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[筑波山神社 女体山御本殿+皇祖皇太神宮+諏訪大社+松虫寺+伊夫岐神社+伊富岐神社+長岡百穴古墳] うまくいかないと思った時が、逆にチャンス

乗り物に乗り過ごす、渋滞に巻き込まれる、いつもと違う道をカーナビが教えてくれる、といった想定外の物事が起こるとき、それは神様からのお導きとして、流れに逆らわず、その贈り物を受け取ってください。

先日、夜行バスの乗車時間まで転寝をしてしまい、起きた時には搭乗時間の3分前でした。「無理だ、間に合わない・・・あ・・・どうしよう・・・」とパニックになりながら、「まずは今晩乗る予定の搭乗券のキャンセルをやってみよう」と、予約の1分前にキャンセルを入れました。次に、翌日始発の新幹線を予約して、予定時間の2時間遅れで目的地にたどり着きました。

翌朝、新幹線に乗る準備をしていると会社から緊急案件の連絡がやってきたため、新幹線の乗車後、即対応をしましたが、仮に夜行バスに乗っていたら朝まで寝ていたと思われるため、この処理はできなかったと思いました。そう考えると、新幹線移動に乗り換えたおかげさまで一つの案件を無事完了することができたため、むしろ結果OKでした。ちなみに夜行バスは乗車時間前ということで100円のキャンセル料を支払うだけで済みました。

時折、目的の場所へ行こうとしても、なかなかたどり着けないといった事象が発生します。それは、その場所にたどり着く前にやることがあるよ、という神様からのメッセージです。場合によっては、目的地ではない場所へ導かれることもあります。それは違う場所にご縁があるからです。そういったケースに遭遇される場合、是非、神様の導きに乗ってください。導かれた先には必ず、私たちにとって大事なモノ・コトが待っています。


筑波山神社 女体山御本殿 ー 茨城県つくば市

東の霊峰として知られる筑波山は女体山頂と男体山頂に男女二柱が祀られており、女体山には筑波目女ノ神を、男体山には筑波男ノ神が静坐する。大神神社と同様に、山の中腹にある拝殿よりご神体である筑波山を崇める古代祭祀の形式が残る。

筑波目女ノ神を伊弉冊尊として、男体山を伊弉諾尊として祀られていることより、縁結びをはじめ、夫婦円満や子授けのご加護があるとされ、また国生みの神様であることより国土安全や社運隆昌といったご神徳がいただける。

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昨年は雪が残っていたため女体山へ上がることができず、今度こそは!と思い、女体山を目指したところ今年はロープウェイが運休でした。

その日は家を出るところから少しいつもの調子ではなく、「今日はトレッキングポールをもっていこかな・・・、靴も登山靴にしようかな」となぜか山登りを想定していたかのような洋装でした。そこで運休のロープウェイをあきらめて今年は自分の足で女体山を登ってみることにしました。

女体山にはとてもユニークな磐座が多くあることから、私たちの祖先は間違いなく古代祭祀をしていたようです。女体山の磐座から放たれる強いエネルギーは山全体に循環しているようで、頂上に向かって登れば登るほど、まるで上から引っ張られるかのような強い力を感じることができます。

また、六甲比命大善神社のエネルギーが陰とするならば、女体山は陽のエネルギーを発散しているようです。磐座の傍にいると自分の中の陰が吸い込まれていくような、ある意味、気持ちの良い身震いが起こります。

山登りが初心者の私は、1時間ほどの道のりを2時間もかけて上ることになりましたが、私にとってはとても心に残る山登り経験となりました。
仮にロープウェイが稼働していたら、女体山が放つ力強いエネルギーを体いっぱいに吸収することは無かったため、この一期一会の体験に感謝しました。

女体山 本殿

皇祖皇太神宮(こうそ こうたいじんぐう)ー 茨城県北茨城市

竹内文書で知られる竹内巨麿(たけうちきよまろ)が創設した皇祖皇太神宮には、天神七代をはじめ、二十六朝六十八代や神武朝から現代までの天皇や皇后が合祀された神宮である。

