見出し画像

パンのからだ(2018年)

「すきなひとの首筋のにおいはパンのにおいがするって歌があったけど、嘘だ」
そう言って彼は私の首筋に顔をうずめ、唇をそわせてはちろちろと何度も舐めた。

ある病気の影響で彼には記憶障害の気があり、二度ほど私の名前も忘れたことがあったけれど、こうして時折、元来の記憶力のよさを表出させる。
歌の詞やだれかの言葉、行った場所、そして些細なやりとりも、違えることなく覚えているのだ。

もともとよく物忘れする私には、本来持っていたものが失われていくことの苦痛がどれほどか、たぶん1/3も伝わっていない。

その忘れっぽさを利用して、彼が運命的なものを騙ることもある。
私の過去の発言や態度を模倣し、同じ感覚を持っているとうそぶくのだ。
たとえばすきな食べ物や映画、雨の日にはサティのジムノペディが似合うと思っていることや、「いいにおいがする」と言って首筋に顔を近づけ、二人の距離を縮めようとするところ。
「また真似しているな」と思うのだけど、結局その愛しすぎる手口に、いつもまんまと引っかかってあげている。


ひとが生まれてすぐに機能するのは視覚でも聴覚でもなく嗅覚らしい。
母の乳房を嗅ぎ分けて育ち、年頃になれば遠い遺伝子を嗅ぎ分けて恋をする。

いわば種が生き残るための、いたって原始的なツール。

だけど、厄介なことに嗅覚は記憶とも結びついていて、昔の恋人が吸っていた煙草や新学期に嗅いだ新しい教科書のインクのにおいの懐かしさにエモーショナルになることもある。

やじろべえのような彼の記憶力がいずれ片側に傾いたときに、それでも私を、私との日々を、思い返すことができるにおいがこの体にあるのか考えている。

それがパンのにおいなら、なおいい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?