[Nights at NAHA Town]僕とジャズ
2023年の日本でジャズを聴くことはメインストリームの音楽趣味ではなく、ジャズは少数の限られた人だけの音楽ジャンルなんだと思う。かといってそれほど少ないというわけでもなく、ジャズのイベントも開催されたりしていることから、市民権は得ているジャンルだろう。
日本では1960年代にアート・ブレイキー&ザ・ジャズ・
メッセンジャーズの"Moanin'(モーニン)"という曲がきっかけでジャズブームが起きた(らしい)のだけど、僕が生まれる前の話で、僕自身はこのようなブームを直接体験してはいない。
そんな中、僕は普段からジャスばかり聴いているし、演奏するのもジャズばかり、それも1950年代-70年代ごろまでの結構古いジャズを好むのだけれど、どうしてそういうふうになったのかを紐解いてみる。
1960年代のジャズブーム、団塊の世代あたりがブームの真ん中にいたのだろう。私の父は1940年生まれの団塊の世代で、1960年代というと大学生から社会人ということもあり、このブームに乗ったのだろう。父はオーディオセットを買い、ジャズのレコードもいくつか収集していた。ただ父はそこまで熱心なジャズファンだったかというとそうでもなく、僕が子供の頃家にあったレコードはクラシックの方が多かった。それでもめぼしいジャズのアルバムはいくつかあったし、父が特に好んだMJQ(Modern Jazz Quartet)に関してはほぼ全種類のアルバムがあった。
そういうわけで僕は小学生の頃から、家にあるオーディオセットで父のレコードをよく聴いた。その中で僕の心をとらえたのはジャズだった。アート・ブレイキー、ビル・エヴァンス、ハービー・ハンコック、スタン・ゲッツ、デイブ・ブルーベック、そしてマイルス・デイヴィス、このあたりのジャズジャイアントたちの演奏を何度も何度も繰り返し聴いた。レコードの取り扱いが乱暴で盤面に傷が入ったこともあったけれど、そうやってできた傷で音が飛ぶ位置まで完全に記憶していた。後年、CDでこれらの曲を聴いて音が飛ばないことにむしろ違和感を覚えたりしている。
こうやって僕は小学生からジャズに日常的に接していた。もし家にAC/DCとか、ブラック・サバスなんかのアルバムあたりが大量にあったら、そっち方向に進んでいたかもしれない。なのでこのジャズという好みは、僕が新たに獲得した好みというより環境がそうさせたのだと思う。
そうして家にあるジャズのレコードを聴いていたが、中学に上がるとジャズをもっと深く知りたくなり、新書のジャズの入門書を買った。まだインターネットなどない時代、それも沖縄という僻地に住む中学生にとってはジャズに関する情報は本で知るしかなかった。僕はこの新書を隅から隅まで何度も読み、大体のジャズプレイヤーについて、彼らの名盤とされるアルバムについて理解した。ネットでちょろっと聴くわけにもいかない時代、聴いたことないにも関わらず、知識だけが増えていった。
当時はCDが1枚2〜3000円の時代、中学生の僕にはいささか高すぎる金額だった。それで買うアルバムを厳選して、なけなしのお小遣いからお金を払ったのだった。
僕が初めて買ったアルバムはピアニスト、セロニアス・モンクの"Thelonious Himself(セロニアス・ヒムセルフ)"というアルバムだ。僕が父のレコードで散々聴いた中のマイルス・デイヴィスの"Round Midnight(ラウンド・ミッドナイト)"という曲がとてもクールでかっこよく、都会の夜のクールさをムンムンに醸し出していて中学生の僕を鷲掴みにした。そしてこれまで読んできた本で、この曲がセロニアス・モンクによる曲で、この曲を含んだアルバムで最も有名なのはこの"Thelonious Himself"というアルバムだと知っていたので、このアルバムを手にした。1957年リリース、レコーディングの計器類の前のモンクの横顔のアルバムで、実にクールなジャケットだ。
セロニアス・モンクはビバップという時代のジャズのスタイルを確立させたジャズ・ジャイアントで、今なお演奏される数々のスタンダードナンバーを作曲した一方、独特の彼の演奏スタイル、上手いのか下手なのかよくわからない朴訥としたヴォイシング、数々の奇行などでも知られている。
そしてモンクはソロアルバムが結構多い人で、この"Thelonious Himself"はその中でもよく知られたアルバムだ。ただ、初心者が1枚目に手を出すにはちょっとストイックすぎる。モンクの上手いか下手かよくわからないピアノソロが延々と録音されており、最後にはオマケとして"Round Midnight(In Progress)"という練習したりさまざまなアプローチを試す録音が収録されていた。
僕にとってはこれが自分で買った初めてのCDだったので、このアルバムの特異性もよくわからないまま、何度も何度も繰り返し聴いた。好き嫌いではなく、文字通り身銭を切って買ったアルバムなので、義務感のようなものから延々と聴いた。フレーズの全て、そしてモンクの息遣いのようなものまで聞き取って覚えたものだった。そしてまたお小遣いを貯めて次のアルバムを買った。次に買ったアルバムは曖昧でよく覚えていない。ソニー・ロリンズの"Saxophone Colossus(先徐フォン・コロッサス、通称「サキコロ」)"か、ビル・エヴァンスの"Waltz for Debby(ワルツ・フォー・デイビー)"あたりだったように思う。こうやってアルバムを1枚買うごとに、本で聞き齧った知識を確認して理解・納得して次へ進む。そういう行為で僕のジャズの世界は少しずつ広がっていった。
沖縄を離れ、福岡の高校に入ってもその傾向は変わらず、僕はコツコツとジャズのアルバムを買い集め、ジャズに関する本も買い集めて知識を広げていった。
そして大学進学して東京に住むようになると、手元で扱うお金が高校までとは違って大きくなり、一人暮らしで誰にも気兼ねなくCDやレコードをかけることができるので、ますますジャズの世界にどっぷりと嵌ったのだった。それに東京はさまざまな専門店があって好きなジャズプレイヤーのアルバムを買い揃えたり、さまざまなスタイルのアルバムを手にしたものだった。新宿DUGやイントロ、イーグルなどのジャズ喫茶、ブルーノートなどのジャズのライブハウス、そういうところにも出入りするようになった。東京は案外ジャズの街だったりする。
当時住んでいた雑司ヶ谷のワンルームの部屋の出窓を開け放ち、オーディオセットで低くジャズやボサノヴァのレコードやCDをかけながら月を見ながらジャックダニエルを飲む、そういう生活を送っていた。
そして今もジャズは僕の身近にある。手持ちのCDは全てMacで取り込んでiPhoneに入れており、車の中でもジャズばかりかけている。家でもiPhoneからBluetoothスピーカーでジャズをかけたり、僕が学生時代から使っているオーディオセットをリビングに設置しており、レコードでジャズを流したりしている。そして毎日のようにトランペットで練習するのもジャズの曲やそのアドリブだ。そういうわけで、今もなおジャズどっぷりの生活を送っている。
僕が父のレコードで初めてジャズに触れて40年以上、Thelonious Himselfを手にして36-7年経つ。これまでの僕の人生の大半をジャズと共に歩んできた。多分これからもそうだろう。
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