湯に行く
ある曇り空の日、コーヒーにコーヒーゼリーを入れて食べるという小さな奇行から一日が始まった。
味が一緒で食感のみを楽しめるという、この時代に求められがちな「効率的な組み合わせ」や「味の多様性を楽しむ」とは真逆の体験であった。
この唯一無二の体験は、アーティスト気質を持つ私に新鮮な刺激を与えてくれた。
その満足感を心に留めつつ、私は健康管理アプリで設定された一日10,000歩の目標を達成するために、いつもと違う道を選んで散歩することにした。
普段歩かない新しい道を探索することで、日常の枠を超えた何か面白い発見があるかもしれないと期待を膨らませた。
普段通らない道を進むと、敷地の境界を示す鎖に掛けられたカラフルなメガネが目に留まった。なぜこんな場所にメガネがあるのだろう?もしかして、誰かが落としたものを見つけやすくするために鎖に掛けたのかもしれない。
そんなことを考えながら歩を進めると、次に目に飛び込んできたのは雨樋の排出口に置かれた帽子だった。
どう見ても普通の帽子だが、なぜそこにあるのか理由がわからない。もしかすると、雨が降った後に水を受け止めるため、または誰かが無意識に置いていったのかもしれない。私はこの帽子に何か特別な物語があるのではないかと想像を巡らせた。
これらの奇妙な光景は多くの人々にはただの日常の一部で、都市部では特に、誰もがそれに興味を持たず通り過ぎてしまうものだ。
かくいう私もただ通り過ぎたが、その雨樋に不自然に置かれた帽子のことが気になって仕方がなかった。その場にはただの帽子かもしれないが、なぜそこにあるのか、その理由が私の心を捉えて離さなかった。
幸いにも人通りのない休日の古い住宅街だったので、私は踵を返し、好奇心に駆られて帽子を手に取ってみた。
帽子を持ち上げると、その下には何も書かれていない小さな白紙が隠れていたが、光の反射により、かすかに文字らしきものが見え隠れしていた。
その繊細な文字の存在が、この場所と帽子に隠された物語を暗示しているように感じた。
突然、私はあのカラフルなメガネを思い出した。
20メートルほど戻りメガネを拝借すると急いで今来た道を戻り、再び帽子の下の白紙を見た。そのメガネをかけて紙を覗くと、光の加減で隠れていた文字が鮮明に現れ始めた。
そこに書かれていたのは、「ミカン味のキャンディーを舐めながらミカンジュースを飲むと味がしない」という一文だった。
この発見は、今朝の独特な組み合わせと意外にも一致し、私を衝撃的にした。自分だけの体験を追求していたが、それが一般的かもしれないと気づき、失望した。さらに、他人が同じ体験をするための仕掛けを用意していたこともその失望に輪をかけた。街中を歩き回った後、帰り道にミカン味のキャンディとジュースを購入して帰宅していた。
この一日は、私にとって予想外の教訓を含んでいた。
ミカン味のキャンディを舐めながらミカンジュースを飲んでみた。
ふとスマートフォンの健康系アプリを見ると8,342歩だった。今日はもう歩く気はない。
「ミカン味だけに未完か…」
私は不意に出たこの独り言のつまらなさに、今までの自分の捉え方に苦笑いした。自分の個性を重んじるあまり、時には周りが見えなくなっていたことに気づいた。今日の一連の発見が、少し視野を広げるきっかけになるかもしれない。
それが本当のアーティストとしての成長だと、新たな理解と共に感じた。
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