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【短編小説】なんてことない日になんてことないことを。約8000字

里帰り

同級会。
年末に里帰り。有休を使って5日間。大晦日と正月は、戻ってきて過ごすことにしている。


家を出る前に、同居人の哉太かなたが、心配そうに言った。
「もう帰ってこないとかないよね?」
俺より背が低くて、俺より細こくて、うるうるした瞳と、形のいい鼻と唇を持ち合わせた、癖毛のツーブロックの男子だ。

「ないよ。」
我ながら、良い拾い物をしたと、そう思っている。俺は、映像ディレクターで編集機は自宅にもあって会社には行ったり行かなかったり。自由な立場で仕事をしている28歳。

結衣斗ゆいとさんが帰ってくるの待ってるから。」
哉太は、17歳。ぎりぎり未成年。早生まれだ。
「同級会って、昔の彼女とか…その。」
「心配症なんだな?」
「だって。」

東横キッズ。
哉太はそう呼ばれる若者のうちの1人だった。
親は、福島県の天栄村にいる。哉太は結構複雑な家庭事情の持ち主で、昔から貯金していた数十万円を手にして東京にやってきたという。
ネカフェに漫喫、カラオケ店を転々としてやってきたのが新宿歌舞伎町だった。
俺がたまたま、ドキュメンタリーの仕事が入っていて歌舞伎町にいりびたっていた時期でもあって、インタビューを撮るために声をかけたのが哉太だったのだ。


哉太は、どこか中性的で自分の恋愛対象に疑問を持っているところがあった。
俺は、ノンケで男は確実に恋愛対象外のはずなのに、哉太にはそれが通用しないように思えた。

「僕は、結衣斗さんがいないと。」
「哉太。5日間、何して過ごすんだ?歌舞伎町には行くなよ。」
「……それは、大丈夫です。」
「じゃな。行ってくる。」
「うん。」

哉太が少し寂しそうな顔をして俺を見送った。

俺の田舎も福島だ。
裏磐梯という結構な観光地。

裏磐梯の冬は最悪だ。雪深くて寒い。ウィンタースポーツだのアクティビティだのが好きな奴らが集まってくるが、俺はそういう陽キャが嫌いで実家を出た。

俺の実家は、ペンションを経営している。
呑気な商売だと子どもながらに思っていた。かつかつな収入から現実逃避して、父はサラリーマン時代の貯金を切り崩してペンションを切り盛りしている。
知らない土地から来た知らない大人たちが、トレッキングだ、バス釣りだ、ワカサギ釣りだ、スノーシューだと1年に渡り遊び散らかしているのを見てきた。地酒だ焼酎だ、ウイスキーだと、酔い潰れて吐いている、田舎に憧れてますってのが口癖の大学生も。

田舎はいいな。
田舎に住みたい。

裏磐梯に来た奴らは、譫言うわごとのように、呪文でも唱えるようにそう言って、田舎の上っ面だけ堪能して帰っていく。

俺からしたら、茶色い建物しかなくて、何がいいのか全くわからない。
どこへ行ってもこれ見よがしに会津土産が売っている。

そんな田舎のどこがいいんだ?
現実をもっと見てみれば、田舎暮らしに憧れるなんて口が裂けても言えないはずだ。


茶色に装飾されたセブンイレブンに立ち寄った。
車から降りて店内に入ると赤べこサブレが見えた。

思わず舌打ちをした。


同級会

同級会の会場は、裏磐梯リゾートホテルだった。レストランからは磐梯山が見える立地だ。夜だから景色はあまり関係ないが。

レストランを貸切にした立食パーティースタイルだった。

受付には、学級委員長だった三輪拡みわひろむと副委員長だった辰野穂希たつのほまれがいる。

高校の頃、この2人は付き合っていたが、お互い別の相手を見つけて結婚したそうだ。
蓮水はすみくん。きてくれたんだ!」
辰野は昔からリアクションが大きい。
「全然、変わんないねー。名簿、ここにチェックいれっちゃってね。」

全然変わんないは、言い過ぎだ。
高校卒業から10年。

外見も中身も少しは変わってるはずだ。

名簿にチェックを入れて会場に進んだ。仲が良かった同士のグループは嫌な空気が漂っている。
クラスの中心。
たばこ、酒、パチンコ。未成年が触れてはいけないものにイキって触れていた奴らの集まり。
うちの親のペンションに、親の金で泊まって、青春を謳歌していた奴ら。

