たからもの。
これは高校の時の物語。
わたしたちの青春の歌。
高校受験。
地元から出て、誰も知り合いのいない世界に飛び込んでみたかった。
「わざわざそんな遠いところに通う必要ないじゃないの。」という母。
着る洋服も、行く場所もずっと言いなりに生きてきた自分にとって、これが生まれて初めての母への反抗だったように思う。
新学期。初めてのひとりで乗る電車。
駅員さんに聞く、「○○高校ってどこですか?」
今のわたしは全てはここから始まったんだなあ、なんて言っても過言じゃない。
繁華街へ段ボールを集めに向かう文化祭も、
初めて髪に色塗りした体育祭も、
ピアノの猛練習をした合唱祭も。
どれもどれも色濃い思い出だけれど。
教室に向かう裏階段で友人と夢中になって聴いた「もしも。」
わたしの青春はここにあったなって、今でもたからものであり続ける歌。
あの頃はサブスク型の無料音楽配信も、Youtubeもそんなに浸透していなかったから。
友人が購入したばかりのスマートフォンに、CDから録音したこの曲を、
何度も何度もリピートしては、ここの歌詞がいいだの。10秒前に戻れだの、
わたしたちは人の目などお構いなしに話し続けた。
「いいなあ。私もスマホ欲しいなあ。。。」
有線イヤホンから左耳にだけに聴こえてくるこの曲。
周りの音が聞こえなかった。夢中になった。
あの無言の中に生まれる胸の高鳴りは、今でも覚えている。
それから、必死でギターで練習したあの頃。みなとみらいまで、自分よりも大きなギターに背負われながら、向かったことも。
クラス替えの前、カラオケで涙をこらえながら歌ったことも。
確かに、この曲は私たちの拠り所であり続ける。
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時は移り、雨が続いた先日、ご近所のレコードが数千と置いてある喫茶店に足を運んだ。
雨と音楽とコーヒー。
わたしのだいすきな組み合わせ。
そこでは、昔のロックバンドを懐かしむおとなたちの姿がある。
David bowieが流れる。
「昔はね、試し聞きができなかったから、レコードは大体気に入ったジャケットで、運試しに買ったのよ。それでもジャケットとあまりに違う曲風だっとがっかりしちゃったりして。」
自分で一生懸命稼いだお小遣いで、何回に一度、いや、何十回に一度、まさにこれだ。と思える曲に出会ったんだそう。
音と出会う場所。
過去と出会う場所。
当たり前にボタン一つ押せばどこでも聴くことのできる今この時代。
とても便利で。とても自由で。
ただ、いつも便利じゃなくてもいいじゃない。
流し聞きじゃなくて、大切に、丁寧に聴く時があってもいいじゃないか。
私のたからもの。
ありがたくも、RADWIMPSの曲は一部のみしかサブスクに入っていない。
この先も、わたしは時々この頃を懐かしむために、CDを流したい。
あわよくば、これからもサブスクには入らないでほしいな。なんて願ってしまっている。
そっと、大切にしまっておきたい、拠り所のようなうたなんだな。
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