エゴを抱き参らせることで役割を果たす
人には役割が与えられていると言われます。
人により体験や環境が違うのは果たすべき役割が異なるからです。
この事からも人は必要があるから生きている、ということが推測できます。
また役割は神が与えるため、役割を果たさないことは神に背くことになります。
では役割とは何なのでしょうか?
神とは歓喜、弥栄、調和です。
つまり喜びのない、より良くならない、調和的でない行為は役割を果たしてないことなります。
行為自体に正解はありません。
正解は行為の前提となる動機にあります。
故に動機が歓喜、弥栄、調和であるならどの行為も正しいと言うことです。
歓喜、弥栄、調和で行為するものには歓喜、弥栄、調和が訪れます。
内側が外側に現れるから、動機が大事なんです。
動機が正しければ不安、恐怖などは起こりようがないんです。
人の行為の動機とはエゴだから歓喜、弥栄、調和と対立します。
対立しますが、その動機を裁いてはいけません。
知ることが大事なんです。
人はどんなに綺麗事を言い、見映えの良いことをしても、動機は全て自分のためなんです。
その動機と向き合うことで、エゴ的なものは消え去っていきます。
素直にただ見ることで、エゴも抱き参らせることです。
現実逃避しても何も良くならないことは皆さんよく知っているはずです。
現実を素直な気持ちで見続けて下さい。
以下は日月神示の一文です。
日月神示
【月光の巻 36帖】
行は、世界中の行、誰一人逃れるわけには行かんぞ。
メグリ果たした者から嬉し嬉しになる仕組。
そなたの心配、一応は無理ないなれど、何処で、どんなことをしていても、身魂磨けてさえ居れば、心配なくなるぞ。
心配は磨けて居らぬ証拠ぞ。
そなたはモノに不足するとこぼして御座るなれど、モノに不足するのは、心に足らぬところがあるからぞ。
心至ればモノ至るぞ。
何事も神の申す通り素直になされよ。
素直結構ぢゃなあ。