部活でヒーローだったヤツ。体育祭だけ妙に張り切っていたヤツ。

全員、田舎の輩みたいに嫌な年の取り方をしている。

変わった
というか、なるべくしてそうなった姿を恥ずかしげもなく曝け出している。

レストランの端っこに集まる下層の難民が俺に手を振ってくる。

俺はあの頃、どのポジョンにも属していなかったのに。

「なあ、蓮水って今、映像クリエイターなんだろ?高校ん時からパソコン得意だったよなー。」
そう声をかけられたが、誰なのかさっぱりわからない。28歳。年の割にAGAなのか、前頭用と頭頂部の毛髪が著しく薄い。
「俺だよ、冊渕さぶちだよ。隣の席だったじゃん。皮膚科の息子。覚えてない?」

「あ、ごめん。」
そう言えば、高校の近くに冊渕皮膚科胃腸科って言う病院があったな。
「冊渕くんね、副院長なんだよ。」
横から、見知らぬ女性に声をかけられた。
「蓮水くん、もしかしてあたしも覚えてないの?」
こんなガツガツした女なんか覚えていない。
「今は、私も冊渕だけどねー。」

10年という月日は、恐ろしい。
容姿を変えてしまったせいもあり、コイツらの高校時代の姿だって思い出せないし。
結婚をいきなり報告されても、ご祝儀なんて気の利いたものも持ってきてないし。

「おめでとう。お幸せに。」
俺は俺が思うよりクラスの奴らのこと全然知らなかった気がして。

だけど。
もし、卒業してからずっと、裏磐梯ここにいてもコイツらのこともっとよく分かってやれていたのだろうか。

当時、コイツらのことよく知りたいなんて1ミリでも考えたことがあっただろうか。

俺が同級会にきた理由。

「あ、先生!」
周りがざわざわし始める。

「いやあ、雪すごすぎてびっくりしたよー。」
「でたでた、都会人!!」

俺が東京に住んでいる理由。

「先生、元気だった?」
「うん、まあ。みんなは?」

ヒエラルキーの上の奴らに馴れ馴れしく囲まれて嫌な顔ひとつせず、当時担任だった好本凪よしもとなぎさは、相変わらずの長身で、相変わらずの笑顔を振りまいて。

「先生、東京のお土産は?」
「あー、始まったよ。みんなのそれ、懐かしいな。」
「ないの?」
「あるある!あるに決まってんだろー。」

俺はただ、当時と同じようにそれを眺めている。

人気者の現代国語の先生。
俺たちが卒業すると同時、東京に戻って有名な予備校の講師になった。

「先生、先生?」
「え?」
「お土産、いつ配るの?」
「おいって。やんないからな。」
「いつ配るの?」
「しつこいって。」
「いつ配るの?」
「あーもう!」
「いつ…」
「はいはい!いつ配るの?今でしょ!?」

俺たちが卒業する年。現代国語の好本先生が塾講師に転職を決めた3月の教室では、このいじりが流行っていた。

「なんだよ、笑えよ!」
好本先生はいじられキャラで。

「ははは!変わんないねー。」
当時も今も同じで。

「あー、くっそ。まさか、またやらされるとはな。」
クラスの中心のてっぺんは、好本先生で。
好本先生は、いつもそこからクラスの人間を隅の隅まで隈なく見て、掬い上げて個を尊重してくれた。

群がった人間が蜘蛛の子を散らすように去って1人になってから、好本先生は俺に近寄ってきた。

「こんばんは。蓮水。」
「こんばんは。」
「飲み物、ある?」
「はい。まあ。」

不思議だった。
高校の頃。いつも。好本先生は放課後必ず俺に声をかけてきたのだ。
『ちゃんと帰れよ』『明日も来いよ』『なんかあったら言えよ』それは、1年の時からずっとそうだった。

