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両極端を理解することで極端を超える

前回、言葉に現すと極端になると書きました。

何とも言えないもの、何と限定することが出来ないものに対して人は「言葉に出来ない」と表現します。

言葉とは具体的にこれだと限定するため、極端にしかなり得ないんです。

物事の実相は不二であるとグル達は言います。

不二とは般若心経で言われている『色即是空、空即是色』です。

つまり一切のものには裏表という両極があり、相反するが故に一つとして存在しているということです。

上下、左右、強弱、寒暖、男女、長短、明暗、遠近、大小、高低、終始。

オンとオフ、早いと遅い、押すと引く、深いと浅い、硬いと柔らかいなど相反するものが一つとして存在していることに気づかないでしょうか?

どちらか片方だけで存在できるものなどないんです。

だから矛盾すると見えるものの元は一つなんです。

また皆さんは暑い時には涼しくなるように、寒い時には暖かくなるようにします。

その時の状況により暖かい方が良いと感じたり、涼しい方が良いと感じているはずです。

物事一切がそうであるように、ある時は正しくなり、またある時は正しくなくなったりするんです。

物事とはその時々で何とも言えてしまう、または何とも言えない実体のないもの、つまり幻想であるとグル達は言います。

このことからも極端に真実はなく、故に極端にこだわること自体、意味のない行為だとわかると思います。

真実は両極から最も離れたところにあると言われます。

師匠がよく『両極の立場に立って考えろ』と言っていたのも、結局は両極からのとらわれをなくすためのものだったんです。

両極から離れるためには2つの方法があります。

一つは両極を否定することです。

もう一つは相反する両極を両立させることです。

真逆の方法に見えますが、同じ結果にしかなりません。

なぜなら物事の実相は不二だからです。

以下は師匠の教えです。


【師匠の教え】
言葉は極端だが、極端と極端の両極をどちらも否定すると真ん中が現れてくるのです。

どちらも否定して初めて真ん中があらわになるからです。

色即是空で一切の執着を消し去り、空即是色で無常の慈悲を現さねば偏りになるのです。

自由ありは裁きを生み出します。

自由なしは怠慢を生み出します。

自由なしは努力と、反省を消し去ってしまいます。

裁かないは良いのだが一つ間違えると、自分が裁いていること自体反省せず、自由がないのだから仕方がないと言い出す人がいるのです。

実際に以前ここにもいたのです。

これは一つ大事なことを忘れている。

我々は自由自在に選べるが、その選んだことが実は自由とは言えない。

それは全体は、神は人に現れる思いを使って人を動かすから表面は自由であり、本質は不自由だからです。

この自由と不自由は極限のバランスの中、ちょうど真ん中でバランスが取れており、実は自由と言えば自由であり、自由でないと言えば自由でないと言うものなのです。

表面から見るか、本質から見るかでどちらとも言えるものなのです。

自由と言えば一つの極端であり、また不自由と言えばまた一つの極端なのです。

現象とは空であり、空もまた空です。

現象と空を否定したところに真実があるのです。

両極と極端は対立していない。

なぜ人には両極と極端が対立して見えるのか?

それはどちらかの極端に偏るからです。

両極の中間は両極が対立せず共に働いている。

例えば遊具のシーソーの両極に同じ重さのものを乗せると吊り合うね。

あの吊り合っている状態は両極が対立せず共に働いている状態とよく似ている。

両極を共に否定すると両極が吊り合った状態になり、両極は何の矛盾もなく共に働く。

『自由だ』が裁きを生み出し、『自由でない』が怠慢を現すが、どちらも共に否定すると両極が吊り合い、裁きもなく、怠慢もないと言う生き方が現れてくるのです。

自由自在に行為しながら、裁きもせず、怠慢もない生き方が現れるのです。

両極が吊り合う所とは両方が成り立つように考えることです。

それで両極が否定され、両極が合わさったものが出来上がる。

本当の自由がそこにあるのです。

ついでだからもう一つ『本当の自由がそこにある』のそことはどこだ。

両極の彼方のそこが彼岸なのです。

両極から最も離れた場所は両極の真ん中だ。

彼岸とは太陽が真東から昇り、真西に沈む、春分・秋分を中日とし前後各3日を合わせた各7日間(1年で計14日間)彼岸としている。

彼岸とは太陽が真東から昇り真西に沈む一年に二度の中間であり、だから真ん中(中道)を現すのです。

吊り合いがとれた中間だから彼岸の中日には、この世と彼世が繋がるのです。

この彼岸の中日以外は偏りで、両極の偏る姿を現し、中日が真ん中で彼岸を現すのです。

極端とは迷いや煩悩であり、極端と極端から離れることを向こう岸に行くと言い、向こう岸に渡ることを三途の川を渡ると言い、両極から離れたところを彼岸と呼び、彼岸とは涅槃なのです。

皆さん、だからよく気をつけて両極のどちらかの極にも傾かないことなのです。

両極は極端であり、真実はない。

だが両極を理解することで真ん中に至るのです。