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阪神淡路大震災での三宮一貫楼①

地上げをされた本店の土地建物売買のために受けた14億円の融資。

その返済が平成4年からはじまりました。

返済のために、かなりの無理をして多店舗展開をしてきたことは↑の記事で書きました。

借金返済にあえいでいる当社に次なる試練が訪れたのは平成7年1月17日。

明石海峡を震源としたマグニチュード7.3の兵庫県南部地震に端を発した、
阪神淡路大震災の発生です。

当時、大学生の私は実家の兵庫区荒田町で被災。

幸いにして実家の被害はお皿が数枚割れただけに止まっており、神戸の街の惨状があそこまでとは想像していませんでした。

荒田地区は神戸の中では比較的、地震による倒壊などの被害が少なかったためか、電気の復旧は地震当日でした。

復旧直後につけたテレビから流れる映像を見て、愕然とした記憶はいまだに鮮明です。

荒田には事務所や工場もありました。

そちらも建物には問題なく出入り出来、近くに住んでいたスタッフとわれわれ家族であらかたの整理を昼過ぎあたりに済ませ、先代の号令で男性社員で本店の整理をしに行こうとなりました。

先代の受け売りになりますが、テレビで三宮の惨状を見ても、行く道すがらに高速道路が落ちてるのを見ても、店の近くの大丸に亀裂が入り崩れている様を見ても、まさか自分の店が壊れているなんて夢にも思わなかったそうです。


木造二階建ての倒壊した本店

先代をはじめ我が社のスタッフが本店前に到着すると、カバー写真に採用した本店の無残な姿が広がり、一同は笑うしかなかったと聞きました。

途方に暮れつつも、現地ではやることが何もないので全員を引き連れて実家に戻ってきました。

その当時は我々は荒田地区に寮をいくつか持っていたので、そちらに入っていたスタッフも一人になるのが恐怖で、発生後何日かは実家で寝食を共にしました。

そこに外住みのスタッフや伯父夫婦なども合流し、当時の実家はさながら災害対策本部のような様相を呈していました。

旗艦店である本店を失い、果たして三宮一貫楼はどうなっていくのか?
それはまた別の機会に。








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