2人でレストランを抜け出した。外の風にあたろうって。雪で寒いからコートを着て2人で外に出た。

「蓮水。今、どこにいる?」
「練馬。」
「そっか。」
「好本先生は?」
「ん?世田谷。」
「金持ち」
「違う、実家なだけ。」
「予備校は?」
「人気講師だよ。相変わらず。高校教師時代と一緒で。」
「自慢?」
「そ、自慢。蓮水は自慢ないの?」
「……ディレクションしたMV。」
「お。」
「2022年のMVアワードになった。」
「やるじゃん。みんなに言えばいいのに。」
「言わない。」
「なんで。」
「ダサいから。」
「えー?」
「そういうのって、アーティストのもんで、クリエイターのことは二の次って言うか。」
「ふーん。俺だけに言ってくれたの?」
「そう。好本先生は、言いふらさないから。田舎の奴らみたいに、《《コイツ俺の友だちなんだけど》》って、ひっぱりださないでいてくれるって信じてるから。」
「他人のこと、自分ごとで話すやついるもんな。人の褌で相撲とるやつ。」
「そう。田舎に住んでると特に。」
タバコに火をつけて吸い込んで煙を吐いた。

「自分に自慢することがないから。“高校の友だちが、”ってやつ…。俺、そいつと友だちになった覚えないし。」
「蓮水のモヤモヤはずっと変わらないな。」
「文化祭のポスターもそうだった。」
「蓮水で正解だった。が、満場一致でクラスの答えだったな。学校全体から蓮水のデザインが選ばれて文化祭45周年記念ポスターになった。クラスには金一封。クラス企画の経費になった。」
「ポスター、コンビニとかスーパーとかに貼ってもらう時も。隣にいる奴が必ず“コイツ友だちなんだけど、コイツがデザインしたんだ”って言ってた。友だちじゃないって何度心ん中で否定したかわかんない。マジむかついた。」
「心ん中か。……蓮水は優しいなー。」

好本先生もタバコを吸い始めた。
「蓮水は、誰かを嫌いになりたくないから、距離を詰めない。裏磐梯ここを離れたのも、《《あのころより》》この先、嫌いになりたくないからだよな。」

白い煙を長く吐いている。
タバコを俺に教えたのは好本先生だった。高校の先生なら普通はそんなのありえないけれど。ペンションの客として泊まりに来た先生は、客の吐いたゲロを片付ける俺に声をかけて来て、『ちょっと付き合え』って、そう言ってタバコの吸い方を教えてくれた。『先生のくせに、タバコ未成年に教えるとかあり得ない。』って、そう言ったら好本先生は、楽しそうに笑いながら『吐口作ってやるのも先生の役目だろ』って。

俺は、高校生の頃いつもイライラしていた。
それでもタバコを吸っている時、パソコンで作業してる時、その時だけはイライラを解消できた。


「違うよ。ただ、都会に行ってみたかっただけだし、高校の奴らはバカにしか見えなかっただけ。」

タバコの灰を灰皿に落として好本先生が、ふーん、って頷く。

「で、都会に住んでどう?やっぱり、田舎が良かったとか思わない?」
好本先生が、楽しそうに聞いてきた。

「好本先生は、なんで田舎で先生やってたの?」

「ん?たまたまだよ。教員で就職できたら田舎でも都会でもどっちでも良かった。別に親と離れたかったわけでも、都会に疲れたわけでもない。教員になりたかっただけ。」

「なって良かった?」
「もちろん。」

「自信ありすぎ。未成年にタバコ吸わせたくせに。」
「まあ、それは確かに前科ついてもしょうがないかな。ついてないけど。」
「なんで高校やめたの?」
「あー、親父がボケてきたから。んでー、親父の塾に空きが出たのもあって……。」
「後悔してない?」
「全く。俺が決めたことだし。」
「へえ。」

