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「従来」に倣うのはもう本当にやめようと思った話


B-1グランプリから帰ってきて、協力隊仲間がシェアしていたこちらの記事を読みました。

ものすごくタイムリーで、今までのあらゆるもやもやが繋がって、とても心に刺さりました。

どうしても良くない書き方になってしまうけど、今書きたいと思うことを書いておきます。



地域おこし協力隊になってからというもの、

お金をもらって呼ばれてきた「当事者じゃない人」が、地域の「当事者」たちのことをただ疲れさせたり、まったく心を開けず意味のある話ができなかったり、そんなうまくいかない場面を何度も見てきました。


対して、今回初めて参加したB-1グランプリはみんなが「当事者」で、本気で、エネルギーと説得力に溢れていました。

優勝した三重県津市の代表者が、表彰されたステージで仰っていたこと。

「私たちには夢があります」
「津市を笑顔でいっぱいにしたい」
「他の市町村と連携して、三重県を一番住みやすい都道府県にしたい」

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ただ言うだけなら簡単だけど、この時そこに明確な「本気」が込められていることがビシビシ伝わり、聴いているだけで涙が出ました。

出場するだけでそれはもうめちゃくちゃに大変なB-1グランプリを、70名超のメンバーを率いて制した上での叫びには、重みがありました。


このまちが好きだから。良さを知ってほしいから。そういう理由で本気になれる人って、当たり前だけど地域の「当事者」に限られると思います。

今回、当事者だらけの大会の中に入れてもらって初めて、いわゆる「地域おこし」の目的が腹に落ちました。

もう協力隊になって一年半経つのに、恥ずかしいことだけども。やはり何事も、身を以て実感しなければ薄っぺらいままなんだと痛感しました。


協力隊として過ごしていると、当然ながら「当事者じゃない人」たちと関わる機会がたくさんあります。

そうした時に「この時間(ワークショップやイベント、セミナーなど)は誰のためのものなの?」と思うことがあまりにも多くて、

そういう従来地域おこしに繋がるとされてきたあらゆる形骸的なものについて、いつのまにか否定的な思考をするようになってしまいました。

いまや大きめの付箋が机に置かれているのを見ると、無条件でなんとなく斜に構えてしまいます。


「地域おこし協力隊」という肩書きにもまた「お金をもらってやってきた当事者じゃない人」という意味が込められている気がします。

「協力」という言葉は「手伝う」の意味合いで捉えられることが多く、そうなるともう完全に一時的な補助の人です。当事者には程遠い気がしてきます。


わかっています。地域の主役は当事者です。

そこで協力隊のわたしは、出しゃばりたいわけではなく、いつも寂しさを感じています。

青森が好きで、ただ普通の青森県民になりたいからここにいるわたしには、ずっとこの「地域おこし協力隊」という肩書きが苦しいです。

自ら「わたし当事者じゃないんです」と言っているような気分になるので、できる限り協力隊とは名乗らないようにしています。

まだまだ青森では協力隊の知名度が低いのをいいことに「市役所のおまけ」みたいなことを言って曖昧にしています。


だから今回、当事者だらけのB-1グランプリに出るにあたり、黒石の人として仲間に入れてもらえたのは本当に嬉しいことでした。

地元の人ではない自分も、外からは完全に当事者として見てもらえる場所でした。

呼んでもらえたこと自体も本当に嬉しかったです。右京くんが誘ってくれて、行く!って言ったらなんだかすごく喜んでくれた時のことも忘れられません。


ただ、それでもヨソモノはヨソモノ。

絶対に地元の人にはなれないので、寂しい気持ちがある反面、ヨソモノだからこその視点はずっと忘れないでいたいとも思います。それで自分も地域の役に立てるのであれば。


去年、尊敬するヨソモノの大先輩が「頑張る理由は、ずっと青森に住んでいたいから。青森がなくなったら困るから」と仰るのを聞き、とても勇気付けられたときのこと。よく覚えているのにすっかり見失っていました。

ヨソモノだって、目的はそれでいいはずだもんなあ。わたしも青森がなくなったら本当に困る。

今回B-1に参加していた津市の高校生たちも、ほとんどが市外出身のヨソモノだとのこと。情けないけど、なんだか安心してしまいました。ヨソモノだってきっと当事者になれるよなあ。


今回の大会、何が足りないかよく分かるのに、それに対して本当に何もできなかったという感覚があります。この悔しさはずっと忘れないと思います。

他のことにおいても、地域や自分の課題だと思うのはいつも同じようなこと。それに気づいているのにこのまま何もできないでいたら、いよいよ本当にここにいる意味がないよなあ。

自分の経験を踏まえて「ヨソモノだろうと当事者になれるよ」って言えるようになりたい。

わたしはちゃんと段階を踏みながら、当事者の青森県民になりたいです。


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従来のように、お金をかけて「当事者じゃない人」を呼んだりすること。決して悪いことばかりじゃないと思うけど、そうしなくてもいいような地域になれた方がいいんだろうなと思います。

結局「当事者」が元気でいられなければ何にもならないんだからなあ。



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