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最期まで家で笑って生きることができるか?

【現役産婆うっしーの神官見習い日記.19】

前回の記事はコチラから

義母の人生最後の縁日祭から2週間が経った頃、少しずつ食事量が減り、


痛みやだるさ、発熱することが頻回になってきて医療麻薬の量が増えました。

糖尿病もあり、インシュリンを使った血糖値のコントロールもしていましたが、

果物や甘いものが大好きな義母には、食事制限は難しかったですね。

医師からも「血糖値は気にせんでいいです。僕たちがコントロールするから、好きなもの食べていいですよ。」と言われてからは、

本当に、好きなものだけ食べさせました。

子どものようにニコニコしながら大きなスプーンでゼリーやスイカ、桃をほおばる義母を見ていると

幼少期はなかなか食べたいものも食べられない生活だったと聞いたことを思い出し、

「あの時の分までいっぱい食べましょう」って思う存分食べさせてあげました。


もともと「排泄はトイレでするもの」「部屋にポータブルトイレなんて……」という意思があった義母にとっては夜間もトイレに歩くのが当たり前。


トイレに歩くため、夜間も家族が交代で付き添うようになってからは医療麻薬の量もさらに増えました。


起き上がり動作に伴う痛み、だるさを取り、楽にしてあげる分、
朦朧とする時間は多くなります。

そうすると、義母の様子にもいろんな変化が出てきました。

・トイレに行きたいけど立ち上がれない
・足が浮腫んで転倒
・会話が成り立たない
・こちらの指示が入らない
・子ども返り
・夜間もせん妄状態に。


ある時は、真夜中にトイレのために起き上がりベッドサイドに座るも焦点は合わず、

立ち上がろうとしては座り、歩こうとしても歩けず

車いすに乗ってトイレに行こうと促しても、車いすが何なのかがわからなくて拒否。

朦朧としながらも自分でやりたい意思が強いため、
歩行時に手を貸して体を支えることすらも拒否したり

しまいには不穏状態に。

真夜中に4時間、家族3人がかりで格闘し、
夜も明け始めた頃、限界を感じて訪問看護師さんに助けを求め、

不穏状態の為セデーション(鎮静をかけて落ちつかせる)してもらうこともありました。


夜間の睡眠が確保できないと付き添う家族が疲弊するという、これまた在宅介護の現実に直面することになりました。

人がせん妄状態になった時って、元々の気質や長年の生活習慣が如実に現れるんですね。


義母は元々キレイ好きで、日常のしぐさにも机の上のリモコンやティッシュ、コップ、筆記用具などをきれいに整理整頓するという習慣が身についていました。

リモコンやティッシュ、雑誌などがキレイに並べられてないとイヤってやつでしょうね。

私には全くナイ感覚なので、よくわかりませんが(-_-;)

その整理整頓の習慣のおかげでとてもきれいなおうちでした。


なので、せん妄状態の中廊下を歩行するする時も通りすがる時にテーブルクロスがちょっとズレてるのを見つけてはそこに手を伸ばし、

倒れかかりながらもテーブルクロスのズレを直す(キレイに整える)ことをやっていたので、

倒れようとする義母を支える家族も「倒れながらもそんなとこ、気になるんか―いい!!」とツッコミを入れる始末。

いやはや、

もし、自分が同じような状況になったとしたら、

せん妄状態になっても普段の習慣が露わになって出るとしたら

わたし、何やらかすんだろう……

と思うと、ちょっと怖くなりました。


義母は意識朦朧となり、せん妄状態になりながらも「○○さん(自分の名前)がんばるよ、よし!」と自分に言い聞かせ、

息子の顔を不思議そうにじ~っと見つめたあと、一瞬ハッと我に返ったかと思うと「○○くん、頑張ってください!!」とはっぱをかけていました。


義母は常に人を励まし、支えてきた人生だったんだなと。

そして、自分にも厳しく、

「なにくそ、見返してやる!がんばるぞ!!」の精神で生き抜いて来たんだなと強く感じました。


というのも、

おじいちゃんが亡くなってこの1年間の間に、仏壇の前に座ってお線香をあげながら

「あなた、今どこで何してるの?がんばってくださいよ!!」とおじいちゃんの遺影に話しかけているのを何度も見ました。

そして、私は失笑しながら「亡くなってからも頑張らんといけんのですかっ??」と聞くと、

「そうよ!亡くなってからがまた修行よ」と。

ゴーン。
ぽく ぽく ぽく。
( ̄◇ ̄;)


人生修業が終わっても
まだまだ死んでからも
魂の修行は続くそうですよ。


まだまだ修行は続く


それにしても、ご飯やおかずが食べられなくなってからも

のど越しのよい、もも、なし、いちじく、ぶどう、スイカ、ゼリーは

がっつり食べられたというのは、ほんとにホッとしていて、

桃をあっという間に平らげてにっこり微笑む姿はとっても可愛らしかったです。


こんなやり取りをしたのも束の間、

自分の足で歩いて庭を散歩してから11日後、
さいごに桃を食べてから7日後に
今世での修行を終え
新たな修行へと旅立ちました。

享年80歳。

奇しくもおじいちゃんの月命日と同じ日

さらには、

おじいちゃんが生前、力を注いでいた活動団体の合同慰霊祭。
そこに義母も出席予定だったその同日・同時刻に
義母自身の告別式が重なりました。

さいごまでおじいちゃんに寄せていったね。



義母が好きだったユリ、これからも咲きますよ


在宅看取りを経験してわかったこと。
最期まで家で笑って生きることは、できます。

家族を支えてくれる専門家の力を借りれば
おひとり様でも家で笑っていけるのです。

全てなるものの創造主よ
父なる天よ
母なる大地よ
火よ
風よ
水よ

今日、このいのちに感謝します
私たちを支えてきてくれたいのち
すべてに感謝します

義母のいのちに感謝します

義母と巡り逢わせてくれたこと
義母とご縁をいただいたこと
今世のみならず
過去世においても

これまでにたくさんの愛と刺激を頂いたことに
感謝します

ありがとうございました。


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