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グレードが甘かったり、辛かったりするのは、なんで?


ボルダリンググレード

課題の難易度を数値で表すシステムです。

日本では段級グレードシステムが草野俊達さんによって提唱され、柔道や書道などで使われるようなモデルが定着しています。

数値によって難易度を表すこのグレードシステムですが、完全に難易度を表しているとは言えません。

クライマーによって感じ方の変わるボルダリングの難しさには幅がありますが、システムとしての数値に幅はありません。

数字とは厳格で排他的であるからこそ機能するものです。1と1.1は違います。1.001も1ではありません。

そういった数字の厳格さを、解釈に幅のある人の体感に当てはめることはかなり厳しい試みです。ではどのようにグレードと付き合っていくのが良いのでしょうか。

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グレードの役割

例えばクライミング初級者が、一見簡単そうに見える高さのある課題に挑戦して、途中までは簡単に登れたものの、上部に難しさがあり、その難しい場所を超えることができず降りようとします。しかし降りる方が難しいので降りるに降りれず、、、という場合、かなり危険です。

もし上記した課題にグレードがついていた場合、自分が登っているグレードよりもはるかに高いグレードがついていたら、きっと挑戦しないでしょう。

怪我をしないため、危険を減らすためにグレードは有効です。

登るまで分からないのがグレードの無い世界ですが、グレードがあることによって登る前にある程度のリスクマネージメントを行うことができる、というのがグレードシステムの利益です。

また、おおよその難易度を知ることにより、自分自身の成長速度を確認することができますので、ステップアップのためのツールとして使うこともできます。

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道の精神

エリアによって同じグレードでも、難しいものや、簡単なものがあります。これは先ほど書いた「人間の体感を数値化することはできない」ことに起因しますが、もう一つユニークな原因があると私は考えています。

それは段級グレードに基づくものです。日本人には「道」という考えがあります。茶道、剣道、など、ただの楽しみではなく「道」を極める行為の中に、一種の精神的、つまり神聖なものを感じるのでしょう。

1級、初段、2段、3段。私自身、この辺はかなりグレードに幅があるように感じます。

それはやはり我々の中に無意識に存在する「段」に対する憧れであったり、畏怖であったり、そういった精神的なバイアスがどこかではたらいているのだと思うのです。

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vグレード

ここでアメリカのグレードシステムを紹介します。アメリカではvスケールというグレードシステムを用いています。

アルファベットの“v“の後に数字が付き、その数字が大きくなると難しくなっていきます。

Vは“Vermin“のvです。「害虫」や「ならず者」といった意味があります。

アメリカのフエコタンクスという岩場でよく登っていたJohn Shermanさんがvグレードの提唱者ですが、彼のニックネームが「ならず者」“Vermin“でした。

そこで彼のニックネームの頭文字をとって”v”グレードシステムとしたのです。

ちなみに1980年代にvグレードが提唱される以前は100本近くあるフエコタンクスのボルダリング課題は全てグレードが無く、トライするか否かはクライマー自身の能力に委ねられていました。

John Shermanさんとその仲間たちによってフエコタンクスで生まれたVグレードは、アメリカで有名な出版社チョックストーンプレスに取り上げられたことにより、その後、北アメリカ、南アメリカへと広がり、東南アジア、そしてオセアニアへと拡大します。

vグレードは十進法ですので、日本の段級グレードと違い、単純な数字の並びです。心理的にもバイアスがかかりにくいシステムだと思いますが、それでも「グレードに関する議論は今でも続いている」と言われています。

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まとめ

グレードはあまり囚われすぎず参考程度にする、というのが私のスタンスです。

雑な言い方になりますが、私の中のグレード感覚というのは3種類しかありません。簡単、適度に難しい、難しい、です。ただし開拓した岩場を雑誌に公表するときはこれではいけませんので、そのときは仲間に聞いたりしながら、なんとなく決めています。

グレードを気にするあまり、登ることの楽しさを減らしてしまっては損です。楽しむことを大切に、上手にグレードと付き合っていきましょう。


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