<新タイトル>食日記1:「生きる」って何かを令和4年に向けて考えてみた!

今日は12月16日(予定投稿日の13日前)に投稿する原稿を執筆中です。
片手間で、今年1年間お世話になった家の50cmの小さなまな板に、
キッチンペーパーを敷き、上からキッチンハイターをかけて、フライ返しで紙とハイター液を同時に伸ばしながら、真っ白になれよと念じながら、
記述しています。

生きることが苦痛になってきたタイトな時代だからこそ、70歳まで生きて
きた私なりの、
「生きる」ことについての体験などを綴ってみます。

■1960年(60年前)の子供のころの「生きる」

  はっきり言って、時代的には生きのびるために食う!でした。

生きていればこそ、頑張ればどこかで望みは叶う!
~高度成長前の貧乏な世の中でした

  これしかありませんでした。
多分望みがかなわなかった人も多くいます。
その頃は、55歳を超えればもう「老人」と言われており、小学3年生頃の
私の眼には、この人たちは腰が曲がり、杖を突いていました。
今の老いた80代の方のイメージですね。

収入確保が最優先で仕事は選べなかった
~仕事の選り好みなんてとんでもない時代

  今の世の中のように、仕事の選択にわがままな(当時の感覚)選択は、
一切できませんでした。
娘さんは、親が決めた結婚を承諾して嫁ぐのがまだまだ当たり前でした。
家長の権限が絶大で、私の父親には、いつもお酒と刺身がついていて、
毎夕食が特別食でした。

給料が足りなければ、
新聞配達や農家の手伝いなどをして、
副業をすることなどは当たり前でした

~必要な金は何としても稼いで集めた時代だった

  何せ1家族2人~5人の子供はザラにいましたから、なりふり構わず
稼ぐことは、至極当然のことでした。
幼稚園の頃は真空管ラジオでした。中をのぞくと、宇宙船の中のような
ものが5本くらい淡いオレンジの光を放っていて、きれいでした。
それから、モノクロテレビに移り変わる時代でした。

食べる・衣服を買う・学資を支払うことなどが精一杯の
時代でした。

今のように現代的な生活になっても、一面では、
昔の生きることへの大変さと同じ状況が、最近は身の回りに
多く感じ取れるようになりました

もう一度あの頃のように、
生きることに執着して、
金を手に入れた時代をまねてみたらいいかと思います

  考え方や見かたを変えれば、
今より少し前は、心豊かな飽食の時代がありましたが、
今それを今も同じ時代と錯覚するのはストレスを生むだけと思います。

もう日本は中流意識も通用しないし、
他国に比べてエリート意識を持つこともかなわない
時代に生きていると思います

人間は原点に返れば、
自分を助けてくれるのは「自分」しかいない
ひとりでこの世に生まれたから

これを冷たいと思わずに、当たり前のことと思ってほしい
多くの人が自分のことで精一杯でしょうから

そして明日に向かって、
令和4年に向かって
力強く1歩を踏み出しましょう!
あなたも私も

良き新年をお迎えください。
必ず6か月先にはコロナ禍の終息に向かっていると思います。
もっと先まで元気に生き続けましょう!
明日に向かって進め!ですね。

(了)



飲食コンサルタント業30年の経験を通じてお知らせしたいこと、感じたこと、知っていること、専門的なことを投稿しています。 ご覧になった方のヒントになったり、少しでも元気を感じて今日一日幸せに過ごせたらいいなと思います!よろしければサポート・サークル参加よろしくお願いします