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ミニマリストになった経緯 ②資本主義からの解脱

どうも、ミニマリストオタクFPです。
ミニマリストになった経緯について、モノに対する執着がなくなったところまで書きました。

モノを手放しただけではまだ思考回路はどっぷり資本主義に支配されており、お金と仕事への執着に縛られている状態でした。
「年収は高い方がいいし、そのために仕事に追われるのは仕方がない。お金はあればあるほどいい、節約して資産運用して増やさないと」
そういった執着から解放されるには社会人になって10年ほどかかりました。
私の視点を変えた2冊の本から引用しながら振り返りたいと思います。


視点を変えた本①働き方の損益分岐点

「金持ち父さん 貧乏父さん」と「資本論」をベースに資本主義の仕組みについて分析し、その中で働くというのはどういうことなのか、どのように働いたら楽になるのか、ということを解説した本です。
全体的に文章が読みやすいですし、「なぜ窓際おじさんの給与は高いのか」にも答えてくれるなどユーモラスです。会社員としての働き方について、なぜ自分の給与は上がらないのか、なぜ働いていて苦しいのか、など思い悩んでいる方におすすめしたい本です。

気付きその1:会社員は労働力を商品化している

会社員は会社からお金をもらって、会社のために働いています。これはつまり「自分の労働力を売っている」ということです。
ここでひとつ、とても重要なことをお伝えしましょう。
それは、
労働力も「商品」である
ということです。

人生格差はこれで決まる 働き方の損益分岐点(木暮太一)

新卒で入社したのがベンチャー企業だったこともあって、若いときは「会社のために自分を犠牲にして頑張る」のマインドが強くありました。長時間労働は当たり前でしたし、ノルマでメンタルを病んだことも多々ありました。
ただ、会社員の労働について客観的に考えてみると、会社と雇用契約を結んでいて、私は決められた時間働く、会社は決められた給与を払う、というただそれだけなんですよね。資本論的に言うと、労働力を商品化しているということ。
健康や自分の時間を犠牲にしてまで会社のために働かないといけないというのは、思い込みなのでは?会社との関係ってもっとドライで良いのでは?そんな視点を得られたと思います。

気付きその2:賃金は労働力の再生産コスト

ワーキングプアという言葉が当てはまってしまう人から年収1000万円の高給取りまで、みんながみんな「自分の生活には余裕がない」と感じているのは、給料が「必要経費分」だからです。
必要経費分しかもらえない、つまり「必要以上」はもらえないのです。

人生格差はこれで決まる 働き方の損益分岐点(木暮太一)

日本企業で考えると、高給取りの人は一般的に、仕事で多大な責任やプレッシャーが発生して、体力や精神力を回復させるためにより多くの費用がかかります。時間が貴重なので、移動はタクシーになったりもするでしょう。
このようにたくさん経費がかかるから「高給」なのです。

人生格差はこれで決まる 働き方の損益分岐点(木暮太一)

要するに、給料の高さはストレス度に比例するということと解釈しました。そりゃ平社員より課長の方がストレス度が高いし、課長より部長の方が・・と考えていくと、昇格によって年収が上がっても楽にはならないんですよね。
私はバリバリの成果主義の会社の中で身を粉にして働いていたため、新卒時から5年目までに年収は約2倍になりましたが、それに伴って年々摂取するストゼロの量が増えました。このまま続けるのはサステナブルではないと思って転職したので、この考察には首がもげるほど頷きました。

この本では解決策として、自分にとってストレスを感じにくい仕事を選び、積み上げができるスキルを習得する、ということが挙げられています。
私は現在不動産ファイナンス関連の仕事をしていますが、興味のある分野のため感じるストレス度が低いですし、知識の積み上げもできる職種だと思って選んでいます。
転職前のタイミングでこの視点を得られたのは良かったです。

視点を変えた本②岩井克人「欲望の貨幣論」を語る

タイトル通り、経済学者の岩井克人さんが「欲望の貨幣論」について語るという内容で、NHK番組「欲望の資本主義」シリーズの本ですが単体でも読めます。
貨幣とは何なのか?について様々な観点から考察されているのですが、その中でもアリストテレスの「政治学」「ニコマコス倫理学」を元に貨幣について分析している章が私の心に突き刺さりました。

貨幣の起源に思いを馳せてみると・・

物々交換の時代を想像してみます。
私は魚を持っていて、靴が欲しいです。そうすると、靴を持っていて、魚が欲しい人を探さなければなりません。そんな人なかなか見つかりませんよね。
そこに貨幣が登場すると、私は魚を一旦貨幣に替えて、そしてその貨幣を使って靴を手に入れることができます。
貨幣って便利ですね。

貨幣が生まれた時点では、その先に明確な欲望の対象があったはずです(前述の例えでは、靴が欲しかった)。
しかし、貨幣が浸透した現在、人々は貨幣それ自体を欲するようになった。それはなぜか?

気付きその3:無限の欲望を叶えるために貨幣を欲望している

まさに「どのようなモノ」とも交換できる手段であることによって、すでに述べたように、どのようなモノでも、必要が生じたときには、貨幣を持っていけば手に入れられるのです。それは、言い換えれば、貨幣を持っていれば、どのようなモノでも手に入る「可能性」が与えられるということです。

岩井克人「欲望の貨幣論」を語る(丸山俊一、NHK「欲望の資本主義」制作班)

「可能性」それ自体としての貨幣──その貨幣に対する欲望には、限りはありません。無限です。
「無限の欲望」──人間は、貨幣の出現によって、まさに無限の欲望を身につけてしまったというわけです。

岩井克人「欲望の貨幣論」を語る(丸山俊一、NHK「欲望の資本主義」制作班)

人間には想像力があり、まだ経験したことのない魅力的な何かを手に入れることを無限に想像できる。だから、人々は何にでも交換できる貨幣を無限に求めるようになった、というのが岩井さんの見解です。
これには、確かに!と唸りました。

翻って自分の欲望について考えてみる

この本での指摘を踏まえて、自分が貨幣(お金)の先に欲望しているものは何なのかを改めて考えてみました。
すでに物理的にはミニマリストなのでモノはいらない。旅行とか学びとか様々な経験はしたいけれども、時間にもエネルギーにも限りがあるから、そんなにたくさんはできない。
そもそも、お金を使わなくても読書や散歩や創作活動などで余暇は楽しめる。好きな人たちと楽しく時間を過ごせるなら、お金をかけた遊びをしなくてもいい。

ーーあれ、お金って、そんなにいらなくない???

資本主義からの解脱

というわけで、自分の時間や健康を犠牲にしてまで会社に尽くしたり、無理に年収を上げようとしたり、資産額を目標にしたりするのをやめました。お金はもちろん大事だけど、あくまで欲望を叶える手段なので、必要な額を稼いで楽しく暮らせていればOK。

引き続き会社員として働いていますし、労働によってお金を稼ぐ表向きの行動自体は変わっていませんが、心はもう資本主義的サイクル(他人と比較して上を目指す、競争する、多くを求める)から離れています。
「資本主義からの解脱」というのは、その精神性を表現しています。
※解脱=人間を縛っている様々なものから解放されること




と、以上がミニマリスト(物理&精神)になった経緯です。
思ったより長くなってしまった・・
読んでいただいてありがとうございました。


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