見出し画像

麻生田町大橋遺跡 土偶A 123:ハロー針ネズミ

所用で東京に行っていたため、書き込みが2度連続で3日間、空いてしまいました。
それはともかく、三度目の訪問で豊川市三上町
(みかみちょう)緑野神社(みどのじんじゃ)で参拝できました。時間はたっぷりあるので、緑野神社と同じ権現山に存在する権現山1号墳を探すことにしました。ちなみに権現山2号墳は訪問済みですが、権現山古墳群は豊橋市石巻本町に属しています。

権現山2号墳への入り口は偶然見つけることができたのだが、1号墳への入り口は緑野神社の入り口と同じく、イージーには見つけられないでいた。
権現山1号墳に途中まで向かう道が東側にいくつかあるので、全部入っていってみたのだが、犬に吠えられる袋小路になっていたり、柿栽培園で行き止まりになっていたりで、1号墳への入り口は見つけられなかった。
しかし、ネット上には訪問済みの2号墳の南100mに1号墳が存在するという情報があるので、道は無くとも、再び2号墳へ行って、そこから山の中を1号墳に向かえば、たどり着けるかもしれないと考え付いた。

それで、再び「権現山古墳」の標識のある入り口に向かった。

その入り口にやって来ると、春先にやって来た時の通路は10月初旬の今、お腹の高さまで伸びた雑草で覆われていた。
いかにもマムシがいそうな草薮になっていて、最初に秋にやって来ていたら、2号墳へ向かうのを断念していたかもしれない。
しかし、今回は2度目なので不安は半分で、草薮に分け入った。
10分ほどで2度目の2号墳へたどり着き、自分のパンツを見下ろすと、パンツはヒッツキ虫で下記写真のようにハリネズミ状態になっていた。

ヒッツキ虫と言っても虫ではなく雑草の果実だ。
通路の入り口ではヘッダー写真のように、比較的剥がしやすい、ほぼ三角形の豆果を持つアレチヌスビトハギのみだったのだが、2号墳にたどり着いた時には、クワガタムシの角のような爪を持つコセンダングサの果実が鈴なりになっていた。
ともに北アメリカ原産の植物だ。
アレチヌスビトハギは覚えにくい名称の雑草だが「荒地盗人萩」と漢字を当てはめると覚えやすい名称のマメ科の雑草で、細い茎を1mほどの高さまで伸ばすと、鈴なりになって重い花により、通路にアーチ状に垂れ下がり、行く手を遮る、嫌な雑草だ。
一方、コセンダングサは我が家の横の路地にも生えている小さな菊花を咲かせる雑草だが、果実を剥がすと、2本の棘だけが繊維の中に残り、深く喰い込んで、いずれ皮膚をチクチク刺激するようになる厄介な果実なのだ。
古墳や遺跡を巡ると、草薮に入り込まざるを得ないので、いろんなひっつき虫にやられるが、その中でももっとも厄介な虫だ。
コセンダングサは強烈なアレロパシー作用を持つ植物で、自分に不利益な植物の生長を抑える物質を放出し、動物や微生物を排除し、自分に有益な動物や微生物を引き寄せたりする能力がある植物だ。

今回、2号墳にたどり着くと、2号墳の後円部の西側から南に向かって、3m幅くらいで両側に黒黄のロープを張ることで、通路が示されていた。
ただ、写真では1匹しか視認できないが、この通路には無数のジョロウグモがいずれも、通路幅の3mの空間をフルに利用した巨大な巣を張っており、通路を歩くには、全ての蜘蛛の巣を壊して進むしかない状況だった。

ジョロウグモの巣は代表的な蜘蛛の巣のように平面的な巣ではなく、立体的に糸を張るので、まったくのノータッチで潜り抜けるのが難しい蜘蛛の巣なのだ。

上記写真のジョロウグモの数メートル先の右手には真新しい権現山古墳の道案内標識が立てられていた。

春先に2号墳にやって来た時には影も形も無かったものだ。
もちろん、1号墳に向かうことにしたのだが、害虫を捕食してくれるジョロウグモの巣のすべてを壊しながら進むには忍びず、そのために100m、通路脇の潅木の中を掻き分けて進むことになった。

