見出し画像

カレーと音楽の親和性について取り留めなく語るように書いたので読んでください。

今回は、カレーと音楽の親和性について考え、語らせてください。
語ろうとしても誰にも止められないのがnoteのいいところですね。note以外でも止められたことはほとんどないけど。
とはいえ、これから語る私の主張によって誰かを説得したり、うなずかせたりしようとする試みではありません。
飽くまでも私なりの考えでしかないことは予めご了承くださいませ。
そして、この文章は「カレーと音楽の親和性は高い」という前提で書いていることも併せて先にお伝えしておきます。

カレーと音楽の親和性は高いから、カレー好きには結構な割合で音楽経験者がいるし、カレーづくりやカレーの味わいの理解に音楽の素養が役に立つことも結構あるように思います。

そして、そう感じているのはきっと私だけではないでしょう。
確証なんか無く、なんとなく、そんな気がしています。
もしかしたら、私がそう思いたいだけかもしれません。
そう思いたい私がいるとしたら、それはきっと私がバンド少年からバンド青年であったことがあったり、音楽を聴くのも好きな人生を歩んでいるからかもしれません。もうバンドは組んでないからバンド中年ではないけれど、今でも部屋の片隅にギターやベースが何本かあったり、去年開催した365カレーの個展で流した映像の音楽を作ったり、音楽を聴くだけの時間を大切にしたりしています。

自分の音楽に対する愛着を書いてしまって、自分でも何が言いたいのかわからなくなりかけましたが、ポイントはたぶん私はカレーとの付き合いよりも音楽との付き合いの方が長いということです。
だから、カレーの素養が音楽に役立つという文脈ではなく、音楽の素養がカレーに役立つという流れで語られることになります。

カレーと音楽の親和性について考え、語ろうとする時、まず最初に大きく分けて二つのアプローチがあります。
それは
【1】カレーをつくる時
【2】カレーを食べる時
の二つです。

先に述べたように、「カレーと音楽の親和性は高い」という前提なので、これから語ろうとしているのは
【1】カレーをつくる時の発想と音楽をつくる時の思考の似ている部分
【2】カレーを食べる時の理解と音楽を聴く時の理解の似ている部分
ということとも言えます。

それではさっそく【1】つくる時について語っていきましょう。

【1】カレーor音楽をつくる時の思考の似ている部分

音楽をつくるというのは脳内で流れている音を譜面に起こすことから始める場合と、実際に音を鳴らしながら組み立てていく場合があります。
カレーづくりに置き換えると、前者はレシピを書く作業と言えます。
後者はカレーをつくりながらレシピも同時に完成する感じでしょうか。
さらに言えば、作曲のやり方として、上に述べた二つのやり方を組み合わせたような、実際に音を鳴らしながら他の音を脳内で流して組み立てることもあったりします。
それは、例えば冷蔵庫に残っている特定の食材を使うことが決まっている状況でカレーをつくる作業にも似ているかもしれません。
最後の例えはちょっと無理があるかもしれませんが、とにかく、まあ、色々なやり方があります。

脱線しますが、私は楽譜はほとんど読めません。そして書けません。
レシピはだいたい読めます。そして書けます。ルールが無いから……

脱線は終わりました。
いずれにしても、音を組み立てていくのが曲づくり≒作曲です。
カレーづくりにも組み立てていくイメージがぴったりなんです。

曲づくりに際して、ある人の脳内では複数の音が同時に鳴っていることもあるでしょうし、また別の人の脳内では単一の音だけ鳴っていることもあるでしょう。
その音をどう展開させていくのか? あるいは、その音の他にどんな音を重ねていくのか? というようなことを思考します。
実際に頭を抱えて考える人もいれば、自然と思い浮かぶ人もいるでしょう。
最初から瞬時に完成形まで脳内で鳴らせる人もいるでしょうし、暗算や思考実験のように脳内で時間をかけて組み立てる人もいるでしょう。
どちらにしても、複数の音を重ねて展開させていくと音楽になります。
音楽の正体は空気の振動と時間とも言えます。それが心も動かすんだから神秘的です。
神秘的だろうが神秘的じゃなかろうが、どんな音をそれぞれどう並べていくかを考えたりして(天才だったらきっと考えなかったりして)組み立てていくと曲ができあがります。

