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創作活動で周りが輝いて見え羨ましいと思う自分の心理を分析してみた

こんにちは。さわなです。

セルフメンテナンスで自分を実験台にして心理分析してみました。
興味はあるけど、心理関係は素人です。自分の心と向き合って心に引っかかっている何かを探っていく手法(自己流)でやっていきます。
今回のテーマは周りを羨ましく思ってしまう。そして、自己肯定感が低くなってしまう心理分析です。

分析した結果、「活動者にとって〜」と理論を述べていますが、すべての人に当てはまるものではないことを断っておきます。あくまで個人的な考察です。

周りが輝いて見え、自分の心がザワつく

こんなことないですか?

周りが輝いて見え、自分の心がザワつく

創作は楽しい。頑張って作った作品をアピールしたい!!

それは当然の心理。
Twitterで自分の創作を共有して宣伝してアピールする。
それは誰かに見て欲しいから。

日々、色んな方の創作アピールが巷に溢れています。タイムラインにフォローしている分だけ流れてきます。
それを受動的に眺めていると、自分の心がザワつく現象です。Twitterのタイムラインを眺めているときによく陥いります。

ザワつきを覚えた自分の様子

誰かのグッドニュースは「良かった」「嬉しい」と思う自分でいたいし、一緒に分かち合いたい喜び合いたいんです。
誰かが喜んでいる様子を見るのはこちらも微笑ましい気持ちになる私(だった)ので、このザワつきを感じたこと自体に戸惑い、さらにそう感じた自分に嫌悪感を覚えてダブルショックでした。

なぜザワつくのか?

何に私がザワついたのか振り返ると、

創作思案中ツイートは少し。
創作した作品をリリースしたツイートには多少。
作品に対する評価関連ツイートにはかなりザワついていたことがわかりました。

他人が輝いて見え、自分がショボく感じる。
羨ましい。

ザワつく原因を自問自答すると、どうやら…
隣の芝生は青い現象が起こっていたのです。

嫉妬心は醜いもの?

羨ましい=嫉妬心??
そう思うと、自分が醜い感情に支配されている気がしてきて、認めることも、言葉にすることも避けてきました。
過去にも度々あって、(ツイートや記事で)言いたくないなぁと思って、自分の心に蓋をしてやり過ごしてきました。
最近は、このままやり過ごすのは自分のメンタルに良くないと思い、自分と向き合い、文章にして吐き出すことにしました。

誰かに自分の気持ちを言う行為は自分の思考を整理できるし、客観的になれるので良いらしいです。

羨ましいと思う心理=嫉妬心のメカニズム

メンタリストDaiGoさんの動画を拝見し、この感情と前向きに向き合うヒントを得ることができました。
「嫉妬心は原動力に変えられる良いこと」だそうです。

嫉妬(妬み)は今の自分の欲求を具体的にしてくれる。

嫉妬から欲求を明確にすることで目標設定に反映させ、自分の行動や指針を決めることができる。

嫉妬は原動力に変えられ、つきあい方や使い方次第ではとても良い感情。

(一部引用もありますが動画を拝見して私が理解した要約です)

自分を振り返り、嫉妬心を原動力に変える方法

とにかく自問自答して、自分と向き合って「何に対して何故嫉妬したのか、対象と理由を突き止めること」が解決の糸口と感じました。
嫉妬心、羨ましいと思う気持ち、自分がちっぽけだと劣等感を感じてしまう気持ちから解放されて自由になるために、自分の心を紐解き、自分と向き合うことから始めてみました。

自分と向き合って嫉妬心の根本を探そう

羨ましいと思った事柄
なぜ羨ましいと思ったか?
自分が求めているものはなにか?

この三段階で落とし込んでいきます。
気持ちの整理もできるし、自分の欲求を明確にできます。欲求を満たすための行動に繋げることで嫉妬を解消できると思いました。

手に入れることが難しいものは諦める選択肢も出てきます。
この諦めが肝心だったりします。諦めることこそが嫉妬や執着を手離せるからです。
それを認識することで気持ちを切り替えたりできそうです。

さて、自分が何にどうして嫉妬を覚えたか整理していくとしましょう。

自分が何に嫉妬を覚えたのか?

羨ましいなと感じたものや出来事に対して、何故そう思ったのか(Why?)で探っていきます。【】は私の気持ちに対する私なりの評価や判断、ツッコミです

①(動画・台本・イラスト)投稿ツイート

→Why?
・自分も成果を出したいのに出していない現実に対する憤り
・創作したいな。書きたいなと飢餓感を感じる
・最近投稿していない。書いていないなどと他人のペースに焦る
→Why?
・そもそも時間が限られている
 ⇒【仕方ない】
・限られた時間の中では成果は出せている毎月何かしら完成させている
 ⇒【できているじゃん!私】
・アイディアが出てこなかったり意欲がなかった
 ⇒【それで書けない時もある】