前方に1号墳の後円部の存在する場所に到達する頃には通路は4m幅に広がっていた。

権現山1号墳の測量図は以下だ。

1号墳の後円部の麓に立つと、こちら側の陽当たりの悪い北側には青い雑草は少なく、向こう側の雑草は緑の丈の伸びた雑草で覆われているのが判る。

1号墳の後円部に登ってみると、形の美しい石灰岩の葺石が幾つも残っていた。

以下のような権現山1号古墳の発掘調査で見つかった墳頂下の葺石群(ふきいしぐん)の写真が残っている。

後円部墳上に登ると、墳上に残る樹木の切り株にはカワラタケがみられた。

カワラタケは枯れ木に発生するキノコで、世界中に分布しているが、このサルノコシカケ科全般のキノコには抗腫瘍作用があることが知られ、中世から山伏らが煎薬として病人の治療に利用してきたが、抗がん作用のあるクレスチンを含むことが知られると、70年代〜80年代にはカワラタケの菌糸体から摂取され、薬品として製薬会社から市販されていた。
現在は単体で抗癌剤として使用することに意味は無くなったようで、製薬会社からの発売は停止されているが、健康茶としたり、ホワイトリカーに漬けて健康酒として利用されている。

後円部から南に進んで前方部に至り、前方部の東側の尾根上から後円部を見下ろすと、青い雑草で覆われた東南側が見下ろせた。

権現山には松が多く、前方部には17cmくらいある巨大な松笠がたくさん落ちていた。

下記写真は松笠を乗せた『1号墳の前方部』案内板方向から前方部を撮影したもの。

前方部の麓に設置された案内板には、以下のようにあった。

1号墳の前方部は、斜面に葺石がふかれ、上には底に孔があいた壺形土器が並べら れていたようです。
前方部は本来、通路であり、マツリを行う場所でした。しかし発掘調査ではこの付近で祭祀にかかわるものは出土していません。

下記写真は前方部から眺めた後円部。
現在は森に包まれた前方後円墳だった。

◼️◼️◼️◼️
権現山の尾根を降りて、もっとも北側の給水塔の下に腰掛ける場所があったので、そこに腰を下ろして、家に持ち込むわけにはいかない、ひっつき虫を取っていました。すると、車でやって来たブラジル人らしき(直感です)夫婦が給水塔の北側の通路に張ってあった鎖を外し、給水塔の北側の広場に入っていった。その際、私のひっつき虫を見た男性の方が笑いながら、「たいへんダネー〜」と声を掛けて来た。私はすべてのひっつき虫を取ろうと1時間半、そこでひっつき虫を取る作業をしたのだが、70%ほど取ったところで、コセンダングサの2本の爪を取り切るには毛抜きが必要で、数が果実の倍あることと、2本の爪が布に喰い込んでいて取りにくいことや、30%はまるまるヒッツキ虫が残っていることから計算すると、全摘にはあと6時間くらいかかりそうであることに気づきました。そのパンツはやや防風効果の高いパンツでしたが、気に入っていなかったパンツだったので、新たにパンツを購入して、ひっつき虫付きパンツは作業用に回すことにしました。そして、東京にモーターサイクルで行くために、ワークマンに新たな防風パンツを購入に行ったのですが、すでに秋冬物しか出てなく、気に入った防風防寒パンツを購入しました。このパンツが個人的には大ヒットで、久しぶりで気に入った商品に出会いました。昨日の東京からの帰途は夕刻に少し気温が下がりましたが、購入したパンツとワークマン最暖のインナーとの組み合わせで、時速130kmオーバーでE1を疾走して帰って来ましたが、全く寒くありませんでした。帰途の所要時間6時間でした。新たな愛車の最高速度はフルスロットルまで回してませんが、137kmまでは出ることが初めて確認できました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?