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自分がいるという錯覚がないはずの苦しみを生む

不満、怒り、恐怖などと無縁でいたいと誰もが願っています。
しかし不満、怒り、恐怖と離れられないのが現実です。
なぜ不満、怒り、恐怖などが現れるのでしょうか?

例えば他者の出来事で不満、怒り、恐怖が起こることはないはずです。
不満、怒り、恐怖が起こるのは自分に関する事と決まっています。

皆さんがこの世にあるものの中で自分と見なしているものはどの程度の範囲でしょうか?
皆さん自身がよく知っている身体と記憶という非常に限定的な範囲ではないでしょうか?

その限定的な範囲とそれ以外との差が大きいほど自分の事しか見えないから、他者の事など考えることが出来ません。
故に自分勝手の我善しにしかならないから、あらゆるものとの調和を乱してしまうんです。

この世界には自分以外のものが無数にあります。
身体も記憶も体験もその他一切も全て神が与えたものです。

人間に緻密で精巧な身体機能を与えたのは人間でしょうか?
人間に複雑極まりない思考能力を与えたのは人間でしょうか?
空気や水、土を与えたのは人間でしょうか?
様々な法則、秩序を与えたのは人間でしょうか?
皆さんも苦い体験、痛い体験をしたことがあるはずですが、そこには必ず学びがあったはずです。
その体験を与えたのは人間でしょうか?

あるもの一切は神より与えられたものです。
皆さんが自分と思いなしているものも神が与えたものです。

自分のものでないのに自分のものだとすることは泥棒だと師匠から言われたことがありました。
だからどんな行為も自分が行ったと思うな、させて頂いたと思いなさいと教えられました。

この教えは『自分のものなど何もない』『自分などいない』に通じます。
私が師匠にどんな質問をしても最終的には自分を失くすということに行き着きました。

どんな宗教のどんな教えであっても目的はこれだと言われます。
なぜかと言うと、自分がいるという錯覚がないはずの苦しみを生み、世界に問題を生み出し続けているからです。
以下は日月神示に書かれている一文です。

日月神示
【青葉の巻 8帖】
時節には従って下されよ、逆らわず、後の立つよう致されよ、後のやり方、神示で知らしておろうがな。
国々所々によって同じ集団(まどい)いくらでもつくりあるのぢゃ、いずれも我折って一つに集まる仕組ぢゃ、天狗禁物、いずれもそれぞれに尊い仕組ぞ、またとない集団(つどい)ざそ。
神の心告げる手だても各々違うのぢゃ、心大きく早う洗濯致されよ、囚われるなよ、囚われると悪となるぞ。
悪とは我れ善しのこと。

【黄金の巻 31帖】
人民それぞれに用意してくれよ。
自分出しては集団(まどい)こわすぞ。
力出んぞ。
早うつくれよ。
的(まと)とせよ、と申してあろうがな。
マトは光の射(さ)し入るところ、的として月一度出せよ。
自分の小さいこと知れる者は、神の国に近づいたのであるぞ。

【黒鉄の巻 11帖】
学出すから、我出すから行き詰まるのぞ。
生まれ赤児と申すのは学も我も出さん水晶のことぞ。
練り直して澄んだ水晶結構。
親の心わかったら手伝いせねばならん。
言われん先にするものぢゃと申してあろうが。
いつまでも小便かけていてはならんぞ。
人間は罪の子でないぞ。
喜びの子ぞ。
神の子ぞ。
神の子なればこそ悔い改めねばならんぞ。
真なき愛の道、悲しみの喜びからも生まれることあるぞ。
それは罪の子と申すのであるぞ。

【春の巻 35帖】
念じつつやれ。
神の為と念じつつやれば神の為となる。
小さい行為でも霊的には大きはたらきするのぢゃ。
自分ということが強くなるから発展ないのぢゃ。
行き止まるのぢゃ。
我れ善しとなるのぢゃ。
調和が神の現われであるぞ。
霊と調和せよ。肉体と調和せよ。人と調和せよ。
食物、住居と調和せよ。世界と調和せよ。
嬉し嬉しぞ。
一生かかってもよいぞ。
遅くないのぢゃ。
自分の中のケダモノのため直しにかからねばならん。
悪いクセ直さねばならん。
これが第一歩、土台ぢゃぞよ。

【月光の巻 9帖】
気の合う者のみの和は和ではない。
色とりどりの組み合わせ、練り合わせこそ花咲くぞ。
すべてが神の子ぢゃ。
大神の中で弥栄ぞ。
大き心、広き心、長い心結構。
なかなかに合わんと申すなれど、一つ家族でないか。
心得なされよ。
夫婦喧嘩するでない。
夫のみいかんのでない。
妻のみ悪いのでないぞ。
お互いに己の姿を出し合っているのぞ。
よく心得よ。