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[植槻八幡神社+熊野本宮大社旧社地 大斎原+古座神社] 邪気を封じ、幸を賜ひ、禊祓ふ日日

日本の国は龍体と言われており、その国土全体には大きなパワーやエネルギーが宿っています。そういった日本という土地に宿る霊威にまつわる所伝は数多くあり、古くは旧約聖書に記されたイスラエルの十二部族のうち、行方が分からなくなった十部族が、神々が住むという東の彼方の日本へやってきたという伝説中国の秦の始皇帝の命により不老不死の仙薬が東方にあると徐福が日本へやってきたとされる伝承など、昔日より人々が、大陸にはないエネルギーを求めて、日本へやってきたことが分かります。

逆にその力を鎮めておくために要石と言われる霊石が日本の国土の要となる地中深くには埋められており、その要石が緩むとその力が活発に動き出し、地災が起こると言われており、要石が緩まないようにしめ縄をはり、特に聖域と言われる場所には門番として寺社仏閣を立てて結界をはってきました。

そういった要石の緩んだ隙間から邪気や邪悪なエネルギーが土地や敷地内に込まないようにと、太古の昔より日本を最前線で守り続ける寺社やその神々をご紹介したいと思います。



植槻八幡神社(うえつきはちまんじんじゃ) ー 奈良県大和郡山市植槻

御祭神には八幡神として神格化される応神天皇が祀られており、伝承では藤原不比等ゆかりの古刹 殖槻(建法)寺の鎮守社として奈良時代の創建されたとされ、平城京の裏鬼門に位置する。

植槻八幡神社
植槻八幡神社

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不吉な方位として知られる鬼門と裏鬼門とは、その名の通り鬼(邪気)の出入りする方角として、古来より都や幕府が置かれる土地には鬼門除けとして大きな寺社が建てられました。
平安京の中心となる大内裏からの鬼門の位置には、比叡山延暦寺があり、裏鬼門には石清水八幡宮が創建され、その後の鎌倉時代には幕府から見て鬼門の方向に荏柄天神社を、裏鬼門の方角には本覚寺 夷堂(えびすどう)が創建されました。江戸の頃になると、江戸城から鬼門の方向に寛永寺と裏鬼門には増上寺が創建され、今でも首都 東京の鬼門・裏鬼門としてその役割を果たしています。

鬼門の考え方は陰陽道が栄えた平安中期からと言われており、更に時代を遡った奈良時代に鬼門の概念があったかどうかは分かりませんが、少なからずとも藤原不比等・武智麻呂・仲麻呂の三柱が摂社 植槻坐藤原神社に祀られていることより、植槻八幡神社が平城京にとっては重要な場所であったことは確かです。

植槻八幡神社 拝殿

境内へ入ると、周囲にある摂社から見つめられているような、背中がゾクゾクとする強い視線を感じます。過去に同じような体験をしたことがあり、お稲荷さんが祀られてい水稲荷神社伏見稲荷大社の宇迦之御魂神やその眷属であるお狐様たちが、誰が来たのかと興味深げに私を査定しているような、観察されているような緊張感を感じる視線です。
決してこの視線は怖いものではなく、むしろ植槻八幡神社のように外来からあまり人が訪れることがないような土地へ、突然に転校生がやってきたような感じで、こういった緊張感を感じる場合には、「はじめまして!」と明るく自己紹介をして、「この度は機会を与えていただき、この地を訪れることが出来ました。ありがとうございます。」とお礼を伝える心をもって参拝すると良いです。

藤原京の後に遷都された平城京では、日本では初めてといわれるような様々な新しい事業や改革が行われ、その後、平安・鎌倉・安土桃山・江戸へと、その文化遺産が継承されていきました。その平城の都に入る災いや邪気を防ぐ裏鬼門に植槻八幡神社があることを一人でも多くの人に知ってもらいたいと、植槻に祀られている神々が訴えています。
植槻八幡神社を参拝される場合、本殿のご挨拶の後に、境内社を一つひとつ丁寧に参詣されてください。摂社に宿るエネルギーは礼儀を重んじられるようで、主祭神である八幡神を中心に、摂社が成り立っており、またその逆の摂社があって主祭神があるという考え方をお持ちのようですので、一柱一柱を大切に詣でていただければ幸いです。