空気が澄んで空が高い。
星がこぼれ落ちそうなほど瞬いている。

「同級会なんて、どうでも良かった。」
見上げながら好本先生が言った。

「高校の先生やって、気になって仕方がなかったことは、一個だけだった。どんな生徒にも平等に。
そんな決まりを自分で作って務めていたつもりだった。」

タバコを口に含んで長く煙を吐いて、ついでにため息をつく。

「蓮水、なんできょう来た?」
「え?」

「俺は蓮水がいたらいいなって。」

俺はタバコを灰皿に押し付けて消した。
好本先生も同じにそうした。

裏磐梯ここの思い出は、蓮水とたびたびタバコを吸ったこと。俺はな、あの頃……。」

田舎だから言い出せなかった。
たぶん、噂が大好きな田舎の人間の間では、たちまち悪い話として広まってしまうようなこと。まして、先生と生徒なら。

「好本先生。俺が練馬に行ったのは。」
「うん。」
「俺が同級会にきたのは。」
「うん。」

冷たい空気がより冷たくなって、ヒラヒラ雪が降り始める。今夜、吹雪にならなければラッキーだ。

「先生。タバコ、口実だったんでしょ。俺ともちゃんと話してるって自分に言い聞かせたかったんじゃない?」
「口実……いや。2人だけの秘密が欲しかったんだ。ぜったいに誰にも言えない蓮水の足枷になるような、そんな秘密が欲しかった。」


何気なく腕時計を眺める先生が、タイムリミットを告げているように見えた。

「先生、LINE交換する?」
「あ、そうだね。これを機に近況を教え合う仲になろうか。」
「近況……。俺、今。」
「ん?」
「未成年の男子と同居してる。」
「へえ、興味深い。近寄っても嫌わずにいられる相手?」
「……そんなのは、好本先生だけだと思ってたけど、アイツに俺は嫌われても俺はアイツを嫌わないような感じって、そう思います。」

LINEを交換した。

「蓮水はその子にタバコ教えちゃダメだぞ。」
「当たり前ですよ。」

俺が同級会に参加した理由は、好本先生に再び会うため。たったそれだけだった。


なんてことない日

同級会のあと、実家に帰った。
父も母も10年の時を感じさせるほど、痩せて小さくなっていた。盲導犬を引退したラブラドールレトリバーと共に生活をしているという。

俺が独り立ちしたら犬を飼う。
それが2人の中の決め事で。
迎え入れる犬は、何かを成し遂げた老犬に決めていたそうだ。せっかく子育てを終えたのに、もう一度子育てという選択はしたくなかったそうだ。老犬は流石に5、6年しか一緒に過ごせない。今、一緒にいる犬は2匹目だそうだ。
名前は、ロッキー。盲導犬だったからか無邪気さはない。そもそも老犬だし。

「懐いてこないのは、結衣斗と一緒だ。」
俺は確かに、小学生のころから父と母から離れ部屋にこもっていた。ペンションの仕事をしているその姿から、邪魔しちゃいけないと勝手に思っていたからだ。
「懐いてなかったわけじゃ……。」
「また、たまに帰ってこい。」
「……うん。」

ロッキーを見ながら、哉太を思い出す。
うちで1人で寂しくしてるんだろうか。それとも、俺がいなくて普段していないようなことをしているんだろうか。歌舞伎町の悪い友だちに呼び出されていたりしないだろうか。

実家に何泊もする必要はない。裏磐梯ここで何かをしたかったわけでもない。

「ごめん。やっぱ、明日帰るわ。」
「どうして?お父さんのせい?」
母は父をあからさまに睨みつけた。
父は、俺じゃないと言いたげな顔をしてロッキーの元に視線を逃した。

「いや。うちに帰りたくて。」
「仕事?」
「仕事は休みだけど。」

考えてみたら、哉太にクリスマスを楽しませてやれていなかった。

「やってやらなきゃいけないことがある気がして。」

母は、俺の顔をじっと見て。
「ペットでも飼ってるの?」
「ペット?」
「ペットがいると泊まりなんて考えられないからね。一緒に行くなら別だけど。」
ロッキーと母はアイコンタクトでもするように互いを見つめた。

「……まあ、…そんなとこ。」

マンションの鍵を開けて部屋に入った。
部屋は暗くて誰もいなかった。

哉太に逃げられた。

そう思って、裏磐梯のコンビニで買った赤べこサブレをリビングのテーブルに静かに置いた。

寝室から物音が聞こえた。
しばらくして、ドアが開いた。

「早かったですね。結衣斗さん。」
頭に寝癖がついた哉太がそこに立っている。
「ただいま。」

哉太が、どこにも行く気もなく一日中寝ていたことが伺えた。

「お帰りなさい。あれ?結衣斗さん、もっと、里帰りしてるはずじゃなかったでしたっけ。」
哉太がテーブルの上の赤べこサブレに目をやった。

「いや、考えてみたら実家にいてもすることないし。」
「そうですか。」

1日、2日。
そのくらいしか離れていない哉太と話すのに。
なんだか、ずいぶん時間が経ってしまったように思えた。

哉太が赤べこサブレを見ながらクスって笑う。

「なんか。会津って感じ。」
「天栄村って感じのものって何?」
「え?ヤーコンかな。」
「ヤーコン?」
「あと、マカとネギ。」
「マカ?」
「僕は食べたことないけど。」
「ないのか。食べに行く?」
「……結衣斗さん。それをきっかけに実家うちに帰そうなんて考えてますか?」
「まさか。」