ここからは曲づくりの工程を細かめに分解しながら、カレーづくりの工程と似ている点を語ってみます。

使う楽器は食材と言えそうです。
どの楽器からどんな音が鳴りどんな雰囲気に聴こえるのか? という発想は、どの食材からどんな味と香りが出るのか? という発想に似ています。
また、同じ楽器でも良し悪しがあったり演奏者との相性があったりするように、同じ食材でも鮮度や品種の違いがあります。
ちなみに、ここで言う食材には、油や調味料やスパイスも含みます。
使う楽器が予め決まっている場合もあれば、使う楽器の選択から始めることもあるでしょう。
楽器の音色を変えるのにエフェクターという機械を使うことがありますが、音色を決めるのはカレーづくりに当てはめるなら食材の切り方や加熱の加減と考えるとしっくりくると私は思います。
エフェクターを使うことについてはスパイスや調理器具に例えることもできるかもしれませんが、ここではひとまず音楽で言うところの各楽器の音色はカレーで言えば各食材の切り方や加熱の具合に例えておくことにします。
各楽器の音量のバランスは、そのまま食材の使う量のバランスと考えていいと思います。音量が大きければ目立つとは限らなかったりするのもおもしろいところです。
とにかく、どの楽器をどんな音色で鳴らして他の楽器やその音色と重ねていくのか? その音量のバランスはどうするのか? 音楽におけるこのような思考は、カレーにおける食材選びや切り方や分量は火加減を決める時の思考に非常に似ていると言えるでしょう。

どんな音楽を鳴らしたいか? どんなカレーをつくりたいか?
ジャンル的にはロックなのかポップスなのかクラシックなのかジャズなのかテクノなのかヒップホップなのかミクスチャーなのか現代音楽なのか? テンポは速いのか遅いのか? 拍子は? 等々、つくる曲をイメージします。
つくりながらイメージができていく場合もあれば、予めかっちりイメージできている場合もあるでしょう。
そのイメージに寄せて使う楽器を選ぶこともできますし、逆に、使う楽器が限定されていたらそこから鳴らす音楽のイメージを膨らませることもできます。
あるいは、鳴らしたい音楽をイメージしないまま、その時々の気分に応じて思うがままに楽器を鳴らしてみて、そこから鳴らす音楽のイメージを立ち上げるというパターンもあり得ます。
アカペラは……むずっ……墓穴を掘りかねないのでやめておきましょう。
ここで述べた曲のイメージは、そのままカレーのイメージと言えるでしょう。
好きなバンドのバンドスコア(楽譜)を参考にしてコピーバンドとして演奏するのは、誰かが書いたレシピを見てその通りにカレーを作ってみることに似ています。
また、耳コピという、音を聴くだけで楽譜を見ずに演奏を再現しようとする試みは、どこかで食べたカレーの味を再現しようとする試みに似ています。
各楽器の音色や演奏方法の組み合わせで鳴らす音楽のジャンルも含めたイメージがある程度決まるように、食材をどう切ってどの順番でどのように加熱していくのかで完成するカレーのイメージがある程度決まることになります。

その他の要素
音楽には、拍子、テンポ、メロディー、ハーモニー、リズム、音色、音量、キー、コード、単音、残響、グルーヴ、楽器、編成、音数、等々、様々な要素があります。
カレーにも、見た目、香り、温度、食感、味、具やスパイスの種類、分量、大きさ、火入れ具合、脂っこさ、粘度、単品構成、副菜有無、主食、等々、様々な要素があります。
ここからは急に雑になってしまいますが、もう本っっっっっ当にイメージの問題です。
例えを思いつくがままに挙げていきましょう。