特定の神様を祀るのではなく、八百万の神様を祀る神宮として、ユダヤ教、道教、儒教、キリスト教、仏教、イスラム教のすべて宗教を包括する万教帰一の神宮である。御祭神は天地開闢の神である天地身一大神、天国竈大神、皇祖皇太神 、別祖大神 、神国御廟命大神 、神明三十日明大神、日月人風光主大神となり、古式神事がそのまま継承されている。

天津護法守天空主大神社殿(中央)
五色商主運大神社殿(左)
赤池白竜大神社殿(右)

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右側にある赤池白竜大神社殿に入った途端、とても大きな深緑のカメが目の前に現れました。その姿はまるで亀石のような顔立ちで、顔の部分が強調された映像でした。

「飛鳥の亀石さん?」

どうも洞窟に入ってくる人たちに挨拶がてらお出迎えをされているようで、この洞窟の主のようでした。

飛鳥の亀石

ちなみに亀は長寿や不老不死の象徴であり、竜王の使いや神様の眷属としても知られており、今回出会った深緑のカメさんは少し眠そうな感じでした。ちなみに飛鳥の亀石は昔は東を向いていたようですが、最近は南西を向いているようで、西の方向へ向きを変えた時には大和一円が泥の海と化す、という伝説が残っているようです。

神社内を巡った後、なぜか神宮の裏山が気になったため、歩いていくと、遠くから見える枯れたススキに何かを感じました。目を凝らして、ゆっくりと枯れススキに近づいてみると、なんとツマグロヒョウモン蝶々が一休みをしていました。

蝶々も神の眷属として知られており、良い波動やオーラを持っている人の周りに最も現れやすいといわれています。特にオレンジ色の蝶々に出会ったときは、人生の転機となるような運命的な出会いや出来事があるため、積極的に行動していくと良いそうです。御岩神社では2匹の黄蝶々に見送られたことがありましたが、今回はオレンジの蝶々に「来てくれてありがとう!」とお出迎えの挨拶をしてもらったようでした。


松虫寺(まつむしでら) ー 千葉県印西市

聖武天皇の皇女 松虫姫(不破内親王)が手の施しようのない難病にかかり、床に臥せていると、ある日、下総萩原の薬師如来が姫の夢枕に立ち、「東国に下向して祈れば難病もよくなるだろう」とのお告げがあった。そこで天皇は姫を連れて下総印旛にある萩原の地に着くと、そこには夢に見た薬師堂があり、姫が難病から感知するように祈りを捧げ続けると、みるみるうちに状態が良くなり完治された。

松虫皇女之御廟

都で亡くなった松虫姫を分骨して埋葬したといわれる「松虫姫御廟」もあり、その足元には姫が乗ってきた牛が今でも御廟を見守っている。

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聖武天皇といえば東大寺や全国にある国分寺(国分僧寺・国分尼寺)を創建された方であり、常に青い鳥を追い求めていた方かな・・・という心象があります。青い鳥とは身近にいるのに気がつかない幸福や希望を指しており、聖武天皇の東国行幸は正に青い鳥を探し求めた足跡のようです。半面、常に理想を追い求める聖武天皇に周りの人たちはかなり振り回されたようで、先日佐保山南陵へ参ろうとしても、なかなか入り口にたどり着けませんでした。またそのフラストレーションから家族と言い合いになるといった事象も起こりました。
後にわかったことは、私のご先祖様達は先述のような聖武天皇の行動をあまりよく思っていなかったそうで、御陵前を通過させたり、駐車場が見つからなかったりと、様々な手を使って聖武天皇に会えないようにしたようです。そんな聖武天皇ですが、東大寺を創建するという偉業を成し遂げた有言実行力に感服します。


伊夫岐神社(いぶきさんじんじゃ) ー 滋賀県米原市伊吹

伊吹山頂に祀られていたとされる伊富岐大神は伊吹山そのものとして、古来より修験僧による山岳信仰が盛んである。雨乞いの神様として信仰をあつめる滋賀県側の伊夫岐神社は拝殿をもち、伊吹山を神奈備として遥拝する。

伊富岐神社(いぶきじんじゃ)ー 岐阜県不破郡垂井町

邇邇芸命の兄 天火明命の子孫である伊福氏の祖神が祀られていると言われてているが、主祭神に伊吹山の神 多多美彦命(たたみひこのみこと)や伊吹山の荒ぶる神が化けた大蛇 八岐大蛇、或いは神武天皇の父 ウガヤフキアエズといった天照大神の子孫が祀られているという説もある。

