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GOROGOA が見ている(ゲーム感想)

友人にオススメされたゲーム "GOROGOA" をクリアした。興奮が冷めやらぬうちに感想を記しておきたい。

ゲーム開始。画面上に表示された 2 × 2 マスのパネルに、物語が映し出される。オープニングムービーもチュートリアルもなく、いきなり作中世界に放り投げられる。プレイヤーは簡単な試行錯誤を通じて、自力でゲーム内世界のルールを習得する必要がある。

このゲームの目的は、 5 つのフルーツを集めること。各フルーツの獲得までがチャプターに分かれており、各チャプターは荒廃した都市や遺跡、書斎、山岳地帯、星空など多岐に渡るステージで展開される。プレイヤーはパズル操作を通じて主人公の少年を導き、フルーツを集めることになる。各ステージのデザインは細部に至るまでかなり凝っており、東洋風の独特の世界観が現れている。

このゲームの主な魅力は以下の三つだろう。

心地よい操作感

一つ目は、何よりもパズル操作の心地よさだ。

パズルを解く操作が、そのまま物語を進めることに対応している。基本操作はシンプルで、パネルをスライドさせ、隠れていた新たなパネルを表示したり、パネルをタップしてイメージを拡大・縮小させることに限られている。パズルを解くためには、上記の基本操作を通じてパネル上に展開されるストーリーを繋げていく必要がある。そこで、ゲーム世界の空間的・時間的スケールを自在に変更して、試行錯誤をする楽しみが生まれる。プレイ体験は、釈迦が孫悟空をもて遊ぶようでもあり、シュルレアリスム絵画の中を彷徨うようでもあり、まさしく融通無碍といった感じ。

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もちろん、ゲーム内世界の自由度が高いということは、プレイヤーからすれば、パズルの解の選択肢が膨れ上がるということも意味する。そこで重要となるのが、ゲーム内に登場するアイテム同士の類似点を見逃さない観察力だ。もっとも GOROGOA ではパネル中から怪しいと思われる点がハイライトされるため、実際に検討すべき候補の組み合わせは限られてくる。

そこで、ゲームには二通りの楽しみ方が生まれる。一つは、論理的にストーリー上の必然性から考えてとりうる操作を推定すること。たとえば、画面上の吹き出しから推定するに、この場面で登場人物は何を必要としていると考えられるか?などだ。もう一つは、操作可能な対象に対して、可能な操作を直感的に当てはめていくこと。パズルゲーム一般について当てはまるかはわからないが、これら二通りの楽しみ方をスイッチする楽しみは、このゲームの大きな特徴だといえるのではないだろうか。

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イメージの連鎖

二つ目の魅力は、ストーリーを進める上でイメージが大きな役割を果たしているという点だ。GOROGOA の大きな特徴として、スタート時からクリアまで画面上に言語情報が一切ないという点が挙げられる(背景に登場する作中世界の記号は除く)。物語はすべてパネル上に投影された世界の中で進行する。パズルを解くために重要なファクターは「連想」だ。プレイ中に目にした、ゲーム内で起きる現象が鍵となり、次のパズルを解くきっかけが得られるといったことがしばしば起こる。言語や数字を使ったパズルとは異なる頭の使い方が求められ、新鮮に感じる方も少なくないだろう。発明家が、日常生活で出くわした偶然の現象から新たな発明のきっかけを得ることをセレンディピティと呼ぶそうだが、本作でパズルを解く体験は、セレンディピティの擬似体験に近いといえるかもしれない。

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謎めいたシナリオ

三つ目は、謎めいたシナリオだ。そもそもタイトルの "GOROGOA" が何を意味するかさえ定かではない。物語の背景に文字通りうごめく、大きな目が印象的な謎めいた存在を指すのか、物語中で集めるアイテムを指すのか、全く別の何かを指しているは謎のままだ。

前述の通り一切言語情報がないため手がかりは乏しいが、そのため無声映画のようにストーリーを楽しむことができる。チャプターごとにアイテムの入手というおおよその目的が存在するため、全体を通じては主人公の少年による時空を超えた冒険譚のようには見える。だが細部の脈絡は失われており、まるで夢を見ているかのようにイメージが飛躍して物語が進んでいく。かといって白昼夢のように幻想的なイメージの連続なわけではなく、むしろ悪夢を見ているときに悪い予感が当たるような必然性を持って転がり落ちていく。

プレイ後に思い返してみると、作中の人物は夢で会った人物のように掴み所がない。個人的には、青いフルーツのチャプターに登場する、仏教的な修行者が好きだ。作中でところどころ現れる仏教的なモチーフの数々(同じ動作を繰り返す修行者のカルマのイメージ、法具のようなアイテム、マニ車?)からは、 "GOROGOA" が神秘的な存在であることを示しているようにも考えられる。

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おわりに

非言語ゲームのため、プレイ中の様子はまるで夢を見ているようだった。いや、夢でさえ言葉でやり取りすることはあるし、夢以上に非言語的で夢らしいとさえいえるかもしれない。他人の夢ほどつまらない話はないと言うが、この感想文も読者にとってはそのようなもので、何の共感も湧かないかもしれない。だが夢のままで終わらせるにはあまりに勿体ないので、ぜひ実際にプレイしてみてほしい。プレイ時間は短めで、初見でも数時間程度でクリアできるだろう。美しい悪夢を見たような放心状態を楽しみたい方にはうってつけだ。

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