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プールサイド・ガールズ

「まだ髪濡れてるよ」
雫の滴る髪を無造作に結ぶ乾の後ろ姿を見つけて、そう声を掛けた。彼女は振り返り、笑顔を見せる。口にはパピコ。頭の上の方でお団子を作ってから、それを手に移し「体育委員おつかれ!」と、開きっぱなしのバッグの中からパピコの片割れを投げてよこした。
「だからそこ虫多いからバッグを直置きするなって何度も…」
「はいはい、お嬢様。かしこまりました~」
うちの高校の夏服は嘘みたいに薄く透ける素材で、みんな上からベストを着るのが常識みたいになっているのに、乾は暑がりだから平気でそれを脱いでしまう。さっきまで濡れた髪が触れていた肩口からはブラジャーの紐の色はおろか、肌の色までも見えそうだ。座る脚もいつ見ても半開きで、こちらの方が心配になってしまう。
「てか授業は全部オンラインなのに水泳の記録は必須です、とか何事なん?」
水泳の記録は~のところだけ体育教師の桑原の真似をするのは、お約束。
「似てないし」
笑いながら負けじと私も物真似を応酬する。
「は?絶対私の方が似てるじゃん」
乾も笑う。

夏休みが明けたばかりは早速秋がやってきたかと思う気候だったのに、台風が去った途端に真夏は戻ってきた。今日は風もほとんどなく、じりじりと頭のてっぺんから私たちを焼き焦がしていく。乾の隣に座ると、その腕が泳いだ後とは思えないほど熱を帯びていることに気づく。いや、熱いのは私の方か?
「ねぇ、もうパピコ溶けてる」
「いいや、どっちの方が似てるか後で志摩に判定してもらおう」
口に出したのは同時で、お互いに「ん?」と聞き返す。けれど、なんとなく聞こえた『志摩』という言葉でなんと言ったのか推測できて「志摩といえばさー」と私の方が先に話を変えた。
「なによ?」
私がにやにやしながら話し始めたものだから、乾まで口元が綻んでいる。
「あの子いつもドンキの鼻歌してるじゃん?」
「うん、しかもあれ本人無意識でしょ」
「こないだよく聞いてたらさ、『ドンドコドン、ドン・キー、ドン・キホーテ~』って歌ってんの」
言い終わると同時に笑ってしまったら、乾も一緒になって笑っていた。
「まじで?ドンドコドン…勝手に太鼓叩くなよ」
「それな~。めでたいかよ~」
「たぶんあいつここ来るときも歌ってくるでしょ。ちょっとちゃんと聞いてみよ」
「たぶんね」
ふふっと乾が笑い、私もふふっと声を出して笑った。

「でさ、今日こそマック行くか」
「いやだから、マクドナルドは」
そこまで言いかけたところで、ちょうど遠くから太鼓のドン・キホーテが近づいてくる音がする。
「え、ちょっと…まじでドンドコドンじゃん…やめろ志摩まじか…」
2人で肩を震わせていると、なにも知らない志摩が無邪気な顔で「まこちゃん、わんちゃん、お待たせしました~」とその両肩をぽんっと叩く。私たちはそれがスイッチのように、わははと大きく笑ってから、また同時に「太鼓叩くなって~」と「まこちゃんってだれ!わんちゃんってだれ!」と口に出した。
「え?なに?太鼓?まこちゃんは真小柴だからで、乾でいぬちゃんじゃおかしいからわんちゃんです!かわいいっしょ?」
今どき珍しいくらいの明るい金髪をくるくるに巻いた志摩の顔を見たら、なんだかどうでもよくなってしまう。
「かわいいのはお前だよ、志摩」
「えっやったー!まこちゃんから愛の告白いただきました~!」
「ちょっと、私まだ『わんちゃん』に納得してないんだけど。だいたいお前後輩だってちゃんとわかってる?」
「やだな、時代はエイジレスですよ先輩!」
志摩はさっきまで屋上プールの一番日のあたるところで私と一緒に水泳補修組の記録をつけていたはずなのに、汗ひとつかいていないみたいな顔をしている。まぁ補修後メイク直ししていたのは知っているけど、それにしても見事に崩れていない。まつ毛までバサバサとずっと上を向いている。

「はーもういいや、わんちゃんで。犬派だし。それよりマック行こ」
「行く!私今のハッピーセットのおもちゃ集めてるんですよ」
志摩がそんなことを言うものだから、乾が試すような顔でこちらを見てくる。
「な、もういいじゃん~。どうせあいつらがいたところで私らもいるんだし、なんも起きないって~。志摩なんか学園のアイドルだぞ、こいつがいりゃ百人力だろ」
「えっ私アイドルですか?キャピー!」
「なにその擬音…。恐竜の悲鳴?」
「なんかわかんないけど、かわいいっぽい音です」
「音…。音を声に出すの新しすぎていいな」
どうでもいいやりとりをしながら2人は私を置いて歩き始める。
「え、待ってよ。私行くとか言ってないんだけど」
身長差のある2つのシルエットが振り返り、にやりと笑う。乾のその得意げに片眉を上げる仕草、好きだ。

「…わかった。私もマクドナルド行く」
そう言って2人の間に入り込むと、たしかに嫌なクラスメイトにちょっと嫌味を言われるくらいたいしたことじゃないように思えてきた。本当はここ数日、だれにも言わずに眠るときに泣いたりしたけれど。
「てかまこちゃんってマックのこと『マクドナルド』ってちゃんと言うんだ?なんかかわいい~」
「それな。お嬢様だから~」
「お嬢じゃないし、そうだとしても関係ない!」
笑い声の余韻を残したまま志摩がいつもの歌を歌い始める。
「いやだからまじ太鼓な!」
乾がぎゃははと今日一番下品な声で笑った。

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