・コード
コードは二つ以上の単音の組み合わせです。和音とも言います。
その単音同士の相互作用によって、明るめの響きになったり(メジャーコード)、暗めの響きになったり(マイナーコード)、癖のある響きになったり(オーギュメント)、なんなら敢えて不協和音にすることもできます。
↓こんなWEBサイトを見つけたので何となくコードの響きと雰囲気を感じてみてください。コードの響きと雰囲気から何らかのカレーを思い浮かぶか試してみてもいいかもしれません。

ひとつの楽器でコードを鳴らす場合をカレーで例えるとひとつの食材を二通り以上で使うことに似ているかもしれません。例えば、タマネギを二種類の加熱で使う「ド・ピアザ」のようなカレーは、タマネギのメジャーコード的な使い方と言えるでしょう。また、スタータースパイスとしてクミンシードを使って途中の香りづけスパイスとしてクミンパウダーを使うのもクミン単体での和音のような使い方と言えるでしょう。
とはいえ 、カレーづくりで言うのであれば、各楽器は単音で音を出して、複数楽器の組み合わせでコード感を演出するという思考の方がしっくりくることが多いと思います。

・メロディー、ハーモニー、リズム
音楽の主な構成要素であるメロディー(旋律)やハーモニー(調和)やリズム(拍子)をそれぞれどの楽器が担うのか? またはひとつの楽器が複数の役割を担うのか? 何かを兼任するのか? 等々の発想がカレーづくりの発想に役立つことがあります。
例えば、チキンカレーを作る時に、チキンの味わいをメロディーとして考えてみましょう。ハーモニーはチキンを邪魔しないように最低限の食材で作るのか、ハーモニーも豊かに響くようにヨーグルトやナッツやトマトを足したりするのか、という感じで考えられます。リズムとしてはタマネギもガンガン炒めて香ばしくスパイスもガツンと効かせてノリノリな感じにするのか、タマネギは浅めに炒めて穏やかなスパイス感でゆったりした感じにするのか、という感じで考えられます。
カレーにも乗りや雰囲気やグルーヴがあるとも言えるでしょう。

・バンド編成(ギター、ベース、ドラム、ボーカル)
おそらくここ100年くらいで定着したと言っていい、バンドのシンプルな編成はギター、ベース、ドラム、ボーカル、でしょう。
私自身がこの編成のバンド経験が一番長いということもあって、このバンド編成で曲づくりをする時の流れがカレーづくりのイメージと絶妙にリンクしてくる感覚が強いです。
↓脳内で想像してみてください。
ベースが音数の少ない重いフレーズを演奏し始めました。ギターが単音でポンポロンと音を重ねます。ドラムは静かに入ってきて徐々に激しくなってきます。そこからボーカルはハイトーンボイスで歌い上げます。からの、ギターソロ♪
↑これは例えばです。例えば。
ギターが単音でポロンポロンと重ねることで、ベースのフレーズの重さが強調されます。それだけだとただただ重い音の流れになってしまいますが、ドラムがリズムの盛り上げることで曲全体に変化がついて、ただただ重いだけの印象からワクワク感のある曲の流れになりました。その流れで歌われるボーカルの声はすんなり聴き手の耳に届きやすくなります。キレイな歌に聴き入ってうっとりした頃にギターの音色が変わってギターソロが奏でられます。
例えばは続きます。例えばeverです。
↑これがカレーだったら? と想像してみてください。
imagine all the people♪
さて、どんなカレーか想像つきましたか。私の脳内では↓こんなカレーが出来ています。
たっぷりの油で多めのタマネギが加熱されています。揚げると炒めるの間くらいでしょうか。スパイスは最低限にして具材を邪魔せず食欲をそそる香りを漂わせるくらいにしておきましょう。そこにマリネしておいた脂身の少ないお肉を入れます。そう、タマネギの重さと最低限のスパイス感はこのお肉を最大限に味わうためのものだったのかもしれない。そんな気がしてきました。自分でもそそられてワクワクしてきたので、味見として食べてみることにします。飽くまでも味見です。味見。あ・じ・み。お肉を口に含んでもぐもぐもぐもぐ味わい楽しみながら、レモンを添える案を思いついてしまいました。味見からの味変か? レモンは味変ツールなのか? きっとそうです。レモンを搾ってびっくり。お肉もおいしいけどカレーのタレ(グレーヴィーって言うの?)もおいしい! 滲み出た肉汁とレモンでカレーのタレを超おいしくなってる!
大変です。
最初の方に「使う楽器は食材と言えそうです。」とか書いておきながら、自分の例えでそのお題を無視しているということに気づいてしまいました。
これこそが例外というやつかもしれませんが、イメージの問題なのでご容赦いただけると信じてこのまま垂れ流します。
例外か否かはさておき、↑ここでは一皿のカレーみたいなイメージで語りましたが、これが複数のカレーや副菜が組み合わさったパターンになった場合はどうでしょう。
私としては、それでも同じようなイメージの拡大することで、カレーと音楽の親和性は保たれると思います。
もしかすると、アルバムの曲順とかに当てはめて考えるとしっくりくるかもしれません。
今時は配信が台頭してアルバムって概念が消えつつあるんでしたっけ? それであれば、ライブの曲順として妄想しましょう。

