見出し画像

【花・植物空間】私に会いに来てくれる人

11月に入ってから、花屋に立つ日に必ず、午後2時~3時過ぎの時間帯に男性3人組のお客様がやってくる。その日も、彼らはやってきた。

『あっ、いた~~!』

彼らの声が店の中に響く。その声に気づき店の前を覗くと、3人の男性組がこちらを覗いていた。姿を見つけた私は、彼らの側に寄っていった。

『これは食べれるの?』店の前にある、チェッカーベリーを見て彼が聞いてくる。美味しそうに見えるのだろうか?でも、残念なことに食べれない。

『これは犬も食べるの?』猫草をみて別の彼が聞いてくる。猫草だから猫しか食べれないと思いきや、なんと犬も食べれるらしい。説明書をよく読むと、犬と猫と書いてあった。
『犬も食べれるみたい。』
『じゃ、なんで猫草っていうの?』
・・・・・
なんでだろう・・・?と思い調べてみたら、ネコ草といって猫が好んで食べる草の総称で、詳細なことは見つけられなかった。

私に会いに来てくれる3人組の男性は、先日店の前でけん玉大会を開催してくれた小学校1年生の男の子たちだ。あの日以来、学校帰りに店を覗いてくれる。そして、こちらもあちらも慣れてきたのか、帰り際に『バイバイ~!』と手を振りながらそれぞれのお家へ帰っていく。

店に入った日に必ず来る彼らは、お花を買う常連さんではないけれど、花屋で働く人間を癒しに来る常連さんだ。
まだまだ可愛らしい彼らの口から、これからどんな問いかけが飛び出すのか?!そんなことも想像しながら店に立っている。

嬉しそうに私に会いに来てくれる近所の小さい男の子たち。大学4年の息子の母である私が彼らと話すと、おばあちゃんの気分になってくる。

ふと思った。

彼らが成長していく中で、『毎日寄って帰った花屋のお姉さん♪(ということにしておく)、そういえば、いたなぁ。』ぐらいの存在で、彼らの記憶に残っていくだろうか?
彼らの『そういえば、いたなぁ。』の中に、私を見つけることができるだろうか?

日々の暮らしの瞬間を切り取ったワンシーンの中に、優しい世界の種が転がっている。その種を見つけ拾い上げ、水を与え、光を当て育てていく時間が、私の人生時間に始まったのだ。

この時間には、「始まりのあの日」がある。あの日も同じ日々の瞬間だった。その時はその種から芽が出るとは思いもしなかったが、あれから数年が経過し、種は芽吹き、これからどんどん花が咲いていく予定をしている。

ここ最近、「始まりのあの日」の事をよく思い出す。あの日があって今があるのか?それとも、今はあの日の始まりなのか?どちらにしてもあの日がある。あれが、私の原点であって、わたしはあそこに戻る。そこには、あの日のわたしと、今のわたしと、『2人のわたし』がいる。そこに戻ったわたしは、『2人のわたし』で生き始めてるんだなぁ。

2020年ももうすぐ終わる今、そんな事を感じている。

この記事が参加している募集

自己紹介

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?