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若者たちから頂いたプレゼント

私の生って沢山の人に支えられ守られ継続されてきた。
もちろん、私に限らず人は誰でもそうなのだと思う。
自分の周りに居てくれる人間たちとのやり取りの中で、私がよくしていることを今日は書きたいと思う。




家族や友達、仕事関係の人間たちと人は『言葉で会話』をする。
人数が多い中でのやり取りだと、そこまで頭の回転が速くない私はその会話の中に入っていく事がとても苦手で、目の前で繰り広げられてる会話にただじっくりと耳を傾けることが多い。これがおしゃべりでない所以。

1対1の会話であっても、相手の言葉を聞いていると、『あ、もしかしたらそうなのかも?』と一旦は自分のことを疑ってしまうこともよくあるし、私の内での小さな引っ掛かりもよくある。

そこで私は、
自分の『うん?』の声や、自分が自分を疑った瞬間のことは見逃さないようにしている。


なぜかというと、
言葉一語とっても、その『一語』って生きていて、発せられた言葉の背景や深いところに相手の人間の価値観や考え方想いが含まれていて、それらをひっくるめ言葉として発せられるから、もっともっと深く聞いていかないと相手の真意って分からないことが多いからだ。


その時のセンサーって『わたし自身の内側』。
『うん?』といった見逃しそうになる繊細な糸のような玉、
『なんか自分の内がモヤモヤする』といった広がる湯気の感覚、
そういった目に見えない感覚的なものを私はいつも大切にしている。


それらが出てきたときは、相手から発せられた言葉を相手へ向かって深追いしていくから、相手からしたら『めんどくさい』だろうね。

やり取りをして、離れて一人になって考えたとき、まだ『モヤモヤ』が残ってたりしたら、次は自分自身に問いかけていく。

『なぜその言葉が引っ掛かっているのか?』

『なぜ自分はモヤモヤしているのか?』

そこの答えが、自分の内側にあるんだよね。
相手の言葉って相手の心で行われている感覚がまとめられ言葉として出てくるでしょ。
その感覚はわたしのモノじゃないから、相手の事をあーだこーだ言っても仕方がないし、そこは受け止めるしかない。
それよりも、相手の言葉と自分の感覚にズレがあるとしたら、その答えは自分に問いかけていくしか方法はない。


だからよく人との会話の中で『うん?』って思ったことは、相手に問いかけるようにしてるし、その問いかけに対する相手の答えと自分の内を照らし合わせたとき、自分がスッキリしていれば通じ合っているのかもしれないけれど、もし自分の中に何かが残ってるとしたら、その正体を自分で暴いていくことをよくする。

そんなことを繰り返していると、自分の価値観とか考え方とか、自分が何が良くて何が嫌なのか、そういった形を成さないものがぼんやりと見えてくる。


まぁ、大人の中での私は、超めんどくさい人間だと思う。現にめんどくさいって言われることもよくあるし、自分で自分をしんどくさせてる事もあるけど、でも仕方がない。
だって、自分自身がひっかかってしまうし、それがありのままの私だから。
それを無視しては前には進めないし、進みたくもないと思ってる。

学生の就職支援の面談で、私のこんなところが大いに役に立った。
若い子って大人と違ってね、私が『なぜそう思うの?』って質問したら、『えっ?なんでそう思うんだろう?』って彼らの内を一度キャッチしてくれる。そして、真剣に考えてくれて、その後、就活へ生き生きと向かっていってくれた。

大人からはめんどくさいって言われる私だけど、若い彼らから私は毎回プレゼントを貰って来た。
それは、彼らの姿を見て私が感じる『私は私そのまんまでいいんだ』っていう自己肯定感。

だから、私にとって就職支援って仕事ではあって、表向きは支援って言葉だけど、実態はというと、この10年少しずつ私が私である事を、彼らの姿を見て自分を受け入れていく時間を彼らから頂いてきた。私の心の中にいつもあったものは、彼らに対する『ありがとう』の気持ちだった。


もちろん、目の前の人間からわたしの言葉に対して深追いされることがあったら、私は徹底的に付き合っていくよ。
時間がかかって大変なプロセスではあるけれど、私はそれをめんどくさいとは思わないし、そこを省略したくもない。
そのプロセスを経た先にこそ、真の人間関係が構築できることを信じてる。


シンプルに言うと、私は『自分のことを信じてる』ってこと。
でも、「自分を信じる事」を自分に許す事ができたのは、面談で出会ってきた若い彼らと過ごしてきた時間だった。
だから、この世界に生きる誰もが、『自分自身を信じて欲しい』事が私の心からの願いで、そこから全てが始まっていくと今思えるのだ。

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