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わたしの2019。【後編】

新年あけましておめでとうございます。

大掃除と並行してのんびりnote書いてたらいつの間にか年が明けちゃいましたね。

昨年の供養のために続きを書きまーす!
さぁいってみよう!


7月。

7月12日はわたしのお誕生日。
27歳になりました。


学生の頃思い描いていた27歳は、多分もう子供がいてお母さんになっていて、普通に暮らしてる絵を想像していたんだろうな。
実際の今のわたしは、全力で好きなことをして好きな人たちと時間(いま)を必死に生きている。

年齢が死ぬほどどうでもいいので、今何歳?って聞かれても、あれ?ってなるし、仲良くしてる人たちも年齢がバラバラすぎて、歳なんて本当どうでも良いよねぇ。ただ産まれた月日がちょっと早いだけで私自身は敬われるほど何も成し遂げていないので、敬語で喋ってくれる後輩たちも今すぐタメ口に切り替えていいんだよ、対等に接して!!って握手して回りたい。

自分の誕生日もそんなに大したイベントではないので、友人が映画に連れてってくれて普通に終わりました。大切な人たちの誕生日は産まれてきてくれたことが嬉しいから盛大に祝う派です。


8月。

地元の新聞に載りました。


地元の面白い働き方してる若者特集で取り扱ってもらい、嬉し恥ずかし、色んな人から見たよー!と連絡があって嬉しかった。記者さんのご好意でばあちゃんの名前も記事に載せてくれたので、新聞が出た数日間は近所の人からの電話が鳴り止まなかったらしい。わたしよりもばあちゃんに反響がありました。
なんだか嬉しそうだったからばあちゃん孝行できてとても良かったな。


この1年間で有難いことに地元のメディアに取り上げてもらうことが多々あって、雑誌、ウェブマガジン、新聞、テレビ、色々な媒体で38cafeの活動を取り扱ってもらった。

で、さやかん今何やってんの?って思ってる友人たちに、こういうことやってますよ〜って知ってもらえる安心材料にもなるし、目立ちたがりな性格でさえないが、こうやってみんなにわたしの活動を見てもらえるのは単純に嬉しい。

これからも色々表には出ていきたいなぁという目標もあって、それはわたし個人が有名になりたいわけじゃないんだけれども、38cafeに興味持ってくれた人やファンになってくれる人が増えたら、わたしがこれから関わっていきたい人たちとの活動や仕事を宣伝できる母数が増えるよなぁって考えていて。もっとみんなに知ってもらいたい面白い人、何かを始めた時にみんなにすぐに教えたい最高な人たちが、尊い程に周りにたくさんいるんです。その人たちとこれからももっと積極的に関わって、みんなで町づくりがしたいという願望があるので、そのためにも、その人達に興味を持ってもらう入り口の一部を38cafeが担えたら最高だよね。

メディアで取り上げられると良くも悪くも多くの人の目に触れる。発信においてはターゲットを絞ることももちろん大事なんだけども、わたしが住むこの小さな町を舞台に色々仕掛けていくのであれば、なるべく多くの人に知ってもらうことも同じくらい大切なんだと、この地で数年がんばってきて感じたこと。
実際新聞に載ったときは、お店にその切り抜きを持ったご年配の夫婦が訪ねてきてくれたり、テレビに出たときは、たまたま見てわたしのファンになってくれた女の子がお店に会いに来てくれたこともあった。彼女も生涯いつか自分のお店を持つのが夢だそうで、わたしの姿を見て背中を推されたと言ってくれて、何とも言えない嬉しさと緊張を覚えたのを鮮明に覚えている。

Instagramのフォロワー数もまだまだ少ないと思っているので、今年はもっと戦略的にいきます。HPも整えて、セルフブランディングにも力を注ぎたい。


9月。

人生でもベスト5に入るような、とても悲しいさようならを経験した。

大好きで尊敬していた職場の上司がついに異動になってしまったのだ。わたしの働いていたインテリアショップは全国転勤があるためいつかこの日が来るのはずっと分かっていたんだけど、不思議とずっと一緒に働いていられるような期待をしていて、でもそれは突然やってきた。

約3年間一緒に働いた上司とはたくさん一緒に笑ったし、良くも悪くも泣かされて、時には喧嘩もした。上司というよりは従兄弟のお兄ちゃんみたいな感じで、最後の1年間はほぼタメ口だったし関西人の上司のつっこみ欲しさにいじり倒していたなぁ。今思えばとんでもない部下だったな。笑

