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今植物に関する学びをしているが、その中で面白い!と感じたことを自身の忘備録として残したいと思う。植物作品をより魅力的に見せるためのデザインの基本についてである。

シンメトリーとは左右対称の事で、反対をアシンメトリーと言う。
アシンメトリーとは非対称、アンバランスな配置が、不完全さや余韻を与える美学を作り出し、これが新しい時代の息吹や、動きを予感する時代の到来を象徴したと書いてある。

シンメトリーは別名鏡映と呼ばれ、鏡に映った姿のように、紙を半分に折ったときに左右に同じ形ができる安定した配置のこと。
西洋ではギリシャ時代以来、シンメトリーの模様や形が好まれ、多くの装飾美を築いてきたと書いてある。



これを目にしたとき、人間と一緒だ!と思った。
人間の外見で言えば、時々左右対称の人間もいるみたいだが、多くの人間が微妙に非対称の外見で、自分を美しく見せる研究を日々重ねている。

人間の内側で言えば、完璧、完全、といった人間など存在せず、誰しもが不完全で矛盾の塊で存在し、その中にこそ【美】が存在しているのではないか?


少しアンバランスな人間の方が【遊び】といった余裕や余白を持てると思うのだ。
その余裕の中にある美しさが、新時代の息吹となり、動きを予感させていく存在となっていくのだろう。


悲しいがな、日本人は無理をしてでも頑張る一面を持ち、昔から日本人の美徳とされてきた。我慢や忍耐も美徳と言われてきた時代を私も生きてきた。
努力をすることは素晴らしいことだと思うが、頑張りすぎるのはどうかと私は思う。なんでもいきすぎると自分が自分を縛り、不自由になる。我慢や忍耐もいきすぎるとどうなるのか?遊びとなる余白が無くなっていくことは、容易に想像できる。


身体に力を入れ必死に何かをするよりも、力を抜きゆるい感じで気の向くまま努力を続けていくことの方が美しいのではないだろうか?
そして、その姿は周りの人間の目にも、穏やかで優しく映るというものではないか?
ふと、そんなことを思ったりした。


これは、人が育つ環境によって、異なってくるだろう。
例えば、周りからの期待を背負って育てられた人間は、その期待に応えようと一生懸命頑張る。そして、その頑張りは時に自分のキャパを超える。

コップに入る水の量はコップごとに決まるように、人間の器に重ねていく頑張りも人間ごとに異なる。


だからこそ、マイペースで前を向いて進み、自分の器の中で太陽や水や栄養を吸収しながら、自分だけの花を咲かせていくことが一番美しい姿でいれるのではないか?


美をつくる造形原理の基本に触れてみて、ふとそんなことを思った。
植物を通して学ぶことは本当に面白い。



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