一番大事かもしれない演奏スキル
これはもう言わずもがなかもしれません。
ここでは私自身の腕前は棚の上の引き出しの奥に入れて鍵をかけまして、その上で書きます、調理も演奏もスキルが大事です。
言わずもがなだけど言わずに書くというスタイルでお届けします。
私なりのポイントとしてはテクニックではなくスキルです。
私の辞書にしか書いていない可能性がありますが、テクニックを上手か下手かの尺度とするのであれば、スキルはテクニックを使いこなす術のことです。下手なら下手なりのやり方があります。
心を込めて演奏することができるのは、テクニックではなく、スキルです。
とはいえ、テクニックを否定したいわけではありません。テクニックだって大事です。
でもでも、上手な演奏が良い演奏とは限りません。高度なテクニックの調理で必ずしも味わい深いカレーができるとは限りません。
そう信じてなきゃ私がやってらんないだけかもしれません。
そして、良い演奏か否か、味わい深いカレーか否か、印象や好き嫌いは作り手だけで決まるものではありません。

というわけで、【2】食べる時の話をしましょう。

【2】カレーor音楽を味わう時の思考の似ている部分

カレーを味わう時には【1】で述べたようなことを踏まえて食べましょう。
以上です。
嘘です。
ちょっと疲れてきたとはいえ、自分で語りたいと思って書き始めたので、もう少し丁寧に書きます。

音楽を聴く時に大事にしているものって何でしょう? と問われたら、きっと人それぞれ違ってくると思います。
同じ人でも時と場合によって違ってくることもあるでしょう。
アーティスト、ジャンル、曲調、歌詞、メロディー、テンポ、音質、音量、背景、ヘッドフォンで聴く、スピーカーで聴く、電車内で聴く、CDで聴く、配信で聴く、レコードで聴く、ライブで聴く、MV映像を観ながら聴く、等々、様々な視点の色々なパターンがあると思います。
聴くことについて語るのに視点とか色っておかしいか、まあいいか。

こだわりポイントみたいなものが人それぞれあるとは思いますが、聴いた瞬間か直後に「あ、これいい!」とは「なんか、これ好きじゃない!」とか感じますよね。
何も感じないという人がもしいたら、次の機会に慎重に丁寧に自分の感覚を観察してみてください。きっと心は動いているはずです。
もう少し時間が経ったり繰り返したりすると、感じることが変化したりもするでしょう。
例えば、「全然好きじゃないのに脳内再生される」とか「曲としては好きじゃないけど歌詞が超しみる」とか「めっちゃ気に入ってたのに飽きてきた」とか。
もっと時間が経つともっと色々なケースがあり得ます。
例えば、ラジオで懐かしい曲をたまたま聴いて最新作との共通点や相違点を発見したり、嫌いだった歌が商店街のスピーカーから流れてきて逆に気に入ったり、そういうこともあります。

