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感覚器官の一つ【嗅覚】を使い労使トラブルは減少するのか?

社労士になってから数多くの労使問題の話を聞いて来た。労使と言えども、結局のところは人と人。

人と人のトラブルを「労使問題」という名のシンプルな言葉でまとめていいのだろうか?社労士が学んだ「法律」の枠の中で推論を展開していくことが果たしてできるものなのだろうか?
毎回毎回疑問を持ってきた。


このトラブルの中には、
人と人、すなわち自分と自分以外の他者の生が存在している。
人間個々には違った知覚や感覚、感性や知性、理性、記憶や観念、様々なものが複雑に絡み合っている。
そして、会社という一組織の中で起こる現象をそれぞれがそれぞれに捉えていく。違って当たり前だし、すれ違いやほころびが出て当然なのではないだろうか?


人間というものは「本心」を外に出す事に躊躇いをもつ生き物だと私自身が考えているため、事態は更にややこしくなっていたり、「退職」や「解雇」が着地点になることも多い。
個人的にこれらを選択することに異論はないし、双方を大切にする一つの手段であって自由選択だと私は思う。


ただ、自由選択だからしょうがいない。で終われば話は簡単だが、私はどうしてもこの「人間」というものを掘り下げてしまう。

人にとって「見えるもの」、つまり観察された「現れ」「出来事」として扱うのではなく、その背後にあるものを問題としてしまうのだ。
もちろん、背後にあるものだから現象と呼ぶことはできない。

「なぜ、その行動を取るのか?」
「なぜ、その行動に反応するのか?」

この、「なぜ」の部分を個々人間の社会生活の注意深い観察から、拾い集め、慎重に推論を重ねていく必要がある。


例えば、
上司が発する言葉に対して、部下がパワハラと感じた。
この上司が言葉を発した出来事と、部下がパワハラと感じた、この2つの因果関係は見えないのだ。
本当に、
上司が発した言葉「によって」、パワハラと知覚した、のか?
私にはこれが証明できない。


社労士は該当する人物の観察を日々行えるわけではないので、ここで手詰まりを感じ、社労士の仕事をする自分自身の限界を知ることになった。
自分がコントロールできるものは非常に少ないということだ。



では、どうすればいいのか?
それは個々が個々の知覚や感覚、理性や知性、記憶や観念をしっかりと知ることから始まると思う。

作られたそれらは、自分のものなのか?親や親戚、先祖代々受け継がれてきたものではないのか?感覚情報をどのように意味づけしてきたのか?
その一つ一つを自分で注意深く観察していくしかない。
そして、相手も自分とは違うそれらを持ち存在していることを尊重する。



自分が何かを見たり聞いたり匂ったりしたとき、その対象物が自分の心に与える印象を注意深く観察、慎重に集め続ける。

そこで、
感覚器官の一つである「嗅覚」、これを通し自分の何かを見つけることができるのだ。
ある精油を嗅ぐこと、「によって」得た感覚を、自覚的な体験として再構成していくのだ。


「薫り」は労使問題を解決することはできないが、人と人のトラブルを減少させていく一つの方法だと信じている。
是非とも「薫り」を使って、自分自身と「ツーツーの仲」になってほしい。




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