恋愛成就のチケット 第二章
入社5年目の自分の事を早くもお局呼ばわりをする後輩達の噂話を小耳に挟んだ時、吉岡隆子は少なからぬ動揺を隠せない自分に気づいた。
新商品の研究開発室への転属が叶ってから早二年、まだまだ大きな成果を挙げるまでの新商品を世に送り出せてはいないのだが、彼女には今の部署が水に合っていた。
それゆえ日々の研究の中で出くわす幾多の困難も、決して苦痛ではないと自ら言い切れるほど、この仕事にやりがいを感じてもいた。
そんな隆子にとって、どこそこの課の誰それが超がつくイケメンで将来を嘱望されているとか、一部の人しか知らないことなのだが、絵に描いたようなオタクの一個上の先輩が実は東証の一部上場企業に名を連ねる大会社の御曹司だというまことしやかな噂話でさえ、どこ吹く風ぐらいにしか捉えていなかった。
しかいそれまでの隆子の人生が恋愛経験の乏しい部類に属したかといえばそうとばかりも言いきれない。
隆子には大学に通った4年の間、周囲の仲間から羨ましがられるほどの間柄のお相手があり、そのまま順調に愛を育めばいずれは…
即ち、当然のなり行きとして、二人はいつの日か添い遂げるに違いないと
誰もが信じて疑わないほど、双方の関係者公認の彼氏がいた。
そんな彼との関係が完全に途絶えた訳ではない。今でも思い出したかのように月に何度か彼の方からLINEが入る。
毎回取るに足らないないような内容に終始するのだが、疲れて帰った日など、そんなたわいもないLINEのやり取りが一幅の清涼剤になることに喜びを感じたりもした。
彼の名は、渡辺浩と言う。そんなありきたりな本名で呼ぶよりもGREAT・TRAVERSEという某国営放送のBSチャンネルで放映される人気番組のタイトルをパロッたような名のグループのリードボーカルと言った方が世間の通りはいいのだろう。
インディーズレーベルでまず多くのファンを獲得して遂にメジャーデビューが叶ったのはまだ今年の春先ながら、様々な音楽誌や放送媒体で取り上げられ、今や飛ぶ鳥を落とす勢いのプロのミュージシャンの彼が隆子の昔のお相手だなどと知る人間は、少なくとも隆子が勤める今の会社には誰も存在しない。そして敢えてそのことを隆子自身が誰にも告げない事に深い意味がある訳でもなかった。
彼は今や気の置けない友人の一人であって、この先また焼け木杭には火がつくことを願う気持ちなど更々いのが偽らざる気持だったからである。
お隆、大学時代の友人たちはみな一様に隆子の事を親愛の情を込めてそう呼んだ。それはお高くとまっているからお隆という意味ではなく、いつも隆子が気がつくとみんなの輪の中に、誰にも気づかれずにごく自然に加わると言った特技を持ち合わせており「そんなとこにおったか?」のお隆…というニックネームが誰からともなく付けられたことに由来する。
「DEARお隆、遂に念願だった全国ツアーの幕開けです。そちらにも秋口に出向く予定です。コンサートのチケット、もし来てくれるならばお隆が必要なだけ用意させて頂きます。おいらのカッケー晴れ姿、是非見に来てやってください。そしていつもの辛口の批評、戦々恐々でまっておりまするw」
浩が活躍する姿を目の当たりにして、それが刺激になるからこそ頑張れる自分があることが素直にうれしい隆子であったが、周りの人間がそんな隆子の事を、仕事一辺倒のお局呼ばわりする事に今になって初めて気づいた事実が悲しくもありさらに言えば滑稽だった。
そんな鬱積した毎日を過ごす今、降って湧いたかのように栄二からのアプローチが、予期せぬ形で訪れた訳である。
つづく
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