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学びとは実践すること

悟りに至る方法は無数にあると言われます。
 
智慧により理解する方法、委ねによる方法、自分を消す方法、自分を拡げる方法、心を停止させる方法、恐怖を超越する方法、瞑想による方法、禅問答による方法、考案による方法など。
 
導師(グル)と呼ばれるマスター達は複数いますが、マスターによっても方法は様々です。
 
なぜ方法がいくつもあるのかと言うと、方法自体は悟りの条件ではないからです。
 
実は個人性を超越できればどんな方法でもいいんです。
 
方法がなくてもいいんです。
 
しかし、それだと何をしたら良いのかわからないから方法が存在するんです。
 
では「悟りって何ですか?」と聞かれた場合、皆さんなら何と答えるでしょうか?
 
私の師匠は悟りとは生き方だと言います。
 
キリスト教、イスラム教、ヒンズー教などの教義を見てみると人の生き方が説かれています。
 
昔、日本ではお坊さんが一般の方々に生き方を説いていました。
 
困った時に頼りにされていたことから、駆け込み寺という言葉が生まれたくらいです。
スポーツなどの上達を目指す場合、理論を学ぶことは大事ですが理論だけで上達することなどあり得ません。
 
理論を元に実践することで初めて上達することが出来ます。
 
上達することで理論を理解するが出来ます。
 
さらに実践し続けることで上達しつつ、理解を深めることが出来ます。
 
これが身に付くということです。
 
生き方も同じです。
 
教えをひたすら実践することで理解が深まり、生き方が変わります。
 
私の師匠も『過去のマスターの教えや本を読むことは参考程度にしておきなさい』『それよりも教えたことを日々の生活の中で実践しなさい』とよく言っていました。
 
師匠の教えを実践し続けてきてわかったことですが、実践しないと教えの意味が理解できないということです。
 
意味が理解できたからこそ教えが生き方に現れ、生き方が変わったんです。
 
変えようと思わなくても自然と、勝手に変わったんです。
 
どんなに優れた教えや知識も身に付かないと意味がありません。
 
身に付いて、生き方に現れて初めて意味があるもの、価値あるものになるんです。
 
だから実践し続けることが大事なんです。
 
以下は日月神示の一文です。
 
 
日月神示
【青葉の巻 3帖】
三大実践主義
・弥栄実践
・祓実践
・まつり実践
 
大宇宙の弥栄生成化育は寸時も休むことなく進められているのざぞ、弥栄が⦿(かみ)の御意志ざぞ、⦿の働きざぞ、弥栄は実践ざぞ。
人としてはその刹那々々に弥栄を思い、弥栄を実践して行かねばならんのざぞ。
宇宙のすべては⦿となっているのざぞ、どんな大きな世界でも、どんな小さい世界でも、ことごと中心に統一され、まつろうているのざぞ。
マツリせる者を善と言う、それに反する者を悪と言うのざぞ、人々のことごとマツリ合わすはもとより、神、幽、現の大和実践して行かねばならんのざぞ。

 
 
【春の巻 2帖】
神人と申すのは、神の弥栄のため、世の弥栄のために祈り、実践する人のことであるぞ。
神のため祈れば神となり、世のために祈れば世と一体となるのぢゃ。
自分のためばかりで祈れば迷信、我れ善しの下の下ぞ。