募の機会を得ることが出来ました。


また必要書類の準備や大学の先生・ジャーナリストの方々にお願いをして推薦状を書いてもらうなど、大学入学のために奔走しました。


書類審査、筆記試験を経て最終の人物試験(面接)。


ハナさんは「北朝鮮では世界に通用するような教育を受けられなかったので、これからの人生をしっかりと生きていくために教育を受けたい」ということや「法律事務所で学んだ法律の知識を使って、自分と同じ境遇にある人たちを少しでも助けるようなことがしたい」と面接官に伝えました。

しばらくすると、ハナさんの元に合格通知が届きました。


僕はこの文章を読んで、目頭が熱くなりました。

18歳で北朝鮮を抜け出し、5年間の中国での潜伏期間を経て、23,4歳で来日。


日本に来てからもアルバイトをしながらの日本語の勉強。次いで、高認試験の勉強と常に自分の力をフル稼働させ、自分の人生を切り開くために多くの人を巻き込む強さを持つハナさん。

それが出来たのは、ハナさんの努力と行動力、そして素晴らしいお人柄があったからなのではないかと思います。


うつ病で会社を欠勤している僕。

まだ、24歳です。

このままこの仕事を続けていて、本当に良い人生だったと思えるか、不安な日々を過ごしてきました。

そんな僕にとって、ハナさんが僕に見せてくれた背中が、僕の背中を押してくれた気がします。


さいごに、

本の要約に慣れていないため、だらだらした書き方になってしまったこと不甲斐なく思っています。

ただただ、少しでも多くの人がこの本に触れ、ハナさんから勇気をもらえることを切に願い、この記事を書きました。


p.s.

いい感じの韓国写真が尽きてしまい、アイキャッチ画像はソウル市内のただの居酒屋街の写真です。