花束みたいな恋をしたを観ました。(2回目)

“とりあえずここに直しておこう。”と
何でもかんでも入れちゃうボックスがある。
“サボりボックス”と心の中で呼んでいる。
蓋がしてあるのでぱっと見ると、
部屋自体はすごく整っているように見えるが
その中がぐちゃぐちゃになっていることは
この部屋の主である私だけは知っている。
ずっと片付けなきゃと思いながら
不便はしてないのでそのままにしていた。

昨日は、全然眠れなくて
日中ボーッとしてしまい
今寝たらまた夜眠れなくなるという恐怖が迫ってきて
ついにそのボックスをひっくり返して整理することに。

作業するのに音が欲しくて
Amazonプライムを開くと
花束みたいな恋をしたと見つけた。
映画館にも観に行ったことのある作品。
観たいと思ったのではなく
流し見になるから知っている作品を
深い意味もなく選んだ。

海辺でデートしているシーンがあるんですが
そのシーンで有村架純さんのナレーションが入る。
“はじまりはいつも終わりのはじまり“

1回目映画館で観ていた時
「今から私はこの2人の終わるまでの物語を
見届けていくんだぁ」と序盤で胸が苦しくなった。
その感覚を鮮明に何故か覚えていて
2回目見ることをなんとなく避けていた。

2回目の今回も結末を知っているのに
同じように胸が苦しくなった。
というかその後も1回目よりも胸が苦しくなった。

私は常々、気持ちや空間を言葉に変換できる
言葉を使った仕事をする人を本当に尊敬している。
作家さん、編集者さん、歌手、ライター
花束みたいな恋をしたは、
普段思っても言葉に出来ず飲み込んでしまうような
気持ちを等身大に表現されているように思う。
そういう言葉で言い表せるのか、
その気持ちをそんな言葉に変換して伝えてくるのか、
もう凄過ぎて何度もため息が出た。

言わなくてもわかるでしょ、
普通に考えたら、常識的に、
言葉にしなくても察してほしい、
私はこの類の言葉が嫌いだ。

言葉に出来ない時はある。
その時は身体や表情、涙で表現する。
でも本当は可能な限り言葉で伝えたい。
取り違いがないように相手に伝えたい。
何かに別のもに例えて気持ちの大きさを
言葉で表現することもできる。
感動や驚きが度を超すと”絶句“することもある
でもその後に絶句するほどどう感じたか
言葉にして伝えたい。

映画を全部見終わり、
今私の隣にはひっくり返した
物が散乱している。笑
でも気持ちには鮮度がある。
だから心のかで生きている間に
必ず言葉に残してとっておきたい。

聞いた言葉も同じく
感動・関心・学び・喜び
まだ理解が追いつかなくて消化不良の言葉も
その時自分の心が動いたものは
新鮮な内にきちんとメモを取る習慣がある。

私は、今日この習慣を自分のルールを
改めて持っていて良かったと心から感じれた。
さて、そろそろ片付けを再開しないと。笑
では、また。

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