熊野本宮大社旧社地 大斎原(くまのほんぐうたいしゃきゅうしゃち おおゆのはら) ー 和歌山県田辺市本宮町本宮

熊野本宮大社は大斎原と呼ばれる熊野川と音無川が合流する中洲にあったとされ、参拝に訪れた人々は音無川の水で禊を行った後、熊野の神々へ詣でたとされる。

熊野本宮大社旧社地 大斎原 入口
熊野本宮大社旧社地 大斎原鳥居
熊野本宮大社旧社地 大斎原鳥居
熊野本宮大社旧社地 大斎原

熊野本宮大社は那智勝浦町の熊野那智大社と新宮市の熊野速玉大社とともに熊野三山と呼ばれ、熊野古道の一部とされ、世界遺産に登録されている古社である。

熊野本宮大社 鳥居
熊野本宮大社 参道
熊野本宮大社
熊野本宮大社 左の神門から
西御前(結宮・第一殿)夫須美大神
中御前(結宮・第二殿)速玉大神
証誠殿(本宮・第三殿)家津美御子大神(素戔嗚尊)
東御前(若宮・第四殿)天照大神
満山社 結ひの神(八百萬の神)・・・写真にはないが一番右端に位置する社

参拝順路は、証誠殿 → 中御前 → 西御前 → 東御前 → 満山社

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大斎原の斎は斎宮や斎王と言われる天皇に代わって天照大神へ仕えるために都から離れた伊勢の地で、人と神との架け橋となり国の平安や繁栄を願い、神への祈りを捧げた宮や皇女を指しますが、「いつき」という文字自体は、心身を清めて神へ仕えることです。

中洲にあった大斎原も水で禊ぎ清められた神聖な土地であり、未だにその神力が宿り続けています。朝靄の出た日の早朝に、この大鳥居を見上げながら、鳥居からぽつりぽつりと落ちてくる天雫で、身体を禊清めることがおすすめです。

大斎原 鳥居

天雫は天からの霊水として、神様から直接受け取ることが出来る高次元のエネルギーです。落ちてくる雫を待ちながら、心を静めて、今に感謝をして、神様のパワーをいただいてください。

大斎原 鳥居



古座神社(こざじんじゃ) ー 和歌山県東牟婁郡串本町古座

大正末期に河内神社と住吉神社を合祀して古座神社としたが、その前身は八幡宮であったとされ、第15代 応神天皇をはじめ、素盞鳴尊と住吉三神(底筒男命 中筒男命 表筒男命)を祀る。

古座という名称は「神座」が転じたものとも言われており、古座川は祓川と呼ばれたとも伝えられ、古座エリアが特別な地であった。

古座神社 左の神門から
摂社
摂社
拝殿と鎮守の森の中にある本殿への石段が裏山に続く

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村の鎮守様のような佇まいの社には河内であったり、住吉であったりと、その昔には大阪 難波津(なにわのつ)との交易が盛んであったのかなと思わせるような神様も祀られており、特に、応神天皇や住吉三神が合祀されていることより、住吉大社とつながる強いエネルギーを感じます。

古座神社

境内から本殿がある山を見上げると、山から真っ青な空中に上る、昇り龍を見つけました。
そしてよく見るとその左下には鳳凰が龍を見上げる姿も見つけました。

鳳凰と昇り龍

登り龍は天に向かって上昇していく様より、とても勇ましく、勢いがある四神の霊獣として、神様に願いを届けるとされており、一方、鳳凰は徳の高い君子が帝位につくと出現されるとされ、大変喜ばしいことがあるときに現れます。

また中国の龍鳳呈祥(りゅうほうていしょう)という言葉より、龍と鳳凰が同時に現れることは滅多にないことから、龍と鳳凰に出くわすということは特別な出来事であり、またとても幸せな、おめでたい時に起こる瑞兆でもあります。

鳳凰と昇り龍

皇帝は龍にたとえられ、鳳凰が皇后に愛されるようになり、いつしか中国では「龍といえば鳳凰」というように、この二つは高貴でありがたい存在として、切っても切れない関係になりました。そんな龍と鳳凰の姿を眺めながら、御祭神である応神と住吉三神の関係性、そしてその背後には応神の母であり、また住吉三神の神託を得た神功皇后の大きく優しい愛を感じました。

古代から受け継がれているパワーが脈々と流れる古座神社は、そのエネルギーが強く太く高次元とのつながっており、そのことを伝えるために霊獣たちが現れます。
気疲れで、気が枯れていると思われる方は是非、伊邪那岐が産み落とした禊の三神 住吉三柱により穢れを祓い除けてもらい、そして本殿のある神奈備から昇る高次元へとつながり、叡智を養ってください。


私たちは高次である宇宙へつながればつながるほど、よりパワフルな引き寄せの法則を体現することができ、ひいては物事を動かすために必要なエネルギーを養います。そのエネルギーをつかみ取るためにも、中今(なかいま)を生きることです。中今とは過去を振り返らず、未来へ望みを託すこともなく、今に向き合い、今を全力で生きることです。高次へつながることは容易いことではありませんが、成し遂げた先には必ず、浄土があります。常に中心は私であり、あなたです。

今を大切にお過ごしください。



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