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箱の中

かつて、ある科学者が雷を捕まえた際、人々は疑問を投げかけた。「それが何の役に立つのか?」と。
しかし今、私たちは電気なしでは生活が考えられない。この逸話は、見えない発見が如何に大きな変革をもたらすかを示す一例に過ぎない。

我々がこの広大な宇宙について知っていることは、全体のほんの5%に過ぎない。残りの95%は、闇の中に隠された謎に包まれている。
これらの未知の領域から、一人の天才科学者が、ユニークなアプローチで電磁波や空間の歪みに全く反応しない、全く新しいタイプの物質が発見した。
この世紀の大発見は、確率の精密な予測を可能にし、量子の不確定性さえ確定させることができた。

サイコロの出目や、雨の降り始め、さらには豆腐の角に頭をぶつけて命を落とす人数まで、全てが計算できるようになった。
この理論が確立されると、世界はまるで魔法のように変わり、人々の生活は効率的になった。
傘を持ち歩く頻度が減り、事故に巻き込まれることがなくなり、望まない結果を回避できるようになった。

しかし、全てが計算可能になると、ギャンブルやゲームはすべてその意味を失い、次々と姿を消していった。
レースやスポーツの試合、株価の動き、選挙の結果も、すべてが予測可能になったため、投票は形式的なものとなり、恋愛のドキドキや宝くじのハラハラもなくなった。このように、人々は予想外の楽しみを見出すことができず、世界の仕組み自体が根本から問い直された。

――人間は未知に魅了される生き物であり、解らないことがあるとその謎を解き明かすことに情熱を燃やす。
夜空の星、深海の闇、自分自身の心の内部まで、知られざるものへの探求は終わりがない。
それが、私たちが常に新たな発見へと駆り立てられる人類の宿命だ。

新しい物質の発見により、確率を予測することが可能になった世界では、偶然の出来事はすべて計算の範疇に収まった。
しかし、人類は逆転の発想で「偶然」そのものを楽しむ新たな方法を発見した。
偶然が起こるタイミングはわかっているが、どんな「偶然」が起こるかを想像することが新しい楽しみとなった。
結果を予測する確率ではなく、予測できない偶然そのものに価値を見出し、人々はこの不確定性を新たなエンターテインメントとして楽しむようになった。

スポーツの試合は相変わらず行われている。試合結果は知っていた。
観客は現在のプレイがどのような「偶然」を引き起こし、どのように結果につながるかを想像することで楽しむ。
この「偶然」が起こる回数によって、チケットの価格も変動した。
かつては「知識と勘」で楽しまれていたスポーツだが、今は「想像力」によって楽しむものへと変わった。

試合を観ながら空を見上げ、こんなことを思う。

もし、神がこの世を作ったとしたのなら、我々の歩みをどのように感じるのだろうか――

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