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あると思うからある

『ある』と『ない』を区別する基準とは何でしょうか?
 
と聞かれるとほとんどの方は五つの感覚器官からの情報によって区別していると思うのではないでしょうか。
 
確かに知覚で得た情報を思考し、判断を下すのが一般的なプロセスです。
 
ではあなたの背後に猫がいますが、あなたは気づいていません。
 
この場合、あなたにとって猫は『ない』ですが現実には『ある』になります。
 
また急に仕事がなくなり休みになりましたが、あなたには連絡がきていません。
 
この場合、あなたにとって仕事は『ある』ですが現実には『ない』になります。
 
そんなこと当たり前だと思うかもしれません。
 
ですが、ここで気づいてほしいのは現実がどうあるかは関係ないということです。
 
さらに、よくある例え話でバケツに水が半分入っているとします。
 
この半分の水に対して「もう半分しか水がない」と考えるか「まだ半分も水がある」と考えるかで意味が大きく変わってきます。
 
バケツに水が半分入っているという同じ現実を見ているのにも関わらず、です。
 
このことからも現実がどうあるかではなく、現実をどう見るかが重要であるのがわかると思います。
 
外側の出来事(現実)に意味を与えているのはあなた自身なんです。
 
故にあなたの心があなたの世界をつくっていると言えるのではないでしょうか?
 
今まで何度も書いてきましたが日月神示で言われる『内側が外側に現れる』と同じなんです。
 
最初にした質問の回答ですが、あると思えばあるになり、ないと思えばないになります。
 
あなたの心があなたの世界をつくっているというのを忘れないで下さい。
 
以下は日月神示の一文です。
 
 
日月神示
【富士の巻 9帖】
この世は人間にまかしているのざから、人間の心次第ぞ、しかし今の臣民のような腐った臣民ではないぞ、いつも神の憑(か)かっている臣民ぞ、神憑かりとすぐわかる神憑かりではなく、肚の底にシックリと・鎮まっている臣民ぞ、それが人間の真の姿ぞ。
いよいよ地獄の三段目に入るから、その覚悟でいてくれよ、地獄の三段目に入ることの表は一番の天国に出づることぞ、神のまことの姿と悪の見られんさまと、ハッキリと出て来るのぞ、⦿(かみ)と獣と分けると申してあるのはこのことぞ。
何事も洗濯第一。

 
 
【黒鉄の巻 37帖】
宇宙は人間の心のままと申してあろうが。
宇宙は未完成のものと申してあろうが。
永遠に未完成であり、弥栄であるぞ。
そこに生命あり、喜びあるのぢゃ。
大神の中で、宇宙はなりなりているのであるから、ナリ、永遠になるのであるぞ。不変の中に千変万化、自由自在の存在を与えてあるのぢゃ。