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平野啓一郎氏「空白を満たしなさい/上巻下巻」~読書感想文~

「死は一度しか経験できない」「一度しか生きない生」これは、世界共通の定義を言葉で表現したものだ。この定義を根底からひっくり返す「死んでも生き返る」ことから物語が展開され、「生と死」について考えていく小説だった。

私にはつい最近「生と死」に真正面から向き合わざる負えない出来事があった。平成27年5月25日のことだ。
この日大好きだった祖母が亡くなった。ただの「亡くなった」という言葉では語れない壮大なMYストーリーがこの日から始まった。

その日母親から呼ばれ急いで自宅に駆け付けると、目の前にいつもと違う呼吸を繰り返す祖母の姿があった。そして、その呼吸は明らかに死へとむかう時間だった。
次の瞬間、祖母は顔を歪め、肺から空気を抜き始め、最後の空気を吐き切り、そして、二度と吸うことがなかった。祖母の生から死への境界で繰り広げられる様相を目にしたのだった。

普段生きる人間が深く息を吸う深呼吸、これが二度と行われなくなり、まるで目に見えない誰かが、祖母の呼吸を引き取りにやってきたように感じた。
人がなくなる事を「引き取る」というが、その言葉の意味がなんとなく分かった瞬間でもあった。祖母が顔を歪めた瞬間がおそらく、心臓が拍動を終えた瞬間だったのだろうと思う。
そんな人の生と死への移行の瞬間を目にした私は、そこから考えだしてしまったのだ。


***
「人は死ぬのになぜ生きる?」
「人は死ぬのになぜわざわざ産まれてくる?」
「もし魂がなければ、この世に生きる意味はあるのか?」
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私は自分が産まれてきた意味を探すようになってしまった。

40代になってこんなことを考え始めるのは非常に厄介なことだった。
なぜなら、本気で答えを出そうとしてしまったからだった。
答えが出ない問題から回答を導き出そうとすると、人はどうなっていくのかを私は体験したのだ。

詳細に書くと長くなるので省略をするが、この私の生の混乱の中に、この小説の中で紡がれている言葉が実体験としてあった。小説の中の言葉を引用させてもらおう。

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「産まれてきた意味」を探し始め最初にぶつかった壁が、自分の中に沢山の人が混在していたことだった。
小説の中では「分人」という言葉で表現されていたが、自分の中の自分が入れ替わり立ち代わり変化し、自分ではない自分(そう思うようにしていた)が、産まれてきたこと、生きていること、自分の存在の全てを否定したのだった。
そして、そこから私自身の今までの生き方、在り方を見直す時間になっていった。その時間をしっかり見つめなおすことで、「生まれてきた意味」を思い出そうとしたのだろう。

このプロセスの中で、目を背けたい自分の内側や認めたくないこと、執着していたこと、沢山のことがあぶりだされてきた。主人公が「佐伯」を見て、知らなかった自分と出会うのと同じような感覚だろう。


死ぬ勇気がない私は死へ向かうのではなく、生きる事を前提に生き方を変え、本来の自分と現状を合わせる努力を行い、数年をかけ生き方を変え、今もまだその変化の途中でもある。

私が生の混乱からどうやって脱出してきたか?
具体的に言うならば、どの「分人」を生きたいのか?基礎とするのか?どの「分人」を足場として生きていくのか?そこを徹底的に考え、自ら選択してきた。
私が選択した「分人」は、自分が優しく正しい精神の中で、自分の生の複雑な様相を深く広く観察させてくれる分人を生きる選択だった。それはまさしくこの主人公が考えた事と全く同じだった。
こうやって分人を整理し、選択し直すことで、生きる!ことに繋がっていったのだ。

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この小説を読み終わり思い出したのが、中島みゆきの「糸」という曲。
縦の糸を自分の分人とするなら、横糸となる分人が誰にでも必ず存在するのではないだろうか?
それはそれぞれの生の時間で「出逢うべき分人」であるとも思えるのだ。
言葉を変えると、きっと「もう一人の自分」だろう。
その「もう一人の自分」が自分の内側に存在し、その横糸となる自分を探す旅が、「生きる」ということではないのか?と思った。


プラトンの「饗宴」という本をご存知だろうか?
この本には、ギリシャ神話のアンドロギュノスが出てくる。
私はこれを魂の片割れだと考え、その片割れを探す生の時間も悪くないなと考えたのだ。(平野啓一郎氏の「マチネの終わりに」にもそのことが書かれていると感じた。)


祖母が亡くなる前の私が生きてきた時間、経験してきたこと、その私にとって「当たり前だったこと」を言葉で詳細に定義する時間を積み重ねることで、自分にとっての「当たり前ではないこと」が証明されたように考えている。

自分を疑って初めて自分にとっての真実に辿り着けたと考えれば、あの時間も有意義な時間だったのではないか?とこの小説を読み改めて、自分の存在を肯定させてもらった。


在る事と無い事、その繋ぎ目に真実はあるのではないだろうか?


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