医療者にとって本当に必要な接遇とはNo.1

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医療者にとって本当に必要な接遇とは

病院は飛行機の上でもホテルでもない。
「おもてなし」より「人生観と死生観に裏打ちされた真摯な看護の提供」を


医療者にとって本当に必要な接遇って何ですか?

そう聞かれたら皆さんは何と答えるでしょうか。

マナー研修などの講師様は、接遇というと口をそろえて「おもいやり」や「おもてなし」が大事だとおっしゃいます。

でも私は、病院という場所にこの言葉はあまりふさわしくないと感じています。

おもいやり」は医療者もとても大事にしていますが、販売業やサービス業の方々が思う「おもいやり」と、

医療者のそれとはまた質が違うとも思っています。

特に私は病院で「おもてなし」という言葉を継活ことにとても違和感を覚えます。

外科で手術を受けた患者さんが痛みを訴えていたとしても、術後経過が良好で合併症もなければ

できるだけ早く退院してもらうのがいい医療だとされている世の中です。

効率重視の医療が求められる中、決められた業務をこなしながら「おもてなす」ことは相当な技術の熟練と人間力を要するでしょう。

居心地が悪いのはよくないですが、病院はホテルでも飛行機でもないのですから「5つ星ホテル」のような空間である必要はない。

私はそう思っています。そして私は患者さんには「やっぱり自分の家が一番」であってほしい。

自宅に帰るのが嫌になるほどのすばらしい待遇より、病気になったことでこれまでの生活習慣を見直すことができたり、

働きすぎの生き方を変えていく決心をしたり、ケガを通してあらためて健康に感謝したりと、

こんなふうに静かに自分自身や自分の人生と向き合えるようなサポートを受けられる場所が『病院』なのであり、

何もホテルや飛行機を目指すことはないと思うのです。


よく理事長や院長が「うちの病院は接遇が悪い」と感じて、元CAや茶道教室の先生などに研修を依頼したりしますよね。

私もこういった方々の研修をたくさん受けさせてもらいました。

元CAの方にマナートレーナーの認定を受けたりもしました。

でも正直、医療の現場で受ける研修としては「なにか物足りない」と思うものがほとんどでした。

それでも医療者は本来とても素直ですから、元CAの講師にマナー研修で「語先後礼」などの新しい情報を教わったり、

場所や物を「指し示す」ときには手の平を見せるのだとか、肘で角度を表すのだとか教わったりすれば、一生懸命に学び「なるほど」と習得します。

※語先後礼:「おはようございます」などの言葉を言い終えてから後でお辞儀をすること。サービス業のお辞儀の基本だと言われている。


ただ、講師が何よりも「おもいやり」が大切だと言っている割には、お辞儀の仕方に物の授受、そして敬語の正しい使い方と、教える内容が

お決まりの「型」や「形」だけだと気づいてしまい、「物足りなさ」を感じてしまいます。

ベテランの医療者ほど物足りなさを感じてしまうようです。


看護のベテランになったら マナーの「型」を崩せる応用力が必要 

マナー講師の教えによると、「おもいやり」は目に見えないので「形」にする必要がある。

だから「型」や「形」が大事なのだといいます。

私も心は目に見えないので「形」にすることは大切なことだと思います。
(新人の時代にはこのスキルはしっかりと身に着けた方がいいでしょう。)

ただ、「形」をマスターしたらその次へ行ってほしいのです。

つまり「おもいやりとは何か」という本質をベテランの医療者は学ぶ機会を求めているのに、

マナー講師と呼ばれる講師陣は「形」や「型」だけの講義に終始している。そのため研修後の「物足りなさ」「不満足感」が生まれてしまいます。

じつは今の私の仕事の三分の一は「接遇委員会の立ち上げ」や「接遇トレーナーの育成」に「接遇研修」です。

会社設立当初はこうなると予想していなかったので、私は会社の名前を「TNサクセスコーチング」としました。

文字通り、「コーチング」の資格認定やコーチング研修に特化する方向でこの名前をつけたのですが、

上記のようなマナー講師への物足りなさから、
「元医療従事者で接遇研修ができる人」にと、

依頼を受けることが多くなり、そんなふうになりました。


私も研修ではマナートレーニングと称して「形」や「型」もお伝えしていますが、(新人研修では形の習得が目標です)

ほとんどの時間は参加者の皆さんに「看護を語ってもらっているだけ」です。

痛みがひどくて看護らしいことも何ひとつできなかった患者さんに、

「あなたに最後を看取ってもらえたらもういつ死んでも心残りはない」と言ってもらえた。

こういった場面を詳しく話してもらい、参加者みんなで涙する

「看護とは、本当のおもいやりとは何か」を共に考える。

クレームを頂いたシーンを患者さん役と看護師役になってロールプレーをして再現し、よりよい対応を考える。

と、こんなことを大事にしています。

ときには、看護師にいわれなき怒りをぶつけてこられた患者さんに感情的になって言い返してしまった。

でもその後、患者さんが「八つ当たりして悪かった。でもあんたにしかできんのじゃ。許してくれ」と言われ、

「私でよかったらいつでもどうぞ。でも、受けてたちますよ!」と返して患者さんと爆笑し、そして号泣しあったのだという話・・・。

看護の現場からはこんな武勇伝がたくさんでてきます。

私はファシリテーションをしているだけで、「看護師ってなんて質の高い思いやりを持つ人達なんだろう」と感激します。

そしてこういった話を聴くことができるこんな仕事をさせてもらっていることに自然と感謝が湧いてきます。

看護師は、病気や死に直面している患者さんに寄りそうことで、いろんなことを深く、そしていろんな人々の立場から考えます。

時にはあばれる患者さんの立場になって考えたり、退院調整が済んでからやっぱり連れて帰れないと放棄する家族の立場になって考えたり・・・。

日々の看護を一生懸命にすることは、看護師自身「死生観」「人生観」確立させるのでしょう。

だから患者さんやご家族とも「同じくはかない命をさずかった人間」として、しっかりと向き合い、ときに寄りそうことができるのではないかと思います。

確かに、お辞儀も言葉も身のこなしも、美しい方がステキです。

だからマナーなどの「型」や「形」は「人生観」なり「死生観」が確立しておらず「看護の技術」も不十分な新人時代にこそしっかりと身に着けておくのがいいでしょう。

でも、ベテランになったら必要に応じて「型」を崩せる能力も必要です。

小学一年生は「〇〇様」と呼ばれるより、「〇〇ちゃん」の方が親しみを感じるでしょう。

認知症の患者さんが自分のことを孫と勘違いしているような場合は、孫のふりをして関わることも大事ですし、

敬語で説明してもずっと方言で聞き返してくる高齢の患者さんにはむしろ訛って話すことも必要です。

マナーだの接遇だのの型を超え、臨機応変に相手に合わせた対応ができる、これぞ看護のプロの技です。


医療者に一番必要な接遇とは、
お辞儀の角度でも、きれいな指示しでも、正しい名刺交換の技術でもない、

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