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「三体」を読み終えたあなたへ

※三体シリーズ第一巻「三体」のネタバレを含みます。まだ読了されていない方は、本稿を読まないことをお勧めします。


愛の優先

葉文潔と1379号監視員はそれぞれ愛と理性を天秤にかけ、愛を選択した。4光年の距離に隔たれた両者がとった選択は、奇しくも同じであった。それはすなわち、母星文明への裏切り。

文化大革命の最中 父を紅衛兵に大衆の前で惨殺された葉文潔は、人類に絶望した。そして、大興安嶺で「沈黙の春」を読み人類の悪に対して理性的に考えることになる。文潔にとっては当たり前のことだった殺虫剤の使用は、大自然の立場から見れば、今自分が苦しめられている四害駆除運動,文化大革命と大差無い。この事実に文潔は自分では気づけなかった。自分から見て善または中立である行為が、別の視点では悪であることに自分で気づけないのならば、人類が犯している悪を、人類が自分で気づき更生するのはありえない。無数の観点が存在するこの世界では、人類の行為全てが悪になりうる。人類の行為全てが悪の世界など、存在する価値がない。
三体文明への応答をしないとしたら、それは理性的に考えたか、人類への愛が存在することになる。しかし、人類の行為全て、愛でさえ悪と考える文潔は、迷わず送信ボタンを押した。愛の無い世界は不要。
つまり、葉文潔は愛を優先した。

『自分がノーマルだと思っている行為や、正義だと思っている仕組みの中にも、邪悪なものが存在するのだろうか?』
『もし人類が道徳に目覚めるとしたら、それは、人類以外の力を借りる必要がある。』
(劉 慈欣. 三体 p.32. 株式会社早川書房)

監視ステーション1379号の監視員は、全てが生存のために費やされる三体文明に絶望していた。しかし、地球からのメッセージを受信し地球文明とその環境の美しさに感動する。そして、老いを感じてから考えるようになった自分の人生の意義を見出した。1379号監視員に残された時間はそう長くない。ならば、せめてあの夢のような楽園をこの醜い三体文明から守りたい。
「応答するな」とメッセージを送信しないとしたら、それは理性的に考えたか、三体文明への愛が存在することになる。しかし、全てが生存のために費やされる三体文明では、愛などの感情は生存に不利に働くため、忌避されている。三体文明を醜いと考える1379号監視員は、迷わず送信ボタンを押した。愛の無い世界は不要。
つまり、1379号監視員は愛を優先した。

『遙か彼方にある、あのパラダイスを失いたくない。たとえ夢の中であったとしても──。』
(劉 慈欣. 三体 pp.443-444. 株式会社早川書房)

『愛について語ることさえできません……元首閣下、このような人生に意味があるのでしょうか?』
(劉 慈欣. 三体 p.449. 株式会社早川書房)


両者は、自分の文明に対する絶望と、相手の文明に対する希望を抱いている。しかし、相手の文明への希望は自分の文明への絶望によって目を眩まされ、過大評価されている。三体文明を、人類の犯した悪を成敗する高度な文明であると考えた葉文潔、地球文明を、美しい環境に存在する楽園であると考えた1379号監視員。ただ実際は、三体文明は生存のためにならどんな犠牲も厭わない獣のような文明、地球文明は人類によって憎悪や戦争などが絶えない文明であった。絶望がいかに認識能力に影響を与えるかが良く表現されている。実際、感情を忌避している三体文明の元首は人類を、
『彼らは戦いを好む種属であり、きわめて危険だ。』
(劉 慈欣. 三体 p.448. 株式会社早川書房)
と冷静に分析できている。

自分の文明に対しての絶望を抱いた2人が、愛を優先した結果それぞれの文明を滅ぼすような選択をした。一見生存に有利に働きそうな愛が、結果として真逆の効果を示している。続編である「三体Ⅱ 黒暗森林」「三体Ⅲ 死神永生」でも愛と理性の選択を登場人物は強いられる。


愛は、文明にとって不必要なものなのか?


三体文明の本性

申玉菲の魏成への発言
『もし三体問題を解くことに成功したら、あなたは救世主になる。でも、いまやめたら罪人になる。もしだれかが人類を救うか、滅ぼすとしたら、あなたの貢献もしくは罪の大きさは、そのだれかのちょうど二倍になる』
(劉 慈欣. 三体 p.252. 株式会社早川書房)

この発言は、果たして正しいのだろうか。
申玉菲の考えでは、三体問題を解決することによって三体母星は救われる。その結果、三体艦隊による地球侵略の必要性が無くなり、三体艦隊は母星へと引き返し人類も救われる。一方、三体問題の解決を諦めると三体母星は滅亡し、三体艦隊の侵略によって人類も滅んでしまう。ある文明(人類)を救う、滅ぼすをそれぞれ+1,-1と定義した時、三体問題解決は+2,三体問題解決放棄は-2を意味する、したがって魏成の貢献もしくは罪の大きさは、1つの文明を救うか滅ぼす人のちょうど2倍になる。
この発言には三体文明の科学力,戦力への絶対的な信頼が根底にある。人類が三体艦隊を返り討ちにする可能性を一切考慮していない。彼女は三体艦隊の地球到来はすなわち、地球文明の滅亡を意味していると考えている。智子と星間宇宙船を製造した三体文明の科学力を考慮すると、確かにこの考えは高い確率で合っているだろう。
しかし、三体問題が解決したとして、三体艦隊は三体母星へと引き返すのだろうか?彼らはむしろ、確実に恒紀がいつか分かった途端、より安定して文明を発展させ、より強力な艦隊,兵器を発明し地球文明を侵略しに来るだろう。これは、三体元首の発言から推測できる。

『彼らは戦いを好む種属であり、きわめて危険だ。』
(劉 慈欣. 三体 p.448. 株式会社早川書房)

『どれかひとつの太陽の気体層が、いつなんどき膨張して、最後に残ったわれわれのこの惑星を呑み込まないともかぎらない。われわれにほかの選択肢はない。これに賭けるしかないのだ』
(劉 慈欣. 三体 p.452. 株式会社早川書房)

自分の惑星がいつ消滅するのかもわからない状況かつ、きわめて危険な種属が自分たちとたった4光年の距離にいる。この状態は明らかに三体文明にとって不利に働く。よって、彼らは必ず三体問題の解決の成否に関わらず地球文明を滅ぼす。つまり、魏成は三体問題を解決したところで文明に対しての罪または貢献は0であり、存在する罪は葉文潔一人の-1、存在する貢献も葉文潔一人の+1だけである。

従って、潘寒の発言
『もしあの天才が三体問題を解く完全な数学モデルをほんとうに見つけてしまったら、主は降臨せず、地球三体事業も瓦解するでしょう。』
(劉 慈欣. 三体 p.317. 株式会社早川書房)

も間違っていることになる。その場合、救済派であった申玉菲はともかく、降臨派の筆頭であった潘寒も間違っていたことになる。つまり、三体協会は派閥に関わらず三体文明に対しての理解が浅かった。科学力も未熟で、楽観主義である人類を、三体文明が「虫けら」と軽視するのは当たり前である。
しかし、いくら人類が虫けら同等の存在だからといって、古筝作戦についてマイク・エヴァンスに伝えないのは悪手ではないだろうか。作戦センターに智子を配置していない可能性は非常に低く、三体文明は古筝作戦についての情報を必ず持っていたはずである。実際、この作戦が成功を収めたことによって人類は三体文明への深い理解と、科学を殺していた真犯人を突き止めることができた。これは三体文明にとって明らかに不利に働いている。

三体文明は何故、三体協会を見捨てたのだろう。









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