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微動だにしない男との接見記録⑩~エピローグ~

2020年晩秋にインプレッサ強殺事件I受刑者の共犯者でもあり対立当事者のAの覚醒剤取締法違反事件の公判傍聴に千葉地方裁判所松戸支部を訪れた。

Iの公判に証人として出廷したとき以来に見るAはそのときよりも若干肥えたように感じた。坊主頭だった証人尋問のときと較べ髪が伸びたので人相も変わったように見えた。

しかしあのIの公判に証人として出廷したときに見せた裁判官に食って掛かるような態度や傍聴席にお道化た態度を示すようなことはなく終始神妙な面持ちで裁判に臨んでいた。

被告人質問での受け答えはしっかりとしていて俗にいう違法薬物の自己使用裁判の被告人との共通点を見いだすことはできなかった・・・。Aはいわゆる薬物中毒者には見えなかった・・・。

ここで展開されるAの「反省しています。もう二度と薬物を使用しません」という言葉を聞いてAが証人として出廷したときに「被害者に対してどう思ってるか?」という裁判員からの質問に「運が悪かった」と殊勝に答えるAを思い出した。

と同時に東京拘置所の接見室で「被害者のことは毎日考えている。それは人としての部分じゃないですか」というIのことを考えた。

同一人物とは思えない程に対照的な態度を見せるAの背中を傍聴席から眺めているとどこからともなく「お前なんかにあの事件の真実がわかるわけないだろ。仮に真実を知ったところでお前に何ができる?」という声が聞こえてくるような気がした。

ハッと我に返りIから最後に聞かれた「傍聴席の方はこの事件どう思いますか?」という質問の「傍聴席の方」には「自分」も当然含まれているんだということに気づいた。いやというよりはあの接見室でもそれはわかっていた・・・。

Iはおそらく自分に気を使って「傍聴席の方」という言葉を使ったのだろう・・・。Iの真の質問は「あなたはこの事件の犯人は自分だと思いますか?」という質問だったに違いない。自分の真意はこの質問に向き合いたくなかったのだ・・・。

虚心坦懐に言えば最初はIの態度や事件そのものについての興味から接見したのだが、接見を重ねるにつれてIという人物への興味に変わっていった・・・。

自分の答えとしては逃げと思われるかもしれないが正直にわからない。この事件の真犯人が誰かは本当にわからない・・・。でもIが真犯人ではないと信じたい。亡くなった方がいる事件なのでこういう言い方は不適切かもしれないがそう思える人間的魅力がIにはあった・・・。

そんなことを考えているとAが刑務官に促されて法廷を後にしようとしていた。その様子をずっと眺めているとAと目が合った。怪訝な視線を感じたがそれはほんの一瞬のことだった。そこからAの気持ちを推し量ることはできなかった。それから視線が交わることはもうなくAはそそくさと法廷を後にした。と同時にこの事件の真相が暴かれることはもうないのだと悟った。

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