蒲郡 石FIN:性器崇拝の岩神
蒲郡市(がまごおりし)捨石町 捨石神社(素盞嗚神社)から同じ蒲郡市の西南西1.3km以内に位置する岩上神社(いわがみじんじゃ)に向かいました。
幹線道路を経由して西に向かうと、東西に延びる道路に面して玉垣が巡らされ、南々西を向いた石造大鳥居のある社前に到達した。
大鳥居の社頭額には「岩上神社」と浮き彫りされている。
鳥居の左手には「村社 岩上神社」と刻まれた社号標。
社頭から大鳥居をくぐり抜けて、コンクリートでたたかれた幅の広い表参道が奥に延びており、その正面には銅板葺の庇屋根の目立つ社殿が見えている。
社頭の向かい側の歩道に愛車を駐めて、大鳥居をくぐると、参道の両側には対になった、背の高い常夜灯。
常夜灯の台座には四方に対になった龍(ヘッダー写真)と波の浮き彫りが装飾されていた。
常夜灯は対になった1基だけではなく、社殿に向かって他にも複数の常夜灯や石灯籠が表参道の両側に並んでいる。
最初の常夜灯の間を抜けて奥に進むと、2基目の常夜灯の奥に石橋が架かっている場所があり、橋の手前を水路に沿った一般道が表参道を横切っていた。
正面にはニノ鳥居や瓦葺の社殿が見えており、それを濃い社叢が包み込んでいる。
石橋の上から水路を見下ろすと、石垣で護岸された水路は思ったより深く、2m以上の深さがあった。
上記の地図でこの水路を見ると、現在よりも幅の広い用水だったようで、その用水を整理して幅が狭くて深い水路に改変したようだ。
石橋を渡って、ニノ鳥居をくぐると、正面の拝殿は瓦葺入母屋造の屋根の庇部分の屋根を銅板葺にした、あまり見ない屋根を持つ建物だった。
近くにやって来るまで、この銅板葺の屋根が何の屋根なのか見当がついていなかった。
拝殿前に上がって参拝したが、拝殿正面の舞良子(まいらこ)を張った板壁にはプリントアウトされた「岩上神社 祭神」と「由緒」に関する情報が張り出してあった。
両方の情報を要約すると、以下のようにある。
大己貴命と猿田彦命は天孫族がやって来た際、すでに先住していた神である。
つまり縄文人である可能性があるわけだが、果たして祀ったのは出雲大社のように天孫族なのか、縄文人の子孫なのだろうか。
拝殿の左脇に回ってみると、幣殿の裏面には高さ5m近い石垣を組んだ土壇があり、その上に設置された本殿覆屋に沿うように、太い注連縄の張られた、高さ5mほどある巨石「岩神」がそびえていた。
岩神の脇には根元から幹の別れた古木が岩神よりも高く幹を伸ばしている。
岩神の麓の左右には、この岩神を守護する対になった狛犬が設置されている。
岩神を真下から見上げると、凄い迫力だ。
巨石の麓には朱文字で「岩神」と浮き文字の入った神名標が掲示されている。
その真下には石造の廃材になったものなどが置かれていたが、その中には狛犬の浮き彫りされた何らかの部位の断片も見られた。
それはともかく、石垣の上に上がるルートはないものかと探すと、拝殿の左手(西側)の端に石垣上に上がる石段が設けられていることに気づいた。
その石段を途中まで登ってみると、岩神の裏面、本殿覆屋の脇にも巨石が頭を出したり、丸岩が転がっていた。
岩神から現在の海岸線まで840m以内で、石質も、さっき大巌神社(おおいわじんじゃ)で見てきた雨乞巌(あまごいいわ)と同じ珪質片麻岩である可能性があると思われ、やはり形成されてから海底から隆起したものである可能性が考えられる。
この巨石も丘陵の麓近くに位置していることが共通している。
だが、その形状は雨乞巌とは逆に陽石とみられ、恋愛成就、夫婦和合、安産と子育てに御利益があると伝えられているという。
拝殿の東側に回ってみると、石段や社殿が階段状になっていることが判った。
最上階の本殿覆屋は瓦葺入母屋造棟入の、本殿覆屋としては見たことの無い建物だった。
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蒲郡には4つの温泉街が存在し、三河湾に面する観光都市となっており、昭和9年に建設された国際観光旅館である常磐館の洋風別館「蒲郡ホテル」は三河地方を代表する歴史的建築物となっている。標高が低い地域であることから、蒲郡市には縄文遺跡は存在しないだろうと思っていたら、縄文時代早期の形原遺跡(かたはらいせき)が形原町に存在するという。ただ、土偶に関する情報は無い。
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