②企画(募集・告知・公開・発表)ツイート

→Why?
・自分も企画やりたいなぁ
・楽しそうでいいな
・お呼びがかかるような人になりたいな
→Why?
・そもそも時間が限られている
 ⇒【仕方ない】
・楽しいなら自分から企画して行動すればいいのだが、時間と精神的余裕がなくて足を踏み出せない
 ⇒【今はその時ではない。諦めつつ、地道に今の繋がりや今できることを大切にする】
・企画に呼ばれて羨ましいなと思ってしまう
 ⇒【要所要所で企画のお誘いで声を掛けてもらっている。私を必要と思ってくれる人は絶対いる】

③○○担当しましたツイート

→Why?
・依頼や企画をこなしていてすごいな
→Why?
・私も何かしたいと思ってしまう。①と②の複合の心理状態に
 ⇒【自分だって細々と依頼や企画をこなしている】

④投稿作品の閲覧数やランキング、ツイートのいいねやRTの数など

→Why?
・数字で他人と比較してしまう。自分の数字が低いと、劣等感を覚える
 ⇒【気にしない。見ない。数が多ければラッキーくらいに思っておく】
・ランキング入って羨ましいな。見てもらえて羨ましいな
 ⇒【無い物ねだりはやめよう】

⑤(他人の)投稿作品に対するリプやコメントなどの感想

→Why?
・誰かが誰かに褒められているのを見ていいなぁと思ってしまう
 ⇒【今自分が褒められていないだけで、これまでも暖かいことばは掛けてもらっている!】
・自分に対しても反応(もっと)欲しいなぁ
 ⇒【気長に待つ。時には自分から探しに行く。もらいに行く。卑屈にならない】

書き出してみると原因が見えてきてスッキリしました。
自分を軸に振り返ると、私は恵まれていない訳ではないと気づきました。何故劣等感を感じていたのか疑問に感じました。
「時間がなかなか思うように取れない」はハンディキャップでもありますが、仕方がないことです。
なので、自分の時間は限られているためできることも限られます。他人の投稿頻度や投稿ペース、活動スタイルと自分を比較してもしょうがないのです。(そうは分かっていても比較してしまうのだろうけれど)

嫉妬心から分かった私が欲しかったもの

自己分析結果はこの通りです。
1.自分が満足するほどの創作活動時間
2.自分の作品に対する評価(大衆からも、特定の誰かからも)

1については前節でも語っていますが、諦めるしかありません。私は私と思うしかありません。
出来なかったことを数えるのではなく、限られた時間の中で出来たことを数えて自分を褒めるのも大事。

2については創作活動している人間(以降、活動者)の性分といいますか、しょうがない、当然と思う欲求でした。
自分以外の他人にそれが集まっているところを見ると嫉妬してしまうという心理でした…

書いていて心が寂しい人に感じてしまいました。
皆そう思うものなのかな?

率直に思うことは、感想や「良かった」などの反応が欲しい。子供が絵が上手く描けて、それを親に見せたい。褒められたいのと同じ。
そう、褒められたい。いいねされたい。たくさん見て欲しい。
…。(もう堂々巡りなって何も言えない)
承認欲求というものですね。

自分でつける評価もあるけど、人に認められたい承認欲求から来るところが大きく自分でコントロールできるものではありません。

時間も承認欲求も自分でコントロールできないため、それに執着するだけ無駄ですね。
諦めて、手放すのが一番の解決方法でしょう。

じゃあ、なんで嫉妬心が湧くのか?

自己分析で私が欲しかったものは自分が欲しいと思っても手に入れられないものでした。
では何故嫉妬心が湧くのか。

それはTwitter?

ですね。Twitterが嫉妬心を生み出す要因だったと気づきました。
Twitterを見ているとついつい自分と他人の比較をして、自分の無いもの探しをしてしまうのです。その結果、「羨ましい」とか「いいな」と思ってしまったり、自分が劣っているように感じてしまうのでした。

厄介なSNSの罠① 使っている時間が増えるほど自分と人を比べてしまう

これもDaiGoさんの動画で学んだのですが、SNSは自分と他者を比較してしまいがちなツールだそうです。

SNSを利用していた人をSNS利用禁止グループAとこれまで通り利用するグループBに分けて、被験者の心理状態を分析したところ、Aのグループの幸福度指数が向上したという研究結果の話もありました。

そもそも人間は他人と自分を比べてしまう性質があるそうなんです。人間社会の中で他人の行動を見て自分の行動や考え方が正しいか、間違っているかを日常的に判断しています。その判断材料として他人と比較しているのです。
比較行動というのは、何か商品を買おうとするときに、「にんじんはA店とB店どっちが安い?」とか、「このメーカーの音楽プレーヤーの方が音質が良い」など比較することで物事を相対的に(時には客観的に?)判断しています。私たちが普段から自然にやっていることです。

SNSに置き換えてみると、Twitterでは他人の事がよく見えますよね。自分のツイートも流れてくるけど、9割は自分以外のツイート(フォロー数にもよりますが)。人の呟きを見るツールなので当たり前は当たり前ですが。
DaiGoさんも動画中に例え話をしていましたが、良いところを寄せ集めた映画の予告編を永遠に見せられているようなものだと。
特に創作関連のつぶやきは成果物の告知が主体だったりするので、映画の予告編が流れて来るたとえがしっくりきます。