何を語っているのか、自分でもわからなくなってきました。
そうそう。カレーor音楽を味わう時の似ている部分です。
これは持論でしかありませんが、というかこの文章全体がほぼ持論でしかありませんが、カレーでも音楽でも味わう時に大事なのは自分自身が感じている感覚に気づくことだと私は思います。

カレーでも第一印象として、おいしいかまずいか、好きか嫌いか、は残るでしょう。
それはそれで大事です。とんでもなく大事です。
それを入り口にして、その先へ進むのが楽しいので、お進めじゃなくてお勧めしたいのです。
食べる前後に感じるはずのものをいくつか挙げてみます。
見た目は? 香りは? 温度は? 舌触りは? 歯応えは? 喉越しは? 後味は? 食後感は?
↑例に挙げたこれらは、カレー単体を口に運ぶ時とライスも一緒に口に運ぶ時でも違ってくるし、もしかしたら最初の一口と最後の一口でも違ってくるかもしれません。
カレーを食べるだけの動作だけでも五感がフルに動員してるはずなんです。
言葉で書いてしまうと、カレーを食べるだけなのにめんどくせーなと思われかねないけど、めんどくさかろうが何だろうが、五感が動いていることは確かです。
私だって、一口毎に、香りはクミンが主体で、温度はちょっと熱め、舌触りは滑らかで、歯応えが物足りないけど、喉越しは…… と分析するためにゆーっくりスプーンを動かしたりしているわけではありません。
お勧めしたいのは、カレーの分析そのものではありません。
カレーを感じているあなた自身の感覚の観察です。
「このカレー気に入ったけど特に香りがよかったな」とか「とてもおいしいけど熱々過ぎて口の中をやけどしちゃった」とか「そこまでおいしいとは思えなかったけど食べたら体がポカポカしていい感じ」とか、そういうことです。
あなた自身が感じているはずなのに気づいていないかもしれない感覚に気づけたら、なんだかとても素晴らしいことな気がしませんか。
私はなんだかとても素晴らしいことな気がします。
もちろん分析することが悪いことだとは思っていません。
分析を楽しめるとしたら、感覚に気づいてからだと私は思います。
感覚を楽しめていないのに分析だけしようというのは無理があるでしょう。

音楽の話がどこかに行ってしまったので呼び戻します。
おんがくー♪

【2】の冒頭で述べたように、カレーを味わう時には【1】で述べたようなことを踏まえて食べましょう! ということなんですが、何故そうすることをお勧めしたいか? について書きます。
感覚そのものがあっても感覚に言葉を与えないと気づくことが難しくなるとどこぞの脳科学者が言ってた、ような気がします。
言葉で表現することで感覚に名前をつけていくようなイメージでしょうか。
ワインのソムリエが表現する「新芽のような澄んだ光沢がありつつ、香りはアーモンドのようでややスモーキー、ナイフのような鋭い渋味が感じられながらも、余韻は氷河のようにゆっくりとした、四季の変化を楽しめるようなワインです」みたいな……ソムリエが実際にこんなことを言うのか私は知りません。
とにかく、感覚に名前をつけるのがけっこう難しいという人もいるでしょう。
名前をつけなくてもあるのに、名前をつけないと無かったことになってしまいかねないというのは、感覚の儚さと、言葉の傲慢さを感じてしまいますね。
星野道夫さんが言ってました。人の心は深くて浅い。

