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30歳になった今日の心境、ぜんぶ書いてみる


2020年7月24日、東京オリンピックの開会式が行われるはずだった今日。

あと何年、あと何日と数年前からそこらじゅうでカウントダウンされまくり、わたしは30歳になった。

当のオリンピックは延期になったけど、30代は予定通り始まる。この無意味な祝日にちょっともやもやしている。全然実感が湧かない。30歳ってもっと大人だと思ってた。


どちらかというと期待よりも不安でいっぱいだ。「若いから」という免罪符が使えない場面もどんどん増えてきた。

それに加えてこのご時世。漠然とした恐怖の中、次へすすむ前に一旦この30年を整理しておきたくて、これを書いている。いつもと変わらぬ、とても長いひとりごとになると思う。


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反面教師にするにはうってつけの母親、
小中学校の残酷な人間関係、
会社みたいな吹奏楽部、
それぞれに闇を孕んだアルバイト、
氷河期真っ只中の就活、
腐りきった会社。

こういう環境で27歳までを生きてみて強く感じたのは「完全な社会なんてない」ということ。

同じ考え方の人なんて本当に一人もいない。人が集まって何かをするというのはとても大変なことだ。


大学に入って、就職して、毎朝地獄の電車に乗る生活を9年間やってみた。

ほとんど死んだような顔で、人に体当たりしながら早歩きしている大勢の人たち。舌打ち。たまに怒号。そして知らんふり。

そういうものを蔑みながら、自分もその一部として暮らしていた。

どんどん人が嫌いになる。誰とも話したくない。楽しくない。こんな毎日が死ぬまで続くのかと思うと怖かった。そんなの嫌だと思っているくせに、変えようとしない自分が許せなかった。

東京で生まれ育った人間には、外に出ていく理由を見つけることが結構難しいと思う。


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日々心身が削られた。

ほしい環境は自分でつくらないと手に入らない。だからと言って、どんな環境がほしいのかわからない。

考えるにしても、ガンガン削られながら思考をポジティブに持っていくことは困難だった。

削られてひとつまみになった体力でも、明確に挙げることができたのは「やりたくないこと」。ちょっと後ろ向きな気持ちにはなるが、省エネ戦法だと割り切った。


ひとまず「やりたくないことをやらない」という選択をすることにした。そのうち消去法的に「やりたいこと」が絞られてきて、いま青森にいる。

これが正解かどうかはわからないけど、ひとつも後悔していない。たぶん、その都度納得しながら自分で選んできた結果だからだ。

やることを自分で選ぶようにしているうちに「やらされていること」がひとつもなくなった。それだけで毎日はだいぶ楽しい。


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東京を出てから、常に「当面の目標」が明確だ。

それまでは、目標や計画を立てることが本当に苦手だった。主に「やりたくないこと」に向かって行ってたわけなので、やる気なんか出ない。

いつも自分の「やりたいこと」をわかっておくだけで、自然に行動が決まって楽になれる気がしている。「やりたいこと」が見えなければ、せめて「やりたくないこと」を探して排除する。


30歳の今、依然として長期的な見通しを立てられるほどの能力はない。

将来が見えないことを、社会だとか国だとか、環境のせいにするのは簡単だ。でもそれじゃ多分ずっと解決しない。

しかも30代だなんて、誰がどう見ても大人ってことになると思うので、なるべく人のせいにするのはやめたい。めちゃくちゃかっこ悪いしな。自分の人生は自分のものだ。

生まれたのは偶然だけど、いま生きることは自分で選んでいる。死ぬのも自由。

今のわたしは、人のせいにしながら惰性で生きることも、死ぬことも、まだ選びたくない。諦めるのはいつでもできるから、まだいいや。

ここで「やりたくないこと」を排除すると、ちゃんと自分で責任を持って生きる、を選択することになる。


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自分で選んで生きてはいるものの、明日死ぬかもしれない。もしかしたら今日このあとかも。「選んで生きる」は、当たり前に得られる選択肢ではない。

限りある人生だと思うと「やりたくないこと」などやっている暇はない。

限られた時間であるならば、わたしは尊敬できる人とだけ一緒にいたい。そこに年齢や出身地は関係ない。今のその人を尊敬できるかどうかだけ。

最近たくさん考える機会があったけど、やはり今わたしの中でそれは揺るがないみたいだ。


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生まれた意味はなくても、生きる意味はないとしんどいので、つくる。

「やりたくないこと」を排除しながら、生きているうちは自分で意味をつくり続ける。

そうやって今世を全うしてから、恐山にかえる。


初めてこんなに長期的な目標ができた。目標が明確になると、今やるべきことがわかってほっとする。そうわかってても、なかなか目標や計画、立てられないんだけどな。

ひとまず30代はここに向けて、もっと力を抜いて生きたいと思う。この目標が達成できればいいんだから、あまりガチガチに生きなくてもいい。決めたからにはちゃんとやれよわたし。


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ここまで読み返してしみじみ、なんてドライで自分勝手な人間だろうかと思う。どんなにいい顔したってこれが本音。わたしは所詮こんなもんだ。


「体裁を守るための嘘」が本当に苦手だ。嫌だと思うことを、どうしても良いと言えない。

その場の雰囲気を壊したくない、みたいな理由で取り繕えば、どんどん辻褄が合わなくなって、結局みんなの首が締まるという場面をよく見る。

その嘘に意味は感じられない。本音で話したい。


だけど、そういう「体裁を守るための嘘」を大事にする人がとても多い世の中だということを、この30年で思い知った。

特に仕事においては、その場の雰囲気なんかより仕事の中身の方がよほど大事だと思うんだけどなあ。

本音で話さずに良い仕事ってできるの?雰囲気さえ良ければいい仕事ができる?イメージが湧かない。できるのなら具体例とともに教えてほしい。


「体裁を守るための嘘」が当たり前すぎるから、こんな探り合いだらけの気持ち悪い世の中なんじゃないのかな。

わたしがもっと大人になれば、それも大事ですよねって言えるんだろうか。自分もそのうち何かを悟って、笑顔を貼り付けて、そういう嘘を使いこなす日が来るのだろうか。

少なくとも今のわたしには無理だ。一番の「やりたくないこと」かもしれない。真っ先に排除したい。


春から立場が変わり、みんなに感謝!みたいな綺麗事はもう言えない頭になってきている。

大好きな人たちにだけ、死ぬまでの間で精一杯の恩返しをし尽くしたい。それが今、わたしが生きるための一番大きな意味になっている。

こんなわたしを30年も生かしてくれて、本当にありがとうございます。


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20代でやり残したことなんてひとつもない。ありがたい限りだと思う。本当に恵まれている。

これからも後悔しないような毎日を送り、大好きな人たちに力の限り恩返しをして、絶対思い残すことなく恐山にかえるんだ。



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