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五月の波形

はじめに

GW最終日に書き始めたはずなのに、気付いたら5月が終わっていました。なのに五月病は治りません。もう五月病じゃなくて、連休明け無気力ぐうたら症候群とかでも良いのではないでしょうか。
五月病改め、連休明け無気力ぐうたら症候群の皆さま、こんにちは。
もう1ヶ月経過してしまいましたが、まだどうにかこうにか、あの手この手を使って、時には手を変え品を変え、無理矢理にでもゴールデンウィークに縋りついていたいなと思いますので、一旦ゴールデンウィークの話をしてみます。よろしくお願いいたします。


マイ・ゴールデンウィーク

25回目のゴールデンウィークもあっさり終わってしまった。
ゴールデンウィークを有難い期間として過ごしているのは一体いつからだろうかと考えたけど、実は社会人になってからでは?と思った。

中学生以前のことは正直あまり覚えていないけど、そもそもゴールデンウィークって休みだったっけ?休みでもきっと部活とかしてただろうな。

高校生大学生の頃はアルバイトに勤しんでいた記憶しかない。ゴールデンウィークは学生にとっては稼ぎ時だし、かれこれ7年間ずっと飲食店でアルバイトをしていたので、お店にとっても有難い存在だったと我ながら思う。

大学生の頃に一度、10日間10〜23時で働き続けたゴールデンウィークがあったのだけど、記憶している中でそれが最も短く感じたゴールデンウィークだ。
10日間殆ど同じ内容の一日を過ごしていたから、5〜7日目は脳味噌が機能していなかった。家から駅までの坂道に毎日メンタルをへし折られていた。帰り道坂を登りながら、「まだ3日目か…」とか「あれ、今日何日目だ…?」とか、体内時計がバグって頭がおかしくなりそうだった。本気で休みは必要だと思えたので今思えば良い経験である。

やはりゴールデンウィークが有難い存在になったのは2年前からだ。
砂漠に放り出されるまでは、ふつうに夏休みとか冬休みとか春休みとか死ぬほど長い休みがあったし、ゴールデンウィークどころか休日そのものの有り難みを感じてなかったなーと思う。
社会人になってまとまった休みを取れるようになってからはゴールデンウィークが文字通りの期間に感じられるようになった。


社会人1年目、かなり精神が終わっていたので、ヤケクソで本を読んでお酒を飲んだ記憶がある。それほど長い連休ではなかったけど、仙台のとある喫茶店に毎日居座って一日中本を読んで、国分町辺りの居酒屋で一人飲みして帰るのを毎日やっていた。かなり良かった。仙台はかなり良カフェと良居酒屋が多い。
ついこの間行ったくらいだし、どうやらぼくは甚く仙台のことを気に入ってるらしい。

社会人2年目、転職をして1ヶ月くらいでゴールデンウィークに入り、社会人になって初めての特大連休だった。関東に戻って、会える知り合いも増え、1年目よりもかなり人に会った。
週5で働いて2日休む生活になってからかなり行動力が落ちてしまい、翌日仕事だったりするとなかなか外出したりできなくなっていたので、それを何も気にしないでいい連休ってサイコ〜と改めて思った。
そして今年、今年はかなり久しぶりに地元に帰った。なんとなく腰が重たくて、帰省するのを避けていた。家族と仲が悪いとか、何か帰りたくない理由がある訳ではないが、漠然とした苦手意識がずっとあった。
それでも今年帰省したのは、いつも変わらないものを、変わらないなーと思っていられるうちに記憶に焼き付けておきたいと思ったのと、愛するお猫様がいるからだ。

推しとツーショ
柄シャツはかなり前に姉からパクったやつ


地元愛について

特に地元に思い入れがあるわけではない、なんとなく地元を離れた時からそう思っていた。
県外に出ることもあっさり決めた。
というか、それ以外の選択肢は考えたことがなかった。
地元を離れる手段としての大学進学と言っても過言ではなかったと思う。
とはいえ、大学生になってもなんやかんや年に2、3回くらいは帰省していた。
親しい友人が地元に残っていたしそれなりに帰る理由はあった。
けどやっぱり、帰省を重ねても、苦手だなと思う気持ちは拭えなかった。


今年の帰省は、かなり一人でいる時間が多かった。
その時間で、とにかく色んなところを歩き回って「苦手」の理由を考えてたんだけど、色々考えた結果、多分、罪の意識なんだろうなーと思った。

『人間失格』大庭葉蔵よろしく、恥の多い人生を送ってきました。心から。
なまじ記憶力が良いせいで、当時の友人家族にかなり迷惑をかけてきたことをかなり鮮明に覚えている。
自分の中でかなり明確に、内面が変わったなと思う期間があるんだけど、その前後で交友関係がかなり変わったこともあり、自分の全てを知っている人間はきっとこの世にいないと思う。
逃げるようにして地元を離れたし、だからこそ、迷惑をかけてきた時期のことをいつまでも昇華できずにいたんだなと思った。

罪の意識と言ったら大袈裟だけど、18年分の恥ずかしさとか申し訳無さ、後ろめたさ、居た堪れなさが、街のいたるところに在った。

なんとなくこの気付きを戒めとして文章に留めておきたいなと思った所存です。

ただ、これに気付いたせいかおかげか、かなり息がしやすくなったなと思う。25歳ながら、「これが大人になるってことか〜」なんて思っている。

この前のこのnoteの中で、こんなことを書いたんだけど、結局コレだな〜と思った。
25歳になって、ようやく自分の業に目を向けて一緒に生きていけるようになったね〜。

「今までまるで自分が置いていかれているかのような発言をしていたけど、今まで自分が切り捨ててきたものがいくつもあるなと思う。
環境とか、未熟さとか、若さとか、理由は色々だけど、切り捨てる度に、なにか業を背負っている気がする。
そういうものを糧にして、土台にして、生きているのだと思う。」

『春愁』より


絶望を抱いて

大人になると、失敗とか挫折とかトラウマとか、そういうものを極力回避して生きているような気がする。
あの18年間は、今よりもっと自分に矢印が向いていて、周りからの見え方とか、後先とか、利害とか、何にも考えていなかったなと思う。
ああしたいこうしたいっていう欲とか興味だけが行動原理だったから、その分いろんなところに絶望してた。

けど、大人になってちょっと利口になってしまったせいで、最近はついつい絶望リスク回避行動を選択しがちだなと思う。それって多分、当時なりたくなかった大人になりかけてるんだよー。

"絶望から立ち直る"とはまた違うけど、せっかく絶望を受け止められるような年齢になったので、絶望と一緒に過ごしてみるのも悪くないかなと思う。

GW終了の絶望、お前はダメだ。



あとがき

ここまで読んでくださってありがとうございました。
これはいつもなんですけど、日記を書いているつもりが、いつのまにか思想(強火)の記述になってしまいます。困ったな〜

太宰は自分の苦悩を吐露するために態々大庭葉蔵という人間を創り上げたわけなので、自分もいっそ初めての創作をここで一丁かましてやろうかなとかも考えたけど、モデルのハードルが高すぎて断念しました。

noteを定期的に書きたいなという気持ちだけで、なにについて書こうかなとぼんやりしている毎日だけど、ちょっとずつ考えたことの断片を言葉にできるようになってきている気がします。
あと150年後くらいには人様に読んでもらえるような創作が書けるようになっていて欲しいなと思っておりますので、待っててね〜ヨロシク^^




最近毎週エビチリ作ってる





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