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48歳これからの夢

2021年8月も後数日で終わる。久しぶりにnote を書いている。前回投稿したのが4月、4か月もストップしていた。

時間と心、この2つに余裕がなければ、自分を丁寧に観察することも、観察して気づいたことを言葉にすることもなかなかできない。

私事だが、先日2021年8月16日、48回目の誕生日を無事に迎えることができた。当日は、『非日常の時間と空間』をわたしがわたしにプレゼントした。現実から離れ、地上から足を浮かせ、心をフワフワ漂わせながら、16日を過ごすことになった。

15日前夜から17日午前までの3日間を11分33秒のVlogにまとめた。もし良かったら、見てもらえると嬉しい。この動画内では自分の心の中の言葉を少ししか出しきれず、補足としてnote を開いた。48年目の記録ということにでもしておこう。

私の人生は『波乱に満ちた人生』、この一言がお似合いの時間を過ごしてきたと思う。いや、本人はそう思ってなかったが、周りにはそう映るだろう。育ってきた環境も少しイレギュラー…かも。

自分の心に素直に生きたら、ハチャメチャな人生だった、とでも言っておく。『自分の心に素直に生きる』なんやら聞こえはいいが、家族を巻き込んだのは間違いなく、その中でも一番に影響を受けたのは我が息子だ。それでも息子から『母を憎んではいない』、その言葉を頂けたのも今年のこと。

2015年5月25日、この日、私の目の前で祖母は息をとめた。この『時間と空間』から、私の人生時間は異様な音をたてはじめた。
たかだか6年前のことで、この数年が非常に意味のある6年だったことに気づけたのもここ最近のこと。

『死』に直面して、『死』の側から『生』を見つめてきた時間で、『自己の存在』に最大限に関心を持ち続けてきた。哲学や科学関係の本を読み漁り、内面をつぶさに見つめ続け、『己』の内と外を徹底的に観察してきた。もちろんそんなことをし続けることは、とても苦しい。それでも、やめることができなかったのは、『生』や『命』への探求心だったかもしれない。

仕事の一部を変えたり、やってみたいことにチャレンジ精神を持ち続けた。周りからは『大胆で積極的行動をとる人間』と映るだろうが、私にとってはただの『執念』だった。

世界に埋もれてしまった『自己の存在』を取り戻したかった。ただただ、それだけだ。どこにでもいる誰かの1人ではなく、私は私になりたかった。
そして、このしつこさが幸いし、見つけた。

自分探しの旅なんてしなくていい、そんなことをいう人もいるが、しなくていいと言われやめれるなら、はじめからしない。
『なぜしなくていいのか?』そこに疑問を持つ私だから、ここまできてしまったのかもしれない。したかったらしたらいいと思う、『自分探しの旅』。その航路はとてつもなく大嵐だが、そこを過ぎたら異様な静けさに包まれる。そこに到着したときは最強な自分に出逢えているはずだ。

しかし、『自分探しの旅』を推すか?と聞かれたら、推しはしない。
だから、しなくていい、という理由も今は分かる。

埋もれた自己の輪郭を見つけたこれからの夢は、その内部を精緻に描いていくことだ。
そのために、時間に自覚的になり、『時間と空間』と安心安全な関わり方を自ら意識的に選び取っていく。
それだけで、必ず『人生が変わる』。そのことを知ったからには、これまたやめることができない。

無数の不確定要素を目の前にしたときは、『自分に素直に』ただこれに限る。それだけで、安心な次の一瞬を人は手に入れることができるだろう。




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