とある12月のこと。職場の人間関係で悩み、職場でうなだれていたわたしを元気付けようと、「クリスマスツリー買ってあげるからみんなでパーティーしようよ!飯作ってよ!」と本当にツリーを買ってくれて、好きな電飾選ばせてくれて、飾りもお洒落なのがいいよねって仲良しの同僚たちも連れてみんなで北九州までトーナメントを買いに行ったり。フランフランの高くてええやつ買ってもらった。
このツリーはわたしの家宝だし、いつか子供ができた時にお母さんの恩人がプレゼントしてくれたんだよ〜ってずっと継いでいきたい宝物です。


仕事の面でも、何のスキルもなく笑顔と根性だけが取り柄のパートだったわたしを、役職者代行の仕事を任されるまでに育て上げてくれた。
すぐに泣くし落ち込む、全く自信のないわたしの良いところを見つけては「お前ががんばってるの俺は知ってるよ。」って、不器用なりに褒めてくれていっぱい甘やかしてもらった。
あと反省文書くのめちゃくちゃ上手くなった。

そんな仕事の上では尊敬する上司で、プライベートでは陽気なお兄ちゃんだった人がついに遠くに引っ越してしまった。通勤途中にいつも視界に入っていた彼の住むアパートの窓にかかるカーテンが外れて空室になった現実にめちゃくちゃ泣いた。こんなに寂しくなるお別れは久しぶりだった。

どんなに辛いことがあっても、きついことがあっても途中で挫けずに働き続けられたのは間違いなくこの上司のおかげでした。ストレスで元旦に急性胃腸炎になったり、過呼吸で倒れたり、先輩からのパワハラで職場に着くと手が震えて涙が止まらなくなって1週間仕事休んだこともあったけど、上司のことをとても尊敬していたし人として本当に好きだったので彼の働くお店を支えたいという一心でがんばって来れた。
わたしが仕事に求めるのはお金とかやりがいよりも「誰と働くか、誰のために働くか」に比重を置いているので、間違いなくこの3年間はこの上司が作るお店が好きだから支えたくて働き続けてこれたんだなぁ。
引っ越す時に、結婚とか子供産まれたとか何かあったらちゃんと連絡してね。って言われたけど、それ待ってたら下手したら一生連絡できない可能性もあるので、また何処かのタイミングで会いに行こう。
本当にお世話になりました。一緒に働けて良かったです。またね。


10月。

Creepy Nutsのライブに行きました。


2人組のHIPHOPユニットCreepy Nuts。
メジャーデビュー前から名前はずっと知っていたけど、ちゃんと楽曲を聞いたのはわりと最近で。
どちらかというと彼らのラジオ「オールナイトニッポン0」をずっと聞いていて、何この人たちめちゃくちゃ面白いじゃんってなって、曲を聞き出したのが始まり。特に内容のないけど2人の掛け合いがくだらなくて最高なので、ぜひラジオ聞いてみてください。本当にしょうもないことでケラケラ笑う、男子校の昼休みのようなトークを聞いてるとなんだかこっちも笑えてきて元気が出る。

ライブもめちゃくちゃかっこよかったなぁ。ちょうどDJ松永さんがDJの世界大会で1位になった後だったので世界一のルーティンをお披露目してくれて、最高にクールで神業すぎて感無量でした。
チャラくない根暗でカースト下位層出身のHIPHOPユニットCreepy Nutsの好きなところを語るとそれだけでnoteかけそうなので割愛。


あとは仕事の面で色々トラブルに合ってものすごく病んでいたこともあって、このライブの次の日に急に京都に行ってきた。

安井金比羅宮という有名な縁切神社に行ってきた。そう、もはや神頼みしないとやってられないくらい追い込まれていました。笑

切りたい縁をお札に書いて碑石に貼って、その中をくぐって悪縁を断ち切るという作法のもと、なんせこの碑石のインパクトが凄すぎる。


この立ち構えのおどろおどろしさよ。

貼られたお札の数だけ怨念が詰まっているんだなぁと思うと何とも言えない気持ちになったが、しっかりくぐってきたし何なら絵馬も書いた。

おかげで気持ちもすっきりすることができたし。帰ってきてからするするとトラブルが解決に向かって行ったし、良い出会いが沢山あった。
悪縁を断ち切ったあとは良縁を運んできてくれるご利益もあるらしく、京都から帰ってきて1週間以内に耶馬溪シェアハウスのまっきーがうちのお店にふらりと来てくれて、そっからとんとん拍子で耶馬溪に半移住することが決まり、年明けからの楽しみが一気に増えた。わたしにはご利益ありすぎた。感謝。今年中にまたお礼参り行こう。


