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火を分けられる人になりたい
X(Twitter)にある動画があがっていた。
ライターを2つ用意して1つを水浸しにする。
水浸しにした方は火をつけようとしてもつかなくなる。
そこへもうひとつのライターで火を移すと着火することができた。
これは辛いことが重なって(水浸しになって)自分の心に火がつかなくなってしまった人が、だれかのふとした手助けでまた火が灯ったりするから手を差し伸べることって大切だね、優しくありたいね。ってことを表現しているのだけど、
私が何よりいいなと思ったのは、
火がつかない時だって燃料そのものは自分の内側にちゃんと持ってるということ。失くしてない。
単に寿命的なことだけではなく才能やギフトである燃料。
それらを燃やすのが自分らしく生きるってことなのかな。
とはいえ、自分は何をしたらいいのか何ができるのか、すっかり迷ってわからなくなる時がある。一番苦しい。
成し遂げたいことがあって山のようなハードルがいくつもある時よりも辛い。
そしてそれが続くと今度は自分の器にもどんどん穴が空いていく。
人の想いを受け止めることもできなくなりすり抜けていってしまう。
だけどその穴は人から埋めてもらうものではなく自分で埋めないといけない。
器の穴といえば
3年ほど前、
人生でとてつもなく尊敬している人に、
「人の役に立ってから初めて自分を肯定できると思ってる」と泣きながら言ったとき、
「それが壮大な誤解なの。順番が逆なの。今のはちこちゃんの心が一番欲してるのは自分から自分への称賛なのよ、否定じゃなくて」と。
今でもこの時の会話を思い出しただけで震えて涙がでてくる。
話が逸れてしまった、この話はいつかちゃんと書きたい。
というわけで
まだまだ修行中だけど、
自分の火でまわりを照らせたり、暖められたり、火を分けられる人になりたいな。と思った今日でした。
明日も笑顔になれる時間がありますように。
Bonne nuit.
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