他人のキラキラしているツイートを見ると、自分の無いもの探しが始まってしまいます。
自分に無いものが自分にとって本当に必要なものか、自分が欲しいものなのか考える前に、あるないゲームをごく自然にしてしまい、自分が足りないものだらけに感じます。

そんな精神状態で良いとこ取りを見せられて気が滅入る…負のスパイラルの入り口が見えてきました。
創作や情報発信を主体にしている人にとっては、周りが過大に見えやすいから自分がちっぽけに感じてしまうものなのでは?
見るを主体にしているアカウント(いわゆるROM専)では何も感じないなら、「周りが輝いて見える。羨ましい」は活動者が陥る罠なのではないでしょうか。

Twitterに代表される他人の投稿が集約される系SNSは、他人の動向に影響を受け、時に活動者である自分に負の感情をもたらすものである

そういうものだと思って割り切るしかないです。

対策できることとしては、
・周りを見ないようにコントロールする
・見ない(アプリを開かない)
・気持ちの余裕があるときに見る
・見えないようにする(ミュートやブロック)
・受け取り方を変える(周りなんて気にしない!)

SNSのつきあい方については過去記事で語っています。参考までに。

厄介なSNSの罠② 周りの反応が気になってしまう

これこそ最大の罠に思える「反応が気になる」やつ。

自分がツイートした後、ついつい反応を見るためにアプリを開いてしまいます。その流れでタイムラインがなんとなく目に入り①の罠にはまっていくという…。

私の場合プッシュ通知OFFにしているので、アプリを開かないと分からないようになっています。気にしないように通知OFFにしているのに、反応が気になってわざわざアプリを開きに行ってしまうという…。呟いていないときは全く反応なんて気にならないんですよ。暇つぶしや情報収集感覚で開くだけ。

反応が気になるのは活動者として仕方がないところです。ここを気にするな。なんて言えない。もちろん、反応は気になります。前節で語っているので省略します。

厄介なSNSの罠まとめ

どうでしょうか?
活動者にとってTwitterはこれらの罠にはまりやすい仕組みになっているのではないでしょうか。
余計なものを見ずに、ただ反応やレスポンスが届くSNS…それが活動者のメンタルを守るためには必要な仕組みと思わずにいられません。
(どなたかそんな仕組みを構築中だったような…?)

Twitterは良くないツールなのか?

これまで、「Twitterは活動者にとってあまりよろしくない」論を語ってきましたが、最後に「悪いことばかりなの?」と反論を掲げてみます。

良い側面も考えてみましょう。

〈見る専用での利点〉
・情報収集できる(自分が好きなもの、流行っているものを追っかけられる)
・同じ趣味を持つ人と知り合える
・フォロー・フォロワーの繋がりから新しいことを知れる
〈活動者としての利点〉
・仲間と知り合える。仲間を作れる
・視野を広げることができる
・活動界隈の動向をリサーチできる
・活動界隈の有益な情報を入手できる
・活動界隈の悩み、問題点などを共有できる
・いいね、RTで反応の大きさが可視化できる
・リプ・DMで直接反応がもらえる(しかも早い)
・自分のことを知ってもらえる
・依頼やお誘いはメールよりもDMで来ることが多い

諸刃の剣ではありますが、反応が数字として見えるのは自分の活動に還元しやすいです。(反応が良いか、興味がある人がいるか多いか)
コミュニケーションツールとしてもレスポンスが早く、自分の活動宣伝にはもってこいです。
活動に関連する情報収集も容易にできます。フォローすることで、わざわざ探したり調べたりしなくてもタイムラインに情報が流れてきます。(時には興味ないものや自分が見たくないものまで勝手に流れてくるという欠点もありますが)

良いこともこれだけあります。
なので使い方次第で悪い方向にも良い方向にも働きます。
ツールに使われないようにしたいですね。

最後に

自分と向き合ってみたら、自分の力ではどうしようもないことに執着していることに気づきました。また、自分の成果やキャパシティを振り返るとそれなりに活動成果も出しているし、評価ももらっている。Twitterを見ていると無いもの探しをしてしまい自己肯定感が減り、劣等感を感じてしまうことに気づきました。

SNSは創作活動する人間にとって、自分と他人の比較を生み出しやすい側面もあることを再確認しました。どのように付き合うかは永遠の課題だと思いますが、自分の無いもの探しだけは無駄であると思いました。
そうは分かっていても罠にはまってしまいそうですが、精神的に安定していないときは使用を制限するなどSNSとの付き合い方を見直す必要がありそうです。

自分の話をしていきましたが、どなたかの気づきのお手伝いになったら嬉しいです。

(「活動者にとって〜」と理論を述べていますが、すべての人に当てはまるものだとは思っていません。あくまで個人的な考察です。)

〜最後まで読んで頂き、ありがとうございました〜

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こちらは音声作品向け台本執筆活動をしている“さわな”が思ったことを徒然に語る場所です。不定期更新です。
2019年10月30日で活動3周年を迎えました。ありがとうございます!

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