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一切のためも自分のためから始まる

人のために生きなさいとグル達は言います。

しかしこれは自分のために生きることを否定しているわけではありません。

苦しみから逃れるため、改心するため、真我を実現するため、悟りを得ようとするため、人が行動を起こすきっかけの最初は皆、自分のためなんです。

お釈迦様などのグル達も皆、自分のためから修行を始めました。

彼らは小乗の行で一切の責任を放棄し、修行に没頭しました。

ですが修行を完成させた後は、弟子の指導に生涯を費やしています。

自分のために行っていたなら修行を完成させた時点で終了のはずですが、その後は自分以外のもののために行動しています。

なぜかと言うと修行の過程において『自分』という認識が徐々に弱まっていくからです。

一切の教えは自分という錯覚、執着を取り除くためにあるといわれます。

自分という個が存在すると当然、他という個も存在することになります。

個と個は対立する宿命ゆえに、これが様々な問題を引き起こします。

なぜ対立するのか?

人というのは自分を優先するようになっているからです。

過去から現在の歴史を見て下さい。

国という個同士が、組織という個同士が、人という個同士が古来から延々と争い続けて終わる気気配がありません。

全ては己のことを優先する故に起こっています。

人は自分のためにしか生きられませんが『自分』という定義を変えることは可能です。

個という枠への執着を取り除けるならどんな方法でも変えることが出来ます。

大きく分けて個などないと智慧により行う方法、個が全体の中に溶け去る方法があります。

私の師匠が教えてくれたのは、相手の立場または一切の立場になる方法、嫌うことをやめる方法があります。

自分以外の立場になれば自分以外の気持ちになれ、自分以外のものと同化することが出来ます。

嫌うことをやめると対象がなくなる故に一切が自分と同じ扱いになります。

進む道が正しければ『自分のため』に始めた行為も『一切のため』になるようになっています。

自分のために自分をより広く、より深く、自分を拡大していくことです。

以下は師匠と訪問者さんとの問答です。


【訪問者の意見】
『世界を変えたい』と言ったのは世界に『問題』があるからですね。
しかし、以前に私がした質問に対し『本当は世界には問題なんてない』と言われました。
前者は二元論の立場で、後者は一元論の立場で言われているのだと思います。
しかし、私は真の一元の地平を知らないため、この前者と後者のはざまで戸惑っています。

【師匠の回答】
人々がこの世には何も問題がないと思えたら、この世の問題は全て解決します。
だから問題があると思っていることに問題があり、この様な意味において世界に問題があると言えるが、この問題意識すら神の意図であり、だから世界には問題がないが解決すべきことがあるのです。
神の現われは宇宙そのものであり、その中で人は神の入れ物として特別な役目を与えられている。
宇宙以外に神の手足はなく、人以外に世界を変えることは出来ません。
全ては神のご意思のままと言っても今までも世界を変えるのは人でした。


【訪問者の意見】
純粋に二元論の立場で『世界のために』と考えると、私は自分が世界の中で最も不幸な立場でない限り、自分を不正だと感じてしまいます。
しかしこの発想は本当は『世界のために』考えているわけではなく『自分のこと』だけを考えているにすぎないと分かります。

【師匠の回答】
完璧を求めすぎるのです。
世界のためが自分のためで良いではありませんか。
その自分のためすら神の働きなのです。
自分のために誰しも悟りを求めます。
ですが悟りに到着する頃には自分が消えているのです。
世界のためも同じです。
自分のために、家族のために、から始めた世界のためも世界が完璧になる頃には自分のために、家族のためにが消えているのです。
私が消え去ることでのみ、それが完全に実現するからです。
始めから自分のために悟りを求めては駄目となったら誰も悟れません。


【訪問者の質問】
そこでお尋ねしたいのですが『本当は何の問題もないこの世界』にあって『問題だらけのこの世界』のために動くとは具体的にどういうことなのでしょうか?

【師匠の回答】
国家人口の1%以上の人がこの世界の問題を正しく知り、私が世界を変えると思えれば、その国家に意識の同調が起き出します。
国家人口の3%の人に同調が起きれば、その国家は調和的に変化し出します。
世界を変えるための同調だから、変えると思える人が増えねばなりません。
だからもう既に現実的に動き出し始めているのです。
これはTMマハリシが様々な実験と統計で明らかにしたことです。
これが一番大事なことです。
どんなに人を助けても根本が変わらねば問題の解決には至らないからです。
ですが、それを待っているだけと言うわけにはいきません。
これを根本として、私が変えると思えた人たちが今ある様々な問題に向かって行けばよいのです。