思わず、哉太を抱き寄せた。
「帰りたいって思うなら、送るけど。そうじゃないならここにいろ。」
哉太が俺を抱きしめ返す。

「帰りたくなんか、ないです。僕は結衣斗さんのそばにいたいです。結衣斗さんがいない日が、まだまだ続くと思ったら、寂しくて。寂しすぎて寝てるしかありませんでした。」
哉太の寝癖を撫でた。 

「ご飯は?」
「食べたくなくて。」
「そか。ずっと食べなかったのか?」
「あーでも、夜はカップ麺を。」
「食ってるじゃねーか、嘘つき。」
「でも、それしか。」
「はいはい。よくわかったよ。」

哉太と離れたのは哉太と出会ってから初めてのことだった。

高校を卒業して、好本先生となんのつながりもなくなってから、近寄りたいと思った人間はいなかった。

先生が言うように、俺には他人の欠点から逃げる癖がある。近寄らなければ、親しくならなければ、自分ごとのようにその人を嫌にならずに済むって。そう思って。そうやって、クラスの奴らを遠ざけて過ごした。そう思って、1人を選んで実家を出た。

それでも、好本先生は違かった。好本先生にまた会いたくて、東京に住んだ。あてもなく仕事を探して得意な分野に進んだ。いつか偶然、好本先生に会いたいと、そう思って。

歌舞伎町を彷徨っていた哉太を見た時は、俺が俺を見つけた気分になった。

人と関わる心の騒がしさも、哉太が相手なら受け入れようと、そう思えた。嫌われてもいい、そばに居させてほしい。そう思って、哉太を招き入れたのだ。好本先生が、俺に踏み込んできたように。

「僕、ひとつ。結衣斗さんに言いたいことがある。」
「なんだよ、急に。なんか怖いんだけど。」

赤べこサブレの蓋を開けて、哉太にサブレを渡した。

「僕、結衣斗さんが好き。」
伏し目がちになって、少しだけ頬を染める。自分の恋愛対象が、わからなかったような少年のような哉太が。俺を好きだとそう言って。

「そりゃ、どうも。」
「僕は真面目だよ。」
「……だったら。」
「え?」
「俺も哉太が好きだよ。」


なんてことない日に、なんてことないこと。
なんてことないって風に、口付けを交わした。


そうだ。好本先生も。
俺が初めてタバコを吸ったその後に、なんてことないように唇を重ねてきた。

高校の頃の、好本先生を好きだと思ったあの日のことを、口付けを交わした後の哉太の顔を見て、久しぶりに思い出した。

忘れていた。俺にとって好本先生は、男も女も関係なく特別だった。だから、同級会で好本先生に会いに行ったんだって今更自分の行動の意味がわかった。

俺が同級会に言った理由。哉太には絶対に話せないな。なんて、心に思った。


「僕と付き合ってください。結衣斗さん。」
「うん。よろしくな。てか、それ。おれに言わせろよ。」
「だって、まだ僕未成年だから。僕から言ったって、ちゃんと証拠がないと。」
「証拠?今のが?録音したわけ?」
「してないけど。僕の中の証拠に……。」
「証拠は、第三者がわかんないと意味がないの。」
「イジワル」
哉太をきつく抱きしめた。それからもういちど唇を重ねれば、今度は恥ずかしそうに顔を赤くする哉太を愛おしいと思った。


俺もあの頃、好本先生が好きだった。だからもし唇を重ねたあの時、俺が哉太のように素直に伝えていたら好本先生はどんな選択をしていたのだろうか。


だけど。

好本先生にまた会えても、その答えを求めることはないだろうとそう思った。



〈了〉

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