11月。


めちゃくちゃ大好きな後輩の結婚式が無事に終わりました。

両方大学の後輩なので、付き合う前から知ってる2人。8年の間に大作映画でも撮れそうなくらい波乱万丈な出来事があったことも、一部始終近くで全部見てきたので、遂にこの日が来たのかと感慨深かった。

プロポーズされる数日前に、多分プロポーズされる気がしてるんだけど本当にこの人でいいのか分からないって病んで、夜な夜なLINEを送ってきていたあの子が、綺麗なドレスに身を纏い沢山の人に祝福されながら、旦那になったその彼氏の横で美しく笑う姿が本当に綺麗で尊くて、終始ずっと泣いていた。

教会のドアが開いて白いドレスで現れた時にはもう涙が溢れ出てきていて、隣の後輩がそんなわたしを見て大笑いする。笑

大好きな人の幸せな姿を見るのはこんなにも嬉しくなるものなのか。わたしの好きな人がみんなから愛されている姿がとても愛おしく、良い式だったなぁ。心が少年なので照れ臭くて当日は綺麗だよって言えなかったので、帰ってすぐに便箋三枚にもなる大作とご両親への感謝の手紙をしたためて、ポストに投函しました。

おめでとう。ずっと幸せに笑っていてね。


12月。

諸事情で5月より運営していたお店を年内で閉店することに。

人生色々とあるものですな。めちゃくちゃ悩んだし寝れなくなっちゃって倒れたし、人間不信になりそうくらい精神的に追い込まれたりもしたけれど、沢山の人が手を差し伸べてくれて、支えてくれて、真っ暗なトンネルからやっと出ることができました。今回の件で本当にいろんな方々から無償の愛をいただいたし、これからも大切にしていきたい人たちに気づけたので今となっては良い経験できたなぁと。

「もっと知恵をつけなきゃ。」

とある人から言われた言葉がとても心に刺さった。
大切な人を守るために、わたしはもっと強く賢くならねばならないのだ。こんなわたしのために一生懸命知恵を出してくれたり、話を聞いてくれた大好きな人たちが困った時に全力で守れるように力を付けていきたい。


年内最後まで駆け抜けるぞ〜!とお店の営業に加え、イベントやケータリング、オードブルを沢山受けてよく働いた月だった。

昨年に続きオファーいただいたイベント。
2019年イベント納めも完売できて有難いです。寒い中お越しいただきありがとうございました。


最近お世話になっている方からのご依頼をきっかけに始めたケータリング業もとても評判がいいし、何よりやっていて楽しいので来年は精度高めていきたいな。38cafeらしいケータリングのベースを作りたい。


31日が終わるギリギリになんとかお店の片付けの掃除も終わり、約2年7ヶ月経ち続けたキッチンとも一旦お別れ。お世話になりました。

さぁ、ここからだ。



2019年、本当にいろいろと初めてのことを経験した1年だった。あっという間に終わったけどものすごく密度が濃くて、楽しい経験も辛い経験も今までにないくらいしたけれど、全部乗り越えて来て今がある。
わたしひとりの力じゃ全部立ち向かうのは無理だったわけで、いつも誰かがそばにいてくれたし、応援してくれていた。

2019年は沢山の縁に恵まれ、そして自分の本当を見つめ直すことができた1年でした。
わたしの大好きな人たちは、わたしが楽しそうに笑ってくれるのが一番嬉しいよと言ってくれる。
そんな人たちのためにも、今年はもっともっとわたしらしく、楽しく自由にのびのびと生きていきたいし、ずっと笑っていたいです。

2020年の目標は色々とたてているので、それはまた別記事にでも。


改めて、新年あけましておめでとうございます。
今年も沢山笑って良い年にしましょうね。

今年も可愛がってくれると嬉しいです。沢山関わってください。


おしまい!

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