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反応とは苦しみ

何か事が起こると心は反応します。

この反応は瞬間的に行われている故に気づける人はほとんどいません。

良くない思いや感情が現れるのは反応が原因です。

仮に何かが起こったとしても、心が反応しなければ何も起こっていないのと同じです。

そう、心が反応しなければ問題などなくなるんです。

反応は人それぞれの記憶により違いはありますが、人の記憶は個人の立場でつくられている故に反応すること自体、悪い影響しか与えないんです。

私の師匠も『反応とは苦しみだ』と言い、さらに『苦しむだけなのに何故、反応するんだ?』と言います。

反応は意識的に行っていないので自分に責任はない、と思うかもしれません。

しかし、皆さんは反応による思いや感情を客観的に知ることが出来ています。

知ることが出来る以上、反応を拒否することも出来るわけです。

そう考えると反応による一切の行為に責任があると言えます。

師匠は『反応的に行為するな』と言っていましたが、別の言い方をすると反応に気づきなさいということです。

皆さんは間違いに気づいたり、痛い目にあった時、その行為を自動的にやめるはずです。

なぜなら無駄なこと、意味のないことと気づくからです。

それと同じで反応的な行為、思いに気づけばそれらは自然とやめるようになります。

その気づきを繰り返すことで反応そのものが現れなくなるんです。

だから意識を外側から内側に向けて、反応に気づき続けることです。

以下は師匠の教えとは日月神示の一文です。


【師匠の教え①】
『なぜ反応するのか?』と問え。
『反応して何になるのか?』と問え。
その反応がなくならない限りなるようには出来ていないんだ。
心の反応は貴方じゃないけれどの幻想の中の今の貴方が反応しているんだよ。
惟神は引き算じゃないよ。
自分の問題として解決して行け。
貴方がそれなんだを間違っちゃいけない。
貴方の自然な姿がそれだけれど今の貴方は自然な状態ではない。
だから磨いて汚れ落として行くんだ。
そう言う道もあるけれどそれじゃ改心できない。
反応とは苦しみだ。
反応すれば苦しみなのになぜ反応する?
愚かだからだ。
だから『それでどうなるのか?』の回答は何にもならず苦しむだけが答えだ。
『なぜ反応する?』の回答は愚かだからだ、なんだ。
どうしてわざわざ自分で苦しむんだ?
愚かだろう。


【師匠の教え②】
神示でも改心、懺悔が語られております。
特に【碧玉之巻 4帖】では『真の懺悔は正法をおさむることであるぞ、掃除することであるぞ』と書かれています。
私がその言葉の元を知りなさいと言うのは、今すぐ全てを治しなさいと言っているのではありません。
マインドに誤魔化されず、より深いところに気づきを向けて行きなさいと言っているのです。
心の大きな動きが少なくなって行ったら、今度は気分に気づいて行きなさい。
そして気分の変化とは何か、その気分の変化が起きる元は何かに気づいて行くのです。
改心が起こるまで気づいて行くのです。
改心とは神に通ずる心の変化なのです。


日月神示
【碧玉之巻 4帖】
真の懺悔(ざんげ)は正法をおさむることであるぞ、掃除することであるぞ。
まず御(おさ)め、次に治(おさ)め、次に知(おさ)めねばならんぞ、
素盞鳴(スサナル)の大神はまず滄海原(あおうなはら)を御め給い、さらに蒼海之原(あおうなのはら)を治め給い、次に天ヶ下(あめがした)を知め給うたのであるぞ。
素盞鳴の大神が悪神とうつるのは悪がそなたの中にあるからであるぞ。


【磐戸の巻 18帖】
覚悟はよいか、改心次第でその時から善き方にまわしてやるぞ。
改心と申して、人の前で懺悔するのは(神国のやり方ではないぞ、人の前で懺悔するのは)⦿(かみ)傷つけることになると心得よ、⦿の御前にこそ懺悔せよ、懺悔の悪きコトに倍した、善き言霊のれよ、言(こと)高くあげよ、富士晴れるまで言高くあげてくれよ