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平等とは意味において同じこと

平等、公平が大事だと誰もが思っています。
では平等、公平とは一体何なのでしょうか?

例えば、食糧に困っているA国と交通に問題を抱えているB国があるとします。
A国は食糧と農業の技術、B国は道路と移動手段を必要としているのがわかります。

しかし、平等にしなくてはならないとB国に食糧と農業の技術を与えたらどうなるでしょうか?
B国の問題は解決せず、意味のない行為になります。

何でもかんでも同じにすることは悪平等であると日月神示で言われています。

この世にあるものを見てください。
それぞれ違いのある会社、組織、人が協力して世界をつくりあげています。

人間の身体もそれぞれ違った器官が調和して生きています。
同じものばかりだと動きが生まれない故に弥栄しません。

弥栄しないものに歓喜はなく、歓喜がないものは神の意に背くから悪平等となるわけです。

A国、B国の話に戻すとA国には食糧と農業の技術を、B国には道路と移動手段を与えるのが平等と言えます。
与えられるものは違いますが、必要なものを与えるという意味では平等です。

必要なものを得るから弥栄するんです。
私の師匠も適材適所が平等だと教えてくれました。

師匠の教えもその人その人にあった教えを与えていたので、弟子によっては違うことを言っていました。
同じことを教えても、受け取り方は人それぞれで全員が同じ理解になることなどありません。

だからこそ、それぞれの人に応じたものを与えてあげる必要があるわけです。
意味において同じなら、見た目が違っても平等なんです。

『物事の意味を見て、意味を語りなさい』と師匠から何度となく言われたことがあります。
意味が語れるくらいになれば一見、耳の痛い事や厳しいことを言ったとしても愛のある行為が出来るのだと私は感じています。

それは何の躊躇もなく耳の痛い事や厳しいことを言えるようになってきたからです。
相手にとって本当に必要なものは何か、がわかってくると自然とそうなります。

師匠が耳の痛い事や厳しいことをニコニコしながら言っていたのがその証拠です。
以下は平等、公平について日月神示に書かれている一文です。

日月神示
【五葉之巻 9帖】
平等とか公平とか申すのは悪魔の罠であるぞ、天地をよく見よ、人民の申すごとき平等も公平もないであろうがな、一寸伸びる草もあれば一尺伸びる草もあるぞ、一寸の草は一寸、一尺の草は一尺が頂天であるぞ。
これが公平であり平等と申すもの。
人民は選挙と申す麻薬に酔っているぞ、選挙すればするほど本質から遠ざかるぞ。
他に方法がないと定めてかかるから、悪魔に魅入られているからわからんことになるぞ。
世は立体であるのに平面選挙していては相成らんぞ。
平面の数で定めてはならん、立体の数に入れよ。

【黄金の巻 56帖】
逆怨みでも怨みは怨み。
理屈に合わんでも飛んだ目に遭うぞ。
今までの教えでは立ちて行かん。
生まれ替わらねば人も生きては行かれん。
平等愛とは、差別愛のことぞ。
公平と言う声に騙されるなよ。
数で決めるなと申してあろうがな。
群集心理とは一時的の邪霊の憑きものぞ。

上から乱れているから下のしめしつかん。
我れ善しのやり方では世は治まらん。

【秋の巻 16帖】
統一ということは、赤とか白とか一色にすることではないぞ。
赤もあれば黄もあり青もあるぞ。
それぞれのものは皆それぞれであって、一点の・でくくるところに統一あるぞ。
くくると申して縛るのでないぞ。
磁石が北向くよう、すべて一点に向かうことであるぞ。
これを公平と申し、平等と申すのぢゃ。
悪平等は悪平等。
一色であってはならんのう。
下が上に、上が下にと申してあるが、一度で治まるのでないぞ。
幾度も幾度も上下に引っくり返り、また引っくり返りビックリぢゃ。
ビックリこねまわしぢゃ。