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崇高な幼稚

私は現在46歳だ。
数字だけを見ると「えっ~~!」と天に向かって大声で叫びたい気分になってくる。今年47歳になる私は、他の誰かのことではないか?そんなすっとぼけた感覚を持っている。
40代へ向かう道また突入した時の事を思い出してみた。
その時感じていたことに思いを馳せてみよう。

「40」の数字へ恐れを抱きつつなるのは30代後半頃から。
まずは身体の変化が忍び寄ってくる。私の場合、髪の毛にチラホラ出現し出す白い奴ら。
頼んでもいないのにある日突然現れた。「会いたくない彼ら」はジワリジワリと私に忍び寄っていたのだろう。
そこを入り口に「40」という見えない悪魔の囁きを聞くことになっていく。

30代の最後39歳の誕生日を迎えたときは、まるで人生のカウントダウンをするような気分になっていた。
国からは介護保険料の徴収をされ、市役所からはガン健診対象年齢のトップバッターに任命され、国までもがジワリジワリと追い詰めてくる。

そんな私は40代になってからよく過去へ旅をするようになっていた。
写真の中の自分の姿を見て過去を懐かしみ、自分が生きてきた道を振り返っていたに違いない。それは絶望のカウントダウンではなく、40代へ向かう希望に胸を膨らませていくための心の準備期間だったように今は思う。

ところが、私の40代の幕開けと言ったら祖母の死後以降、大混乱に陥ったのが現実だ。天変地異、破壊と再生、生と死、存在意義、40になってからの数年を表現できる言葉はいくらでも思い浮かぶ。40代もあと3年半ほどで終わりを迎えることになるが、今の私の心の想いを記録しておきたい。


・・・


年齢とは、身体の使用年数だ。
46年この身体をつかってきたのだ。そりゃあちこちに不具合も出てくるだろう。だからと言って、年齢を理由とした言い訳はしたくない。
「もうこんな年だからできない。」
「もうこの年齢からは無理だよ。」とかね。
なぜなら、年齢で何かを諦めるということは、自分を諦めることになると思うからだ。要は、私はわたしを諦めたくないだけだ。

これからもやりたいこと挑戦したいこと、どんどんチャレンジしていきたい。やらないで後悔するよりかは、やって失敗していく方が、今までの自分の人生を考えても私にはお似合いだ。

身体の使用年数は生きている限り増え続けはするが、この身体だけは家電製品のように買い替えができない。
だからこそ、身体も心も自分で大切にお手入れをしながら、これからやってくるだろう身体の老いには向き合っていきたい。

「40」を過ぎて6年を経過したにも関わらず、私の心は老いるどころか、日に日に若返っている毎日を過ごせていることに一番驚きを隠せないのは、他の誰でもない私自身だ。

日々の暮らしの中で小さな素敵の種を見つけ、その種を感じ感性を磨く、沢山本を読みながら想像の世界へ旅をする。その世界にどっぷりつかって自分が感じる事をジャンジャン言葉で表現していく。
そうやって「今」を一番輝いていきたいと思う。
私は、積み重ねる年齢とは真逆に「幼稚化」をしていきたいと考えている。ただ、一度は宇宙人から大人の地球人になってしまったので、私が目指すところは「崇高な幼稚」だ。

私の毎日で「何を選ぶか?」「誰を選ぶか?」「自分の心をどう使っていくか?」その小さな一つ一つは自ら意識的に選択していくことができる。
その一つ一つの選択が私の人生物語を生んでいく。どんな彩りもどんな模様も自分で創ることができるのだ。
だから大きな顔をして「想像や空想」を食べていこうじゃないかっ!?

以上を、50代に向かう3年半前の私の宣言としたい。
あっ、そういやそろそろ、白い彼らの変身アイテムの在庫が切れる…。

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