東日本大震災の記憶

こんばんは、桃愛です。

東日本大震災から13年。過ぎてしまったけど書かせてください。

私は福島県の中通りに生まれ育ちました。
当時は小学1年生で下校中に地震が起きました。
その日は特に仲良しだった男の子2人と下校していて、その場から動けず私たち3人は何が起こったか理解できなかったように思います。すぐに1人の男の子のお母さんが迎えに来てくれて、家まで送ってくれました。

家に着くと玄関には集めていたペットボトルのキャップの入れ物が倒れ、散乱していました。
玄関近くの部屋より先は危ないからと入れてもらえなかった記憶があります。その玄関近くの部屋の机の下で毛布にくるまっていなさい、と祖母に言われました。
そんな祖母は当時67歳、うちは冷蔵庫とテレビと食器棚が横並びになっていた(らしい)のですが、地震発生後倒れてくるそれらを手と体で押さえていたらしいです。初めて聞いた時は「なんでそんなことしたの!?」「危ないよ!!!」と母と2人で諭しましたが祖母曰く倒れそうになる家具家電たちを見て咄嗟に体が動いたらしいです。本人は若かったねえと震災と転校の話が出る度に笑い話のようになっていますが、みなさんはくれぐれも自分の身の安全を最優先に考えてくださいね。

母が帰ってくると車で過ごし、夜になったら母たちは警戒しながらも玄関近くの部屋で寝ることを決めたようです。そのときの私の思考回路だけは覚えていて、布団の頭の上に机付きロフトベッドがあってそれが倒れてきたらなんとか隙間に入り込もう!!と何度もイメトレして眠りにつきました。

津波の被害はなかったけれど大きな地震でとても怖かったし、放射能の影響で色んな制約を受けました。そして私は2年生の夏に転校しました。震災だけが理由じゃないと後から知ったけれど、震災がきっかけになったのは紛れもない事実で、転校後の馴染めなさも相まって人生が大きく変えられた出来事でした。

当時を知らない世代が小中学生になったと聞いて、そんなにも時が経ってしまったのかと驚愕します。けれど確かに7歳だった私はお酒を飲める歳になってしまったし、あっという間のように感じるけれど長い年月でした。

東日本大震災の記憶でした。ではまた。


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