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お爺さん(74歳)の思い出 その33 子供の遊び

私の子供の頃は、働き手の一人に数えられることが多かった。

勿論私も長男であり、その一人であった。
従って、友達との遊びは農繁期にはできない事になる。学校帰りに友達と遊んでいると、まだ学校に行っていない、弟が呼びに来る「あんちゃ〜ん、とうちゃんが、早く帰ってこいち、いいよるばい」そう言って迎えに来るのである。我が家は、小学校からは2〜3百m位だったので、学校が終わる頃合いがわかるのである。

遊びたい盛りの子供であるが、父は家の手伝いをしてもらいたい、その一心で弟を呼びにやるのである。渋々友達と別れて家に帰って、手伝いをしていた。

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家では父が何ですぐに、帰って手伝わないかと怒っている。帰り着いて人たま怒られて手伝いをする毎日であった。それ程父は仕事に熱心に取り組んでいた。それも、先に書いたように、貧乏に生まれて何とか、人並みの生活を早く取り戻したい一心だったと、今は気づく。

でも、その当時子供の頃はわからないから、遊びたい一心で何で自分だけ、家の手伝いをしなければならないのか?と不満タラタラだったことが、今となっては恥ずかしい。

その頃の子供の遊びは、野球や隠れんぼに相撲。夏は、水泳や魚取り、チャンバラなど、遊び道具はないから、自分達で工夫して遊んでいた気がする。

昔から、仲間はずれはあった。特に私は遊びの途中で、止めて帰ることが多かったせいもあって、仲間はずれにされる事が多かった気がする。

それでも、その当時の仲間、友達は今でも付き合いがあり大事である。小学校の同級生は男5人、女3人の8人であるが、70年近く経つ今でも時々あって、昔話をする仲を保ち続けている。

友達とのとは有難いものである。

本日もありがとうございました。

今後もよろしくお願いします。

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