そうこうしているうちに、音楽が戻ってきました。
おかえり音楽。
カレー好きの中に音楽好きが多いのは、カレーで感じ得た感覚を音楽のイメージに変換して記憶したり表現できたりするからなのではないでしょうか。というのが私の仮説です。実証する気は、ありません。
もしかすると、好きなカレーを表現することができるのが音楽好きだから、カレーも音楽も好きな人が目立ちやすいだけで、割合としてはそこまで多くないのかもしれません。ちなみに、この仮説も実証する気はありません。
誰もがそれなりにいいと思って色々なところで流れてカラオケでも歌われたりするJ-POPみたいなカレーであれば、ただ単に「おいしい」で済ませることができるかもしれません。
だけど、例えば、とても辛いカレーだけど辛さの奥から感じられる旨味みたいなものに気づいてしまった時に、作り手が表現したかった味わい深さに気づいて「やばっ」ってなったりすることがあります。
それは音楽で言うなら、なんか騒がしいだけの曲だなーと思っていたら、奥から聴こえるベースラインのカッコよさに気づいてしまった時のように心に刻まれることでしょう。
他にも、曲全体としては聴きやすいロックなんだけど実は変拍子だとか、ボーカルの歌のメロディーが単調でつまらないと思っていたら周りの楽器がとても美しい旋律を奏でているとか、各パートはそれぞれめっちゃカッコいいんだけど曲全体で聴いてたら飽きちゃうとか、グルーヴィーな曲が好きなんだけどあのバンドの魅力はグルーヴ感ゼロなところなんだよなとか、そんなこんななんだかカレーに例えられそうなイメージがどんどん思い浮かびます。

J-POPなカレーを食べたい人が現代音楽なカレー屋さんに行ったら悲劇が起こってしまうでしょう。
ビッグバンドのようなカレーを好む人は雅楽のようなカレーは好きにはなれないかもしれません。
そういうジャンル的なマッチングにも言えると思います。

【1】で述べた内容との兼ね合いでも少し例を出しておきたいと思います。
食べ進めるうちに辛さがあとから追いかけてくるようなカレーは徐々にテンポアップするような曲に似ていて、食べる側or聴く側はとしては「おおお、そうくるか、盛り上がってきましたー」って感じることになるでしょう。
ただただ具の魚がおいしくてカレーソース自体は変わった調理をしていないカレーは、超一流の歌手とそれをサポートする確かなテクニックを持ったバックバンドに例えることができます。

さらに別の観点で言うと、音楽を聴く時に、歴史的背景やジャンル的系譜や文化的バックボーン等々を踏まえて聴くとただただ聴いた時とは別の響きを感じたりしてくることがあります。
それをカレーに置き換えると…………もういいか。

十分たっぷり語れました。
私は満足です。
この文章を音楽で例えるなら、行き当たりばったりのへっぽこ即興演奏みたいな語りです。
それでもここまで読んでくださったそこのあなた。
本当にありがとうございます。

大事なのは言語化そのものではなく、感覚に気づくためのイメージの投影や表現なんだと思います。
そして何よりも楽しもうとする姿勢や楽しみ尽くしたい意欲みたいなものが自分の中から湧いているか否かがポイントです。
意欲が自分の中にないのに、楽しめるはずがありません。
私には1ミリおもしろいと思えない何かでも、あなたがおもしろいと感じられる何かがあるとしたら、そのこと自体がおもしろい。
ここまで読んでくださったのに1ミリもおもしろいと思えなかった、とか、南場の奴ぜんぜん音楽わかってねえな、とか、そんな風に思う人がいるかもしれません。残念じゃないと言ったら嘘になりますが、誰がどう思うかは私がコントロールできることではありません。むしろ、その方がそう感じたことが重要です。
これから先は、意欲が湧いている他のことに人生を使ってください。その方ががいいじゃないですか。
そういうことにさせてください。
あ、でも、やっぱ、たまーに、時々、気が向いたら、見てやってもいいよと思えたら、私の投稿をのぞきにきてください。

今回の私はカレーと音楽で語りましたが、カレーと音楽じゃなくても、他の料理全般と他の何らかの芸術でも言い換えることができるのかもしれません。

ちゃぶ台がひっくり返ったところで、失礼します。

画像1

追伸:
一番上にも使った↑この画像は、ネットで拾った素材とかではありません。
今回の内容にちなんで私が撮ったオリジナル写真です。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?