見出し画像

消毒の時間

メスを入れるとそこには新しい傷が産まれる。
入れる対象は、身体のみならず、既存のモノ、心、仕組み、ルール、仕事、スタイル、価値観、考え方、ありとあらゆるモノがある。


私は仕事と自身の心にメスを入れてきた。メスを入れたら、まずは血が流れ、入れる深さによって流れる血の量は変わる。そこには強烈な痛みが伴うことになるから、心がある人間ならば苦しみも相当なものになってくる可能性がある。

暫くすると、そこにかさぶたができ、新しい傷に変化する。できたそれを消毒し、夢見心地の中で手当をしていくと、次第にうつらうつらと幸せを感じるようになり、大切に大切に扱われている感覚さえもしてくる。


そう考えてみると、自分につく傷さえも今までの自分の大切にしたい「遺産」にもなり、新しい自分の繋ぎ目にもなる。



新しい自分に「in」してくるものが「なに」なのか?まだまだ輪郭しかとらえることができない正体不明の「なにか」が新しい自分を刻み出し、「なにか」が自分を「out 」することになっていった。


私が「なにか」を表現するものではなく、「なにか」が私を「out 」する。つまり、その「なにか」が私の中に「in」され「out 」された時、新しいわたしとの鐘を鳴らす日となる。
その鐘が鳴る時が、新しい私が生まれた合図となるのだ。


自分に徹底的に向き合い、もがき苦しむことも、時には財産になる。

今は、多くの人が自分自身に向き合う時間を余儀なくされてるときかもしれない。が、その時間を過ごせることは、決して個の生においては悪い事ばかりでもない。

色んなことを感じるだろう、色んなことを思うだろう。
それらは自分の心の疼きになり、モヤモヤにもなるだろう。
でも必ず、いつか疼きもおさまり、モヤモヤも晴れる日が、ある日突然やってくる。

この数年自分が過ごしてきた時間を、今思い出すことが私もまだまだある。それでも私はそのままの自分を、どんな自分をも、許し、受け止め、抱きしめていたい。

私がわたしであることに理由は不要で、私の人生を生きていくのは他の誰でもなく私だからだ。

自分の全てを受け入れ癒す。それができるのもまた、自分だけだ。

そうやって私が過ごしてきた消毒の時間は、今の私にとってかけがえのない時間になっている。
そして、私に「in」してきたものが、「香り・植物・自然・亡きモノ・言葉」なのだ。それらをリードしていくのは、もちろん「もう一人の新しいわたし」だ。


この記事が参加している募集

自己紹介

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?