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いつだって月の光は愛のメッセージ

はるちゃんが「世界に悲しいことが多くて筆が進まない」って連絡をくれたとき、私もずーっとどんよりした気持ちでいたよ。

あのとき、大変なことが起きてしまったなと思った。
ニュースサイトから「速報」と通知が届いて、記事を読んでもにわかには信じられなくて、どこか上の空で、お約束のように末尾に並ぶ「いのちの電話」の番号を眺めていた。

自他の境界線はわりとはっきりあるほうなのだけど、自身から生まれる悲しみだけでなく、残された家族を想って(勝手に)生まれるべつの悲しみもあって、これはとにかく人に話して大丈夫になる必要がありそうだと感じた。

それでも最初に記事を見たとき、Twitter(まだXと言いたくない)で悲しみを吐露する人の声を見たとき、彼女が過去にストーリーズに投稿していたさまざまな言葉をスクショしていたなぁと思いだしたとき、電車で帰る静寂のとき、涙は勝手にこぼれてきた。正直いまも泣きそうです。

人に話そうと思っても「ryuchell、女性ホルモンのせいらしいね笑」なんて笑いながら切り出す友だちもいて(はるちゃんが名前を出さないようにしていたのを感じていたのに出してしまった。ごめんなさい)、余計に人の悪意みたいなのを感じて体が重たくなる日もあった。

私は、思っていた以上に彼女に強さを求めてしまっていたんだなぁと反省した。もしかしたら、人々のそういう気持ちも彼女のプレッシャーになってしまっていたのかもしれない、とも。

それで、強くて弱い女の子が、悩み傷つきながらそれでもだれかのために戦い、そして絶対に一人残らず、もちろん自らもふくめて守りぬいてくれる話を欲し、セーラームーンを観てきました。

思わぬ展開でしょ笑。
はるちゃんが甘いもので心を満たそうとしているとき、私は幼少期からの一番の女友だちに救いを求めていたの。

とはいえ、私も何十年もずーっとこのコンテンツに休みなく触れていたわけではないのだけど、ちょうどタイミング的に新作にしてファイナルの『Cosmos』の上映を記念して毎日YouTubeで旧アニメを期間限定無料配信してくれていたので、じっくりじっくり追っていたのです。

だいたいすきぴ(この言葉の便利さがとてもすきだ)の家で観ていたので、だんだん相手も自然と布教されていって、私が「観たい」と言わずとも自ら進んで流してくれるようになり、あまつさえ「Cosmos観たくなってきたな~」なんてボソッとつぶやいたものなので、それを私が聞き逃すはずもなく「行こう行こう」とゴリ押しし、前編・後編を一挙に一日で観に行くことになったのである。

ちなみにそれを先のホルモン発言した友だちに話したら、「男でセーラームーン一緒に観に行ってくれるなんてめっちゃいい人だね!」と言われてちょっとうれしかった。「いい人」と言われたことに賛同しただけでなく、身近な人であればちゃんと配慮してくれるんだなぁと感じたから。

いざ観てみたら、前編のOPの時点で涙が出ていたし(旧アニメを踏襲した映像なんですよ……しかも旧アニメではスリーライツが登場するこのバージョンのオープニングは制作されていなかったから幻の映像みたいな感じなんですよ……観て……。私くらいになると最初の鐘の音でもう泣き出しているから)

(YouTubeのほう、鐘の音入っていないかも……)

原作にとてもとても忠実で、後編を観終えて映画館を出たころにはまぶたが通常の500倍(体感)に腫れあがっていました。

この感動についてはPodcastでも熱く語りまくって初の1時間超えを果たし、結構そこで話しまくってしまったせいでうまく言葉が出てこないのだけど

(ついでにリンク載せとくね😌)

最近だれかのPodcastで、現代の私たちが一日に享受する情報量は江戸時代の一年分相当だという話を聞いたの。

本来(江戸時代を本来とするのが最適かどうかは置いておいて)春夏秋冬のすべての季節をめぐり、再び同じ景色を見るようになったその瞬間までの情報を私たちはたった一日で摂取してしまっている。

それは疲れてしまうよなぁと思った。そのうえでだれかの心の痛みを想像し慮ろうとしてしまうなんて、きっと不健全だよね。

連帯を示すならば、むしろともに戦わなくてはいけないよなぁ。たとえば飽和した情報社会を少しのあいだシャットダウンしてデジタルデトックスしてみるとか、憶測で話されるよからぬ言葉に「NO」をきちんと突きつけるとか、大事な人にちゃんと日頃から気持ちを伝えるようにするとか。

そういえばセーラームーンを一緒に観に行ってくれたこと、私も「なんていい人なんだ」と思ったのに(男性がいわゆる女性的なものに参加することが珍しいことではなく“普通”になってほしいと思いつつ)本人には伝えていなかったな。

心が弱くなってしまうことはだれしもあることで、大事な人がそのときに思い返せる真摯なやさしい言葉をたくさんたくさん送り届けて、しおりのようにしなければならないのだとなんだか強く感じた。

私も今までのやさしい人たちの言葉によって形成されている部分があるし、人間はとかくコミュニケーション下手で、言葉でしか相手に伝わらないところがあるので。

セーラームーンの世界の中で描かれる最後の敵は、この世の混沌。光が強くなればなるほどその影も濃くなり、永遠に消し去ることはできない。

だけどうさぎちゃんはそれを知ってもなお、何度でも戦いを終わらせるために戦う。実はすでにそのとき恋人のまもちゃんも失っているのに。(はるちゃんが観るかどうかは別として、仮にもweb上で公開する以上、ネタバレは避けたいところなのだけど、意外と前編冒頭でまもちゃんが消し去られることはいろんな記事で言及されているので……)

どんなに強く見える人も弱い部分は必ずあるし、いい人に見えても悪い部分だってあるし、というか人間を表現するうえで「強い」とか「悪い」っていう言葉はあまりにも当てはまらないものだと感じているのだけど、そのうえで目線を上げると、たとえば平和に見える環境でも絶対に闇は存在する。

矛盾するそれをもちろん戦いによって終わらせることなんてできなくて、これはまるで現実世界のようだなと思ったよ。

うさぎちゃんはもうひとつ答えを出していたんだけど、この星を救う彼女を突き動かすのは、彼女の仲間たちを救いたいという、いたってだれもが考えていること(実践できるかはべつとして)で、そばにいるだれかを守ることが世界を救うことにつながるんだな、なんて。

言葉をまとめる前に書きはじめたせいで話が振れまくっているけれど、なにが言いたいかというと、やっぱり身近な人にやさしくすることが自分を守ることにつながるのかもしれないなと。それが私にとっての、この世界を生き抜くための闘いのような気がしてきました。

あとは、とりあえずセーラームーンはいいぞ……。まず原作から読んでほしい……。試し読みできるサイトも見つけたので(依頼されていないPR)

※ちなみにここまで読んでもらったらわかるように、私もセーラームーンを「うさぎちゃん」、タキシード仮面を「まもちゃん」、そしてドラえもんは「ドラちゃん」、名探偵コナンは「コナンくん」、毛利蘭を「蘭ねーちゃん」と言う派です。

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