大病院のカフェ

年齢ははっきりわからないが
ある若い母親が病院のカフェに立ち寄った。
幼い子供を連れていてきちんと注意しながら子供を見張りながらカフェの支払いだか、注文したりしていたのだろう。
目をちょっと離した隙に子供がパンを触ってしまい、型崩れした品は母親が買い取りをカフェ側からお願いされた。
それをSNSで発信すると
「当たり前だ」という意見と
「世知辛い」「子供が触っただけなのに」
と軽く話題になった。

私の父は約10年前、病気で他界した。
ふとした軽い検査で異変が見つかり
すぐに大病院での検査の予約を入れられた。父は最新鋭の検査が出来ることに浮かれていた。
こんなこともした、こんな感じだった。
こんな検査もした。
大冒険のつもりだったのだろう。
しかし検査結果は末期癌で余命2ヶ月。

医師は父がひとりで受診し、検査結果を聞きに来たので
そのまま伝えてしまったのだ。
実は気が弱い父なのに。
70歳だった。

病院から泣きながら母に宣告されたと電話を掛けてきたという。

子供である私たち姉妹は皆、遠くに嫁いでいたので母親から聞いた。
抗癌剤治療が始まる。抗癌剤治療は通院。
1回目だけは様子見だろう入院したが、後は通院だ。
父の唯一の楽しみは病院の中にある某コーヒーチェーン店。カフェだ。
それまでは無縁だったカフェに行くようになったらしい。
やがて抗癌剤治療は中止。
副作用がひどいのと、
「もう遅い」のだという。

入院になった。夜は母が泊まりこみ、遠くの私たち姉妹は実家に帰省し、昼間母親と交代することに。
完全看護だから付き添いは不要だが、母親は夜も病院にいた。

父はカフェに行きたがった。
もう行けない。行かせても貰えない。
病棟ではすでに飲食物は持ち込み禁止になっており、コーヒーをテイクアウトして香りだけでもと思うがダメだ。
病院の歓談場所でお弁当をこっそりと付き添いは食べる。

母親と交代する時に私はカフェに立ち寄った。
街中でよく行くカフェと全く同じ。

メニューも同じなのに。ハローウィンの飾りやハローウィンコラボメニューもあった。

全く美味しくない。味がしない。他のお客様で泣いている人もいた。交代するのだから寛ぐ事もできない。ただいつものアイスコーヒーを流し込むだけだ。

ハローウィンがやがてクリスマスバージョンになり、ぬいぐるみとお菓子の詰め合わせセットを姉妹の幼い子供に買って帰った。幼い子供たちは何もわかっていないのだ。


いつものアイスコーヒー。
パンやサンドイッチ、ケーキははっきり書くが気分転換や忘れたくて
甘いものが食べたい。

包装されたパンやサンドイッチを手に取りレジに向かう。
もし、そのパンが誰が触った形跡が残っていたら。
指で押したかもしれない箇所があったら。
あの時の私ならばカフェで
「誰か触ったでしょう!」と発狂していただろう。
カフェなのに、お客様はどこかピリついているのだ。
私は飛行機や新幹線で帰省している。家族がいるから行ったり来たりなので交通費はバカにならない。
実家から病院までは毎回タクシー。

私の夫や子供は。家の中はどうなっているのか。なぜ私は遠く離れた実家、地元の大病院のカフェにいるのか。これからどうなるのだ。そして父はいつ亡くなるのか。

半年後の寒い夜中に父は亡くなった。

病院のカフェ、と聞いてあの冬を思い出した。父がまた行きたいと行っていた病院のカフェ。真夜中に急変した父。寒い夜だった。ストレッチャーはカフェの近くのドアから父を乗せて。
最後はカフェのコーヒーの香りをも運んでくれただろう。

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