岐阜県の天然記念物 伊富岐神社の大杉


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日本武尊(やまとたける)といえば日本列島を東西に奔走してまわった勇者のイメージが強く、その気性は実兄を殺してしまうほど激しくもあり、父である景行天皇はそういった彼を疎ましく思っていたようです。そういった最中、大和朝廷に従わない九州の熊襲(くまそ)や東国の蝦夷(えぞ)に手を焼いていた景行天皇はその討伐を日本武尊に託します。
当然、負け知らずの日本武尊は熊襲と蝦夷を征伐した後、大和への帰路にて伊吹山の神(白い猪、ないし大蛇)と出会い、素手で戦いに挑みますが、大氷雨を浴びせられた結果、生死にかかわる致命傷を負ってしまいます。瀕死の思いで故郷である大和の国を目指しますが、能煩野(のぼの:三重県)で力尽きてしまい、その最期は白鳥となり天に昇っていったと言われています。

伊吹山頂に立つ日本武尊像

伊吹山の神と日本武尊の条はある意味、私たちに2つの大切な教えを語ってくれているようです。まず伊吹山の神との対峙に日本武尊は草薙剣をもっていかなかったこと、次に白い狼(大蛇)を神様の眷属と勘違いしてしまい、誤った言挙をしてしまったことです。
何が大切なこと?と、現代の私たちには分かりにくい条かもしれませんが、草薙剣は三種の神器といわれるほどの霊剣であり、剣が神様です。そういった霊剣を伊吹山の神様との対峙に持参することを忘れるという不用意さ、また伊吹山の神様を知らず、軽率にも間違った言霊を発してしまった不注意さです。自分事に置き換えてみると、確かにこういった不用意さや不注意さは日常茶飯事に起こっており、「あの時こうすればよかった・・・」や「あそこではこう言うべきだった・・・」等、後になって気が付くことがあります。

伊吹山の神力により命を失ってしまった日本武尊が伊吹山の頂上に祭られていることに違和感を感じますが、前述の条を思い浮かべると、日本武尊は自分の過ちに気が付き、そして同じ轍を私たちが踏まないようにと注意喚起を促すために、伊吹山頂に立ち続けているのかもしれませんが、もしかすると崇徳天皇や菅原道真公のように日本武尊が祟り神にならないように伊吹山の神が日本武尊を身近においているのかもしれません。


おまけ


長岡百穴古墳(ながおかひゃくあなこふん)ー 栃木県宇都宮市長岡町

丘陵の斜面に蜂巣のようにくり抜かれた横穴墳は県指定史跡として、7世紀前半に造られたとされる。全部で52基が確認されており、観音像等が彫刻された奥壁もあることから百観音や百穴とも呼ばれている。また仏像は弘法大師の一夜の作ともいわれており、ほぼすべての穴の壁面には様々な仏像が確認できる。


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たまたま朝の交通渋滞に巻き込まれた場所で見つけたのが百穴古墳です。遠くから見えるインパクトは相当なもので、一瞬に目が釘付けになります。近寄っていくと、一つひとつの穴には一体一体の表情が異なる仏像が設置されており、今度は心が釘付けになります。
この大きな岩を眺めていると、仏像を入れようと考えた想像力もたくましいと思いましたが、それを実行したという行動力に、「出来ないことはない、自分がやってみたいと思えばやってみればいい」という言霊がやってきました。そういえば親父も「やりたいことを何でもやってみればいい」と、常に真言してくれていたな・・・と、懐かしくもあり、この言葉を聞くたびに安心をもらっていたな・・・と心強さを再度感じました。

私たちは高次である宇宙へつながればつながるほど、よりパワフルな引き寄せの法則を体現することができ、ひいては物事を動かすために必要なエネルギーを養います。そのエネルギーをつかみ取るためにも、中今(なかいま)を生きることです。中今とは過去を振り返らず、未来へ望みを託すこともなく、今に向き合い、今を全力で生きることです。高次へつながることは容易いことではありませんが、成し遂げた先には必ず、浄土があります。常に中心は私であり、あなたです。

今を